2004-04-21[n年前へ]
■「ATOK Perlプラグイン(dos,ruby,awk,その他大勢)」のオマケが豪華に。
ATOKからテキスト・画像の操作が自由自在のATOK Perlプラグイン(dos,ruby,awk,その他大勢)をアップデートしました。サンプル・プログラムも「画像読み込み」「漢字アート」「アスキーアート」「美人フィルタ」「ブサイクフィルタ」等豊富に揃っています。各コマンドプログラムもオプション等を増やしました。また、デフォルトの設定ファイルをperl用でなく、DOSプロンプト用にしておきましたので、perl等を使わない方も楽チンです(ちょっともったいない使い方だとは思いますが)。
これを使えば、Windows標準添付のノートパッドが数式処理のMathematicaになったり、画像処理のPhotoshopになったり、エクセルになったり、…可能性は無限大(ちょっとウソ)です。ソフトをわざわざ切り替える世界なんて、不便ですよねぇ?漢字もプログラムの別名として使えるというのも結構面白いですよ。
■折田先生像がやってくる。
昨日の、「自己決定」を謳う側もそして「自己責任」を問う側も「自己」に重きを置いていないようにも思えてしまったりもする、という一文へのこんな言葉。
それはもしかしたら、自己決定の先にあるのは「わたしに構わないで欲しい」ということであり、自己責任の先にあるのは「あなたのことなんか知らない」ということになってしまうからではないだろうか、とか思う。つまり、あなたとわたしの関係性の放棄。そうか、確かにそうなのかもれない。そして、そんな一文を読んだ後に、今では折田先生像に新たな命を吹き込んだことでも有名な戸田氏の日記を読む。
イラク人質問題をめぐって「自己責任」という一見自明の言葉が飛び交っているが、これはかなり眉唾物である。…そういう目に見えやすい「自己責任」だけ、この国の国民は追及するのだ。…しかしながら3人のもと人質にも言いたいことはある。あなた方の正義感と勇気には敬意を表するが、もっと自分たちの行動を「政治的」にとらえてほしい。
折田先生像は日独伊三国同盟が結成された年に建立された。そして、イラク軍がクウェートに侵攻したその年に折田先生は初めて「怒る人」に姿を変えた。それからは毎年のように氏は私たちに何かを伝え始めるようになった。米国がイラク侵攻を行った年には、彼はゴルゴ13の姿で何かにライフルを向けた。
無言のまま折田先生がさまざまな姿で伝えようとしているものを想像しながら、先生の像と共に世界の出来事を振り返るのももしかしたら良いのかもしれない。折田先生像はただ人を楽しませるだけのものではないのである。
■言葉とお金
「言葉が届かなくても、お金は届く」 なるほどね、と真似してやってみる。はてなポイントは…ユニセフには届かないのかな。