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2010-05-12[n年前へ]

僕が一番欲しかったもの 

 あなたの「大きな岩」は何ですか?

 ある大学でこんな授業があったという。
 
「クイズの時間だ」
教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。そして、砂利を壺の中に流し込み、 壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。

 そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。

 「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。

 彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」
と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」

 君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。

 ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、 君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。

 そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果、それ自体失うだろう。

2010-09-09[n年前へ]

簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」 

 ガラスのビー玉を透明なプラスチック・カップの底に入れ、その上にプラスチックでできたBB弾をザーッと思い切り注ぎいれます(右の写真)。そして、おもむろに、そのプラスチック・カップ上面を掌で封をして、上下にシャカシャカ振動させてみます。…そんな風にカップを揺らした後、おもむろに、上面の掌を離すと何が起こっているでしょうか?

 そこには、カップの中に詰まっているプラスチック製BB弾の上に、ビー玉が鎮座しているはずです(右の写真)。最初は下に沈んでいたはずの重いガラス製のビー玉が、軽いBB弾群の上に浮かんでいるさまを見ると、少し不思議に思えるかもしれません。けれど、これは身の回りの色々な「粒」を使って、簡単に確かめることができる現象です。
 大きな粒子と小さな粒子を混ぜ、さらに振動を与えてやると、大きな粒子は上に浮かび・小さな粒子は下に沈んでいくのです。大きな粒子の方が小さな粒子より重かったとしても、(結構広い範囲で)そんな現象が生じるのです。

 この現象は、"Brazil-nut Effect"(ブラジル・ナッツ効果)と呼ばれます。さまざまなナッツが詰まった容器を開けると、ミックスナッツ容器に詰まったナッツ上部には大きなナッツ(ブラジルナッツ)ばかりが集まっている、というのがその由来です。ナッツ容器が運搬中に揺られたりして、いつの間にか上部に大きな粒が浮かび上がってしまう、というわけです。

 下に「ブラジル・ナッツ効果」の「シミュレーションによる発生過程」を貼り付けてみました。「○×だから、こういう現象が起きる」と単純なわかりやすい「ひとこと」では説明しづらい現象ですが、こんなシミュレーション動画を眺めてみれば、こういった現象が起きることも当たり前に思えるかもしれません

簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」簡単に確かめるlことができる「ブラジル・ナッツ効果」と「シミュレーションによる発生過程」






2010-09-12[n年前へ]

"When you look at some aspect of everyday life and ..." 

 "Why brazils always end up on top "You do not need to always have great particle physics accelerators to answer the questions of physics," says Dr Nagel.

"This is a perfect example of one of those situations when you look at some aspect of everyday life and it raises interesting questions which defy our intuition."

2010-09-19[n年前へ]

長時間の「砂時計」は「砂だから」できる 

 理科実験用具店に1分間の時を刻む砂時計から、2分、3分、30分、60分・・・とさまざまな時を刻む砂時計が飾ってありました。60分砂時計といっても、特に巨大ということもなく、3分砂時計と比較すると体積にして20倍、それはつまり長さにすると5倍弱程度の大きさです。見た印象からは、それは「少し大きな砂時計」という程度です。

 このように、ほぼ体積に比例した「時計」になる、というのは「砂」時計だから、です。もしも、砂時計の中に水を入れるのであれば、こんな風にはいきません。なぜかと言えば、「時計のくびれ部分」での圧力は、砂のような粒子は入っている粒子の量によらず、「時計のくびれ部分」を単位時間に通過する粒子の数も入っている粒子の数にほとんど依存しないのに対して、水のような液体では、「時計のくびれ部分」での圧力は液体が入っている量(高さ)に比例し、その圧力に応じて「時計のくびれ部分」を通過する液体の量が決まるからです。

つまり、液体をたくさん入てみても、(最初に)ドバーッとたくさん液体が落ちてしまうので、なかなか長い時間を刻む時計にはならない、というわけです。長時間砂時計を作るのは比較的簡単なのに対して、長時間「液体」時計を作るのは、難しいのです。

 ところで・・・、このショーウィンドウには一体どのくらい昔からこの砂時計が飾ってあるのでしょうか?二十数年前にも変わらずあったショーウィンドウを眺めつつ、この砂時計はいつから時を刻んでいるのだろうか?と考えたのです。

長時間の「砂時計」は「砂だから」できる






2010-10-22[n年前へ]

「海辺の足あと」と「液状化」 

 波打ち際から少し離れた白い砂浜の上を歩くと、砂の中に足がめりこんでしまいます。だから、人があまりいない浜辺に行ったりすると、誰かが歩いたあとが深々と残っていたりします。そんな景色、海辺から少し離れた砂浜の上に人が歩いた足あとが長く残っている景色をよく見かけます。

 その一方で、波に洗われている辺りの砂は、意外に締まっているものです。波が砂を洗うたびに、砂は奇麗に整列し直され、密で丈夫な構造に姿を変えます。そのため、砂の上に体重を乗せても、砂浜はびくともせず、奇麗な平面を保ち続けます。

 けれど、そんな足裏にある固い砂浜の感触は、波が砂を洗う瞬間にはどこかに消えてしまうのです。波が足下を洗った瞬間、足下にあるのは「固さというものが微塵もない液体」だけになり、足がズブズブと砂浜の中にめり込んでしまいます。

 そして、「そうか、これが液状化というものか。これは、確かに液状化としか表現しようがないなぁ」と砂浜に足が深くハマりつつ、頭の中の理解ではなく足裏感覚で実感させられたりします。固く締まっていたはずの粉体が、いきなり流体に変わってしまうのは何だか少し不思議な感覚です。

 冒頭の写真は、沖縄の古宇利島の浜辺で撮影された誰かの足あとです。この古宇利島という名前は「越え(クイ)」を意味する「越島」に由来するともいわれ、また、その発音から「恋(クイ)島」とも呼ばれています。そして、この浜辺で「人」が生み出されたという伝説も残る…そんな場所です。

 そういう名前の島、そういった伝説が残る浜辺には、誰かが残した「足あと」がとても似合うような気がします。そんな景色を眺めたい、と思います。

 神様が最初に子どもを誕生させた島を人々は「こいのしま」と呼び、それがやがて「古宇利島」になった、と言われている。

ひたすら歩いた沖縄みちばた紀行

「海辺の足あと」と「液状化」「海辺の足あと」と「液状化」「海辺の足あと」と「液状化」








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