hirax.net::Keywords::「普遍性」のブログ



2008-06-13[n年前へ]

「爆乳でなくなったら歩けない」を科学する 

 「爆乳」という言葉の名付け親と「メガ乳」という言葉の名付け親と話をした時に、「新鮮に聞こえるが普遍的にも聞こえる」話を聞き、面白さを感じた。そんなことを感じた話のひとつが、こんなことである。

 (IとかKカップとかいった爆乳の女優さんの多くが言うことには)「バストが小さくなったら、歩き方がわからない」「もう歩けなくなってしまうかもしれない」

 2kgほどの重量物を胸部に二つも可動する状態で歩こうとしたなら、「重量物の揺れ・振動」を抑えつつ、それでも抑えきれない重量物の揺れと共存した歩き方にならざるをえないはずだ。つまりは、大きなバストがあること前提の歩き方になっているに違いない。だから、「バストが小さくなったら、歩き方がわからなくない」ということになるのだろう。

 ところで、可動する重量物、端的に言えば・揺れるバストは、下に描いたようなバネ・ダンパモデルとして単純にモデル化することができるだろう。つまり、その図の下に書いた微分方程式で表されるダイナミック・システムである。あるいは、それを伝達関数モデルにまでしてしまえば、つまりはさらに下に描いた「2次遅れ要素」である

 電気のRLC回路(発振回路)なども、上の微分方程式と同タイプの式で表現される。そして、発振回路でコンデンサの容量(C)がいきなり小さくなってしまった場合などは、当然ながら発振周波数も変わり、その結果、回路の動きは大きく姿を変えることになる。つまり、「容量が小さくなってしまったら、(それまでの動かし方では)回路が動かなくなってしまう」という状態になるわけだ。

 つまり、上に描いた「メガ(爆)乳」を表現したダイナミック・システムと電気回路の間には、類似性(アナロジー)があって、それらは共通の普遍性を垣間見せるわけである。

 だから、実は、電気工学や機械工学のエンジニアたちこそが「爆乳の女性人たちが経験的に会得した歩き方の工夫」の一番の理解者になったりするかもしれない、と思ったりもするのである。「そうそう部品の定数がいきなり変わったら困っちゃうよね」と大いに共感できそうなきもするのだ。……もちろん、そんな妄想に「そんなわけない」とすぐに突っ込みたくもなるのだが。

バスト・ダイナミックモデル






2009-04-09[n年前へ]

BLUE BACKS「制御工学の考え方」 

 「制御工学の考え方―産業革命は「制御」からはじまった (ブルーバックス) 」は、わかりやすく面白く読めて満足感が得られる本だと思う。とんなことに興味を持っている人かによらず、どんな人が読んだとしても、きっとその人の興味対象と重なる「面白さ・新鮮さ」を感じそうな気がする。言い換えると、この本のあとがきに書かれている「普遍性」、そんな普遍性がある面白さが詰まっている。

 制御の普遍性は二つの意味がある。
 一つは工学の中での普遍性で、ほとんどあらゆる工学分野で制御は使われている…ある対象をうまく制御することに成功した場合、その成果は比較的容易に他の対象に展開できる。
 そしてもう一つは「まえがき」でも触れたように、工学を超えた普遍性である。
 経済学については、その本質がダイナミックスにあるにもかかわらず、経済学の教育がそれに目をつぶる傾向にあることを敢えて指摘したい。変化の激しい現代社会では、経済現象の静的な捉え方は、もはや近似としても成り立たないのではないか、と思うのは素人の見当はずれだろうか。
 わが国のもの作りが世界で長く優位を保ってきたのは、現場での経験を尊重する経験主義のおかげであった。しかし、経験主義が行き過ぎると、「理屈をこねる」ことを毛嫌いし、「えいやあっとやってみろ」という体当たり主義となる。
 制御工学は、理屈を嫌う体当たり主義に対抗する「理論派」の砦である。






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