2004-01-29[n年前へ]
■11ぴきのネコ
演劇に興味を持ったのは、少し前。少し、と言ってもそれは二十年近く前のこと。春休み近くの高校で、演劇部が上演していた井上ひさしの「11ぴきのネコ」を見て、とても感動したのが演劇に興味を持つきっかけだったと思う。 いつも、合唱部やブラスバンド部の音楽に負けないくらい大きく、いつも屋上から「あめんぼ赤いな…」という声を響かせていた演劇部の上演会を観に行ったのだった。
北の空の大きな星あの星の下には幸せな場所があるそんな場所を11ぴきのネコが探しに行って…幸せな場所を見つけたその後は…、という話を見ていて、少し、いや正直に言えば、とても感動して少し泣きそうになったのだった。
その演劇部を(次の年に)率いていたのが、今ではGaucheの作者としても有名な川合さんだった。だから、私はGaucheという文字を見るたびに、あるいはSchemeという文字を見るたびに、高校時代に校舎の中で見た「11ぴきのネコ」を思い出して、なんだか少し切なくなってしまう。Gaucheという音を聞くと、一人何処かへ旅立った「11匹目のネコ」の姿が何故か目に浮かんでしまう。
2009-07-18[n年前へ]
■「おくりびと」と「セロ弾きのゴーシュ」
DVDで「おくりびと 」を観た。この映画の原作となった「納棺夫日記 」はすでに読んでいたのだが、想像していたよりも原作に沿った内容だった。
「原作に忠実」とまでは言えないかもしれないが、「納棺夫日記 」に書かれている(主人公の)状況やエピソードを、可能な範囲の変更・暗喩によって「一本の映画」に上手くまとめあげているように感じられた。少なくとも、この映画のエッセンスは、原作に書かれていることの中にすべてある、と思う。
ところで、映画の作り手が「どのエピソードをどのように変えていったか」を考えつつ見るというのは、変かもしれないがひとつの鑑賞法だと思う。
たとえば、春、東北地方の山に囲まれた平野で、主人公がチェロを弾くシーンがある。それは、ふと、宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」を連想させる。そして、そんな連想をさせることも意識しつつ、そのシーンは撮影されているのではないか、とふと考えた。
「納棺夫日記 」の中で、「永訣の朝」や「眼にて云ふ」といった宮沢賢治の詩が引用される。その「宮沢賢治」の詩が、この主人公のチェロに繋がっていったのではないか、とふと感じた。他にも、主人公が(かつて)したかった仕事を原作と重ねるためとか、成長譚という部分が重なるからとか、いくつも「それらしい」理由を挙げることはできる。
もちろん、そんな理由は「ただの想像」に過ぎない。しかし、そんな「人それぞれ」の連想をしながら映画を眺めるのも良いのではないか、と思う。