2010-02-19[n年前へ]
■「分かれること」「繋がること」への欲求
人には「分ける」「差異を見出す」ということへの欲求があるのだろうか。そんな分類・区別・差別化することへの欲求が人の底にはあるのではないか、と強く感じてしまうくらいに、理系と文系・科学と非科学・人文科学と自然科学・科学者と技術者…そんな話は何百年も前から、無限ループのように繰り返し続けられている。
ひとつのものには、そのひとつのものの中に、色んな側面がある。たとえば、科学は、応用を通じて実生活に関わる面もあれば、知的追求という点からこころの喜びにも関わる面も持っている(この一節はリンク先の本の「あとがき」にある言葉である)。何かを分けようとするとき、それはあくまでひとつの側面を描こうとしているに過ぎない。
しかし、悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか?そんな 鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。
夏目漱石 「心」
「ひとつのものには複数の側面がある」という言い方も、それもまた「分ける」ということへの欲求と表裏一体でもある。「分ける」ということは、「重ねる」ということと真逆なようで、実はよく似ている。
「分ける」という言葉の裏に寄り添う「統一する」ということへの欲求に、「ひとつのものには複数の側面がある」という言葉は繋がるのかもしれない。そんな、「分ける」「繋げる」ということの繰り返しで、私たちの世界観は進んできたのではないだろうか。
その主語・目的語を、明示的に私自身とした時には、それは「分かれること」「繋がること」への欲求ということになる。そう考えてみても、その繰り返しで私たちの世界は時を進めてきたのかもしれない、とふと思う。
2010-03-20[n年前へ]
■到達できるのはたかだが<よりよい近似だ>ということ
ロゲルギストの「新 物理の散歩道〈第4集〉 」の 「文科と理科」から。
また自然科学には<絶対に正しい理論>はなくて、われわれが到達できるのはたかだが<よりよい近似だ>ということ―教条主義のアンチテーゼ―をさとらせることができれば申し分ない。
2011-02-14[n年前へ]
■雲のシッポは「雲からこぼれ落ちる雪」
寒い晴れた日に青空に浮かぶ雲を眺めていると、シッポが出ているかのように見える雲に出会うことがあります。
雲の下の部分からシッポのようなものが垂れ下がり、そして風に吹かれるかのように横に伸びている姿を見ることがあるのです。たとえば、下の写真はそんな景色を写したものです。画面中央左あたりで、雲の下に不思議なシッポが写っていることがわかるかと思います。
たぶん、こんな「雲のシッポ」は「雲からこぼれ落ちる雪」なのだろう、と思っています。雲から部分的に雨か雪が降り落ち、降り落ちる雪が風に吹かれて遠くへ流されて行くさまなのだろうと「(空気の流れに沿う動きから勝手に予想した)雲から降り落ちるものの密度や大きさ」からおぼろげに考えているのです。
とはいえ、それは何か確かめたわけでもないただの思い込みです。あの雲のシッポは「雲からこぼれ落ちる雪」なのかを知りたくて、次にそんな雲を見つける機会があれば(そんな機会が何度もあるかどうかが怪しいところですが)、すかさずその雲の下まで「その正体」を確かめに、力一杯駆けて行きたいと思っているのです。
2011-03-18[n年前へ]
■「雲のシッポ」の中に入ってみた。
雲から垂れ下がりつつたなびいているシッポは「雲からこぼれ落ちる雪」だと思っています。
雲の下の部分からシッポのようなものが垂れ下がり、そして風に吹かれるかのように横に伸びている姿を見ることがあるのです。…たぶん、こんな「雲のシッポ」は「雲からこぼれ落ちる雪」なのだろう、と思っています。この前、雲のシッポのことを見た時にこんなことを書きました。
雲のシッポは「雲からこぼれ落ちる雪」
…次にそんな雲のシッポを見つける機会があれば(そんな機会が何度もあるかどうかが怪しいところですが)、すかさずその雲の下までその正体を確かめに、力一杯駆けて行きたいと思っているのです。
今日、夕日が沈もうとする道の向こうに、浮かぶ雲から「雲のシッポ」が垂れ下がっているのが見えました。そこで、力一杯そのシッポに向かって走ってみました。
雲のシッポの中は「吹雪」でした。雲のシッポに向かって走っていた時には、風は強いけれど、頭上には蒼空がのぞく夕暮れだったのに、シッポの中に入ったと思った瞬間、たくさんの雪がうずまく風とともに四方八方から降り注いでいたのです。雲のシッポに入った瞬間、周りの街の灯りが、吹雪(ふぶき)の向こうに霞んでしまいました。右の写真は、「私が入ってみた雲のシッポ」が通り過ぎ・走り去ってしまおうとする瞬間に撮った写真です。
「(近くに雲のシッポを見かける)そんな機会が何度もあるかどうかが怪しいところですが」なんて書きましたが、雲のシッポを気にかけてさえいれば、「雲のシッポ」を捕まえて、「雲のシッポ」の中に入ってみることだってできるのです。
そんなことを考えていると、ふと「運命の女神は後頭部が禿げている」という言葉を思い出します。
運命の女神は後頭部ハゲだ。女神を後ろからから追いかけても無駄だ。彼女の後ろ髪をつかむことは絶対にできないからだ。運命の女神を捕まえようと思うなら、女神の前髪のある正面にに先回りすることだ。
今日確かめることができたのは、「雲のシッポ」は「雲からこぼれ落ちる雪」だ、ということでした。