2012-02-27[n年前へ]
■「何が起きるかが大事な”物語”」と「描かれ方が大事な”小説”」という存在
今日、2月27日の「n年前へ」から。
小説というのは文章のものだと思うんです。だから、何が書いてあるかというよりも、どう書いてあるかという方が圧倒的に大事だし。物語は何が起こるのかが大事だし、第一、書かれなくても(物語は)存在するでしょう?
60億人がいれば60億の「物語」がある。けれど、その文章として書き下ろされているわけでない物語は、決して「小説」ではないのだな…と「小説と物語の違い」について、少し理解することができるのです。
2012-05-10[n年前へ]
■「適度な理屈」と「心を動かす物語」
「心を動かす何か、あるいは、感情を動かす力のベクトル」…そんな「何か」に「それっぽい論理」をトッピングすると、ひとりひとりを動かし…そして多くの人を動かします。
僕がマクロ経済学に飛びついたとき、現実の世界は不況で不安定になっていたわけです。そんなとき、「公共事業をやったり、お札をいっぱい印刷したりすれば安定な世界に戻るんだ」というケインズ理論はとても魅力的で、僕の”こうあってほしい世界観”に近くて、あこがれとか高揚感に近い楽しさを感じたんですね。
そこで思ったのは、自分が欲しがっている”あまりに魅力的な結論”を与えてくれる適度な理屈・ロジックに飛びついちゃったんじゃないか。
小島寛之
人を「動かす」ものが「良い」とか「悪い」とか、人を動かした「意志決定」が正しそうか・間違っていそうか…実に難しい問題です。
2012-07-06[n年前へ]
■「きみが見つける物語」
「n年前へ」から。 「PowerPointでアクションゲームを作ってみる(コントローラはRuby編)」「「物語」と「市場経済」」「宇宙の仲間を求めて」など。
アルタイルに向けて電波でメッセージを送った話。(中略)「もちろん、宇宙人に電波を送ったなんて考えているわけでなくて、私たち自身の心に送ったと思っている」と、送信者の1人から聞いた。
宇宙の仲間を求めて
幸か不幸か、社会はこの現実社会にはないものを物語という形で流布する。「かけがえのない私」というのも、こういった物語の一つである。
「物語」と「市場経済」
2012-11-16[n年前へ]
■「解説」という「プラスαの物語」
from 「n年前へ」
解説というものが好きだ。それは、過剰な深読みであることも多いし、解説者という翻訳者を通した「別物」であることもあるかもしれない。けれど、何らかの価値がプラスアルファされる限りにおいて、言い換えれば何らかの別視点・深みを感じさせてくれる限りにおいて、大元のテキストだけでなく、解説を読むことはとても楽しい。
2016-09-26[n年前へ]
■2001年と2011年、テレビ画面の向こうに観た景色。
アニメ映画「君の名は。」を観た。本当のところ、実際のところは、何も知らないけれど、2011年の日本で強く感じたことを原動力にして作り上げられた、綺麗なジュブナイルに思えた。その「君の名は。」をひいて2011年米国映画「Source Code」を紹介しているコメントをFacebookで読んだ。
「君の名は。」も「Source Code」も…そのどちらも、名前も知らない少なからずの人たちが”あるできごと”に巻き込まれ、それを第三者として眺めた人が”あの時何ができたか・その時何ができるか”を考えたことから始まる物語だと思う。そして、多くの物語がそうであるように、そのストーリーを精一杯辿っていくことを経て、(名前も知らない)他の人たちの物語”がそれぞれ浮かび上がってきて、そして何より自分自身(の物語)を発見していくという…いわゆるひとつの物語の王道だと思う。
2001年の秋、日本では早朝の時間に北米から放映されるTV画面の中で理解しがたく観ていたことや、2011年の春の午後に、日本の東北地方で撮影されるTV画面の向こうから、信じがたくリアルタイムで観た映像や、それをきっかけに人生を大きく変えていった親しかった人たちのことを思い起こすと、少しだけ・ほんの時々だけど、”あの時何ができたか・その時何ができるか”とか考えてしまう。