hirax.net::Keywords::「文章」のブログ



2001-04-29[n年前へ]

WEBとメールの文章と本人と 

 そういえば、少し前に「WEBやメールの文章の印象は実際に会う時の印象に比べて冷たい感じがする」と言われた。ふ〜む、自分ではよく判りません。他の人はどうなんでしょね?
 と書いて、サーバーにこのファイルを転送しようとしたら、他の日記の今日の分にほとんど同じ内容が書かれていて、その偶然というかなんというかにちょっとビックリ。

2001-05-19[n年前へ]

Synchonicity II 

 少し前に「…弱い自分への神が与えた試練ではないかと…」というメールをもらった。そして、昨日は「…神様の試練というのがあるのなら、それはきっと『本当に素晴らしい人』に与えられるのだろう。」という文章を読んだ。

2001-05-25[n年前へ]

今日書いたメール 

> ということで、欧米人風に宗教的に考えると、
> 今回の件は、弱い自分への神が与えた試練ではないかと思っております。

 某所で
 「神様の本当の意味での試練というのがあるのなら、それはきっと
 「本当に素晴らしい人」に与えられるのだろう。」
という文章を読みました。あぁ、そうかぁ、そうだなぁ、としみじみ思いました。
それと同時に、私はやっぱりそんな試練を与えるのは神さまじゃないと思います。
 そんな私でも、神さまに感謝したいな、と本当に思うことがあって、
(以下略)

2001-06-30[n年前へ]

自分の時間をただ売るより、自分の技術を売りたいな、とゼイタクに思ったりして 

 英語の研修中、「君の得意なことは何だい?」という話になった。私と同じ職種の人は何も答えられなかった。それは、語学力の問題だけではないだろう…。だって、何もないんだもの。
 あぁ、何かとても傲慢な文章だなぁ。といっても、そんな自分なんだからしょがないか。自分の時間をただ売るより、自分の技術を売りたいな、とゼイタクに思ったりして。いや、思うことは贅沢じゃないか、きっと。そのために何かするのはゼイタクなのかもしれないけれど、と。

2001-08-10[n年前へ]

魚ではなく、たとえば「日記の文章」… 

 - 魚ではなく、たとえば「日記の文章」なんてのが行き来するのは、どうだろうかね - from PAT たまには扉を開けて…
 これまでは読者が移動していたのだけれど、そうではなくて景色が目の前に次々と移動してくる、ということか。なるほど、それも確かに面白い見方だなぁ…。



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