hirax.net::Keywords::「偶然」のブログ



2009-09-12[n年前へ]

「病」という「気難しい客」にも、通じる言葉はきっと見つかる 

 十数年、難病と毎日をともにした、杉浦日向子の言葉(「杉浦日向子の食・道・楽 (新潮文庫) 」から)。

 こう見えても、わたしは十年以上の中堅病人だ。立派な病名を医者から与えられ、ちゃんと通院(時々入院)しながら、処方箋の薬を飲み、頑張らない日常を過ごしている。
 病は誰にとっても歓迎されざる客だ。いつの間にか上がり込んで、身内のような顔で(もっとも身の内だ)居座っている。
 江戸のころ、「闘病」という言葉はなく、「平癒」といった。
 たて籠った珍客は、偶然か必然か、ともあれ、自分の身体を選んで侵入し、居座った。
 気難しい客だけれど、通じる言葉は、きっと見つかる。長年、病人をやっていると、そんな気がするのです。

2010-09-27[n年前へ]

運命を変える「ヘルメットの色」は偶然が決める 

 鴻上尚史の「ドン・キホーテのピアス (13) どうしてニッポンはこんなに便利で息苦しいのか? 」から。

 人間の運命なんて、自分が考えている以上に偶然に左右されるものだと思ったりします。堤さんと現在指名手配されている女性との違いは、かぶったヘルメットの色だけでした。(色の違いがセクトを表すのです)
 何色をかぶるかで、その後の運命が変わったのです。でも、その色を選択した理由は、じつは、誰と出会ってどの色を勧められたか、という違いだけなのです。

 かつて、「メット」という言葉を聞くと「角棒」を連想したものだった。角棒の先には(見落としそうなくらい)小さな旗がついていた。角棒の先になぜ旗がついているかというと、あくまでその「角棒」は単なる「旗」であって決して「武器」ではない、というイイワケのためだった(と思う)。そんな人たちを、頻繁に見かけたような気がする。

 「誰と出会ってどの色を勧められたか」という偶然は、決して運命を決めるすべてではないだろうが、無視できない大きいファクターなのだろうか。



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