2011-04-03[n年前へ]
■「プレゼンする」ための基本的な「技術」
少し前に書いた「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」の日本語版第5刷と台湾版初版が、先月出荷されました。
この本が「論理的」かどうかはさておき、人に何かを伝えようとする時のアドバイスを詰め合わせた本としては、手に取る価値があるものだと思っています。「基本的なことを書いた」ので「基本的過ぎる」と思う方も多いと思います。けれど、95パーセントの人は「その基本的なことができていない」というのも、またひとつの事実なのです。
基本的なことに重心を置きすぎただろうか…と考えていた時に、こんなことを言われたことが印象に残っています。
「論理的にプレゼンする技術 が一番売れた書店は、実は東京大学キャンパスの生協なんです。基本的過ぎると考えているかもしれないですけれど、"頭がいい東大生"ですら”そんな基本的”な本を買っていってくれているんです。おもしろいですよね?」
そんな解析結果が、「うーん、なるほどなぁ」…と納得させられつつ、同時に「(底なしの向上心旺盛な)東大生恐るべし」とも感じさせられた、エピソードだったりします。
2012-01-11[n年前へ]
■「逆に言えば」を使うのはどんなとき?
スラッシュドットでこんなコメントを読んで、なぜだか、少しの「ひっかかり」を覚えました。
「逆に言えば」でちゃんと対偶を持ち出すあなたは結構頭がいい人ですね。大抵は数学的な「逆」や「裏」を持ち出す人が多いので。その「ひっかかり」を、自分の中でたぐって考えてみると、まずは「逆に言えば」を使うのはどんなときだろうか?という疑問に繋がっているようです。
「逆に言えば」という言葉は「”見方”を”逆”にする・ひっくりかえしてみる」というものであって、「(論理学で用いられる)対偶」に相当する文を使うこともあるけれども、むしろ「視点・考え方・発想の転換」を含む(「対偶」というわけではない)文を伴う時こそが、「逆に言えば」が効果的に使われる状況じゃなかろうか…と感じます。そして、それは必ずしも「論理的」というわけでない日常会話中で使われることが多い言葉なのではないか、とも感じたのです。
その「感じ」を、つまり、
「(論理学で用いられる)対偶」に相当する文を使うこともあるけれども、むしろ「視点・考え方・発想の転換」を含む(「対偶」というわけではない)文を伴う時こそが、「逆に言えば」が効果的に使われる状況じゃなかろうか?という「感じ」を整理するために、試しに、「食べた分以上にカロリーを消費すれば太らない」という言葉に続く「逆に言えば」の例を考えてみることにします。
1番目は、「(論理学で用いられる)対偶」に相当する文が使われる例です。
消費分より多くのカロリーを取ると、太ってしまう。逆に言えば、太らないということは、消費分より多いカロリーはとっていない、ということだ。この言葉を聞くと「論理的で仰る通りでございますね…」と思いますが、眼からウロコ的な「転換」といったものは特に感じないのではないでしょうか。つまり、この「対偶」に相当する文例では「逆に言えば」というほどの「逆」感を与えないのです。
それに対して、2番目のこの例ならどうでしょう。
消費分より多くのカロリーを取ると、太ってしまう。しかし、逆に言えば、運動を十分するのであれば、いくら食べても良いということなのだ!この例では、「(論理学の)対偶」ではなく、むしろ「(論理学の)裏」を感じさせる”流れ”です。その結果、「消費分より多くのカロリーを取ると、太ってしまう」のが正しかったとしても、「運動を十分するのであれば、いくら食べても良い」ということにはならない状況も多々あることでしょう。
しかし、前半部分の言葉を聞き「食べる量を制限しないとマズイかな…」という雰囲気を感じた相手に、「食べる量じゃないんだ!どれだけ運動するかなんだ!」と力一杯叫ぶ熱血体育会的な「視点・考え方・発想の転換」を感じさせるのではないかとも思います。
論理的に正しい・正しくないではなく、「視点・考え方・発想の転換」があり、それが何らかの眼からウロコ的な気づきを与える言葉の前にこそ置かれるべきなのが、「逆に言えば」ではないか、と想像したのです。
冒頭の「ひっかかり」は、こう言い換えても良いのかもしれません。
演繹的に正しい言葉、論理的に100%正しい言葉を使うのは、果たして”頭がいい人”なんだろうか?「視点・考え方・発想の転換」を伴わなければ、進歩もないし・新しい何かが生まれることもないし・楽しくもないんのではなかろうか…というようなことを(非論理きわまりないアタマであるせいか)感じた…ということになります。
2012-12-06[n年前へ]
■「論理的にプレゼンする技術」を買ってiPad miniを手に入れよう!?
「論理的にプレゼンする技術
」の第7版が届きました。これまで「腰巻(本に巻かれている帯紙)」部分のデザインが、カバー表紙に合成されています。つまり、いわゆるひとつのコスト・エンジニアリングというかバリュー・エンジニアリングなランニング・チェンジが行われています。
iPad miniが当たるプレゼントセールをしている…ということですから、iPad miniを手に入れたい…という方がいらっしゃいましたら、年末ジャンボを買うつもりで、ひとつ(といわず何冊も)買って欲しいところです。
2013-06-30[n年前へ]
■暑中お見舞いに「論理的にプレゼンする技術」はいかがでしょうか!?
「論理的にプレゼンする技術」がありがたいことに増刷(8刷)されるようです。
こんな本を、本屋さんの棚の中で見かけることがあったなら、優しく抱き上げて頂ければ(そしてレジまで運んで頂けたら)何より幸いです。
ですから、あなたが誰かの目の前でなにかを見せ(プレゼントして)、その存在を相手に心から実感してもらうこと、それが「プレゼン」なのです。(中略)本書があなたのプレゼン、あなたの"present"をより確かにする手助けができたなら、心よりうれしく思います。
「あとがき」から
2014-06-12[n年前へ]
■論理的にプレゼンする技術 第9版
「論理的にプレゼンする技術」が第9版になりました。
先月、テクニカル・プレゼンを題材にする場で話をさせて頂いた時、一番最後のスライドにはこんな言葉を掲げました。「聴き手にとっての自然を意識することを話したけれど、何より一番大事で失ってはダメなことは、自分にとっての”自然”だ」ということです。
Do what you feel in your heart to be right, for you’ll be criticized anyway.
Eleanor Roosevelt (1884-1962)
そんなこんなで、本屋で見かけることがあれば、あるいはAmazonで眺めた時、(だまされたと思って)ポチッとして頂ければ幸いです。