2003-03-07[n年前へ]
2003-05-21[n年前へ]
■今日のビックリ・折田先生像コスプレ誕生のヒミツ
京大生なら(今ではもちろんそれ以外の多くの人達も)知らぬ人のいない、折田先生像の誕生のヒミツがこのビラに。えーっ、そーだったのかー。あの白衣にピンクのヘルメットで武装する純愛主義者同盟を率いていた(中核と核マルが激しく戦うあのキャンパスで…)戸田氏が折田先生像のコスプレ誕生の母だったのかぁー。ちょっとシミジミ・ビックリ…と。
2004-04-12[n年前へ]
■折田先生像 出典: フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』
「折田先生像(おりたせんせいぞう)は…」というわけで、百科事典『ウィキペディア (Wikipedia) 』に収録された「折田先生像」
2004-04-21[n年前へ]
■折田先生像がやってくる。
昨日の、「自己決定」を謳う側もそして「自己責任」を問う側も「自己」に重きを置いていないようにも思えてしまったりもする、という一文へのこんな言葉。
それはもしかしたら、自己決定の先にあるのは「わたしに構わないで欲しい」ということであり、自己責任の先にあるのは「あなたのことなんか知らない」ということになってしまうからではないだろうか、とか思う。つまり、あなたとわたしの関係性の放棄。そうか、確かにそうなのかもれない。そして、そんな一文を読んだ後に、今では折田先生像に新たな命を吹き込んだことでも有名な戸田氏の日記を読む。
イラク人質問題をめぐって「自己責任」という一見自明の言葉が飛び交っているが、これはかなり眉唾物である。…そういう目に見えやすい「自己責任」だけ、この国の国民は追及するのだ。…しかしながら3人のもと人質にも言いたいことはある。あなた方の正義感と勇気には敬意を表するが、もっと自分たちの行動を「政治的」にとらえてほしい。
折田先生像は日独伊三国同盟が結成された年に建立された。そして、イラク軍がクウェートに侵攻したその年に折田先生は初めて「怒る人」に姿を変えた。それからは毎年のように氏は私たちに何かを伝え始めるようになった。米国がイラク侵攻を行った年には、彼はゴルゴ13の姿で何かにライフルを向けた。
無言のまま折田先生がさまざまな姿で伝えようとしているものを想像しながら、先生の像と共に世界の出来事を振り返るのももしかしたら良いのかもしれない。折田先生像はただ人を楽しませるだけのものではないのである。
2005-03-05[n年前へ]
■今年の折田先生
今年も京都大学に折田先生がやってきた。受験生達が大学にやってくるのに時を合わせて、アメリカン・ヒーローのスーパーマンならぬ、Dr.スランプのスッパマンがやってきた。
「折田彦市先生は、…京大に自由の学風を築くために多大な功績を残した人です」という看板に対し、下記のような大学事務局の対応(その後)も良い感じかも。より、詳しくは偉大なる折田先生・その八を読むべし。
折田先生像の制作者の方へこの素晴らしい芸術的作品をおこの場所に展示しておくことは、盗難もしくは損傷の危険性が考えられますので、(以下省略)
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