2011-07-10[n年前へ]
■1年365日続く毎日「スペシャル」な日常
ビニール・プールに許容量を遙かに超えた水を注入すると、長方形の水面が楕円形へと姿を変えていきます。そんな水面に浮かんでみたり・沈んでみたり、青空を水中から眺めてみたり・水面の上に顔を出してみたりしつつ、さまざまな本を読んでいます。
六角橋商店街の闇市で買った「野宿野郎 2号(特集:お遍路野宿)」を読んでいると、こんな一節に出会いました。
よく「遍路は人生のようなものだ」と言われますが、あながちクサイだけの比喩ではないと思います。
一歩一歩あるいていれば、いつか次の札所に着き、気がつけば八十八番を打ち終わっている。毎日毎日生きていれば、いつか人生が終わっている。
イマイアキラ
水に濡れたラッシュガード越しに吹く風は、いつもの千倍涼しさを感じさせ、(いつもはどこかに消えてなくなって欲しかったように思っていたはずの)熱い日差しが心地良くなります。
楕円形に変身した長方形ビニール・プール横にiPhoneセットを置き、moumoonの「HAPPY UNBIRTHDAY」をかけて、心地良いサビのリズムを聴いてます。水面に潜ると、音楽は聞こえなくなって、水の中にある水の音だけが、自分の耳と頭の中に響きます。そして、水面から頭を上げると、耳に詰まった水の壁の向こうから、ドラムとベースが奏でるリズムが出迎えてくれるのです。
とびきり、はちゃめちゃで行こう。
ちょっとのスペシャルが大事よ。
しなかったことを、してみよう。
お腹抱えて、笑っていよう。
いい日でも、そうでもない日も。
364日の、毎日スペシャルな日常、
いまは、今しかもうないんだよ。
こうなったら、どんな時も、
364日を、毎日祝い続けるよ。
moumoon "HAPPY UNBIRTHDAY"
2011-08-18[n年前へ]
■「次から次へと階段は続く。」
BE-PAL (ビーパル) 2011年 09月号 「八十八カ所巡礼 四国お遍路バックパッキングの旅」中で引用されていた空海「秘蔵宝鑰」 から。
人の心は前進もするし後退もする。心は常に動くのだから、急いで安住の地を見つけるのは正しくない。ひとつ段階を経てさらに深く考えれば、次から次へと階段は続く。
2011-08-21[n年前へ]
■「お遍路さん」は「ヘタパン(パンの耳)マン」
「ヘタパン」は「食パンの耳」のことです。 6枚切りとか8枚切りといった食パンを売る際に、カットされていないパンをパンカッターでスライスして袋詰めして売るコンビニ・スーパーなどで、食パンを切る作業で発生した「パンの耳」をビニール袋に入れて売っていたりします。京都辺りでは、その「パンの耳」をヘタパンと呼んでいました。
ヘタパンは貧乏学生たちの生活を支える貴重な激安で美味しい食べ物でした。食費を少しでも安く抑えたい貧乏学生たちは、食パンのカット作業がされる時間帯になると、コンビニに行き「ヘタパン…じゃなかったパンの耳下さい」と伝え(時には笑われ)、ビニール袋に詰められたパンの耳を一袋10〜30円くらいで買っていた(いる)のです。それは、「お接待」をされる・「托鉢」をするお遍路さんに、少し、似ています。
遍路をしている人に地元の方々が食べ物やお賽銭を差し出します。これを「お接待」と言います。昔の遍路は何十日もかかって、自動販売機も何もないところを歩きつづけたわけですから、遍路にとっては大変ありがたい風習だったのだと思います。遍路は、こうしたお接待を受けたら、断ってはいけないことになっているそうです。
一般社会で企業が顧客に対して行う、いわゆる「接待」には何らかの見返りの期待がこめられているわけですが、四国遍路における「お接待」は基本的に無償の行為です。
「お接待」とは
「ヘタパン」と「お遍路」は、偶然でなく必然として繋がっているものかもしれない、とふと考えました。それは、ヘタパンの「ヘタ」は「はしっこ」とか「へり」を意味する「辺・辺地(へた)」を語源にしているように思われ、同時に、「お遍路」という名前も「辺・辺地(へた)」に由来するからです。「お遍路さん」は外れた場所にある「辺地(ヘタ)」を歩く人たち、ヘタパンマンさんならぬ「おヘタ(辺地)さん」だったのです。
最初に四国を修行する人々の様子が書かれるのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で平安時代に入ってのこと。しかし、この中では、修行者が厳しい海岸の路を歩き修行する姿が記されているだけで、現代のような遍路の姿とはいえません。彼らが何を求めて修行していたかは明記されていませんが、中で修行者たちが伊豫、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界「根の国」へ渡ることを願った修行の一環ではないかと考えられています。そして、この中で注目すべきことが、修行が行われていた”海岸沿いの道や土地”のことを「辺地」(へち)と称しているという点です。
その後、補陀落浄土に至るための修行は、大師信仰が四国に広まるにつれ、お大師さまを思い四国を巡る現在のような遍路に変わってゆくこととなります。その際、当初、海辺の道や土地を表す言葉「辺地」・「辺路」は、「偏禮」「邊路」と変わりその後「遍路」と変化していきました。また、その読みも中世以降、「へち」・「へじ」から「へんろ」と変化していきます。
「お遍路のススメ」
貧乏学生たちを支えたヘタパンの語源に考えを巡らせるうちに、四国にある88ヶ所のお寺を巡る「お遍路」にまで想像は広がっていきます。そして、貧乏学生たちがコンビニのレジでヘタパンを受け取る姿が、「お接待」を受けるお遍路さんに重なるようにも見えてきます。
弘法大師空海は四国遍路の原点ともいえる人物ですが、彼自身が出世競争に負け、都を逃れて四国にやってきたわけです。ということは、勉強や仕事に負け、四国遍路に出るイマドキの若者は、空海と同じ道、すなわち遍路の正道を歩いているといえるのではないでしょうか。「世界の中心で愛をさけぶ」という題名の本・ドラマがありました。しかし、それは主観的な見れば、という(自分自身からだけ見た)話に過ぎません。客観的に眺めてみれば、私たちは誰しも「世界の端(はし)っこ=世界のヘタ(辺地)でクダラナイことを話す」毎日を過ごしています。
イマイアキラ「野宿遍路のホンネと実態」
「”人生をより低迷させる旅コミ誌”野宿野郎」2号
私たちは、みな辺地(ヘタ)・辺路(ヘンロ)を歩きながら、寄り道をしつつ生きているのです。…そんな毎日を俯瞰して眺めてみれば、少し、お遍路さんと似ています。
毎日起きて、服を着替えて駅まで歩き、電車に乗る。その日を過ごして疲れた後は眠りにつく。…私たちはみな、ヘタ(辺地)を廻り続けるヘタパンマンならぬお遍路さんです。時に「お接待」をされ、たまに「お接待」をして、グルグルグルグルと遍路(ヘタ)の円環を迷い・彷徨(さまよ)い・歩き続ける日々が、私たちの「毎日」なのかもしれません。
遍路人は修行者であったり、脱落者であったり、怠惰者であったりする。しかし、それは一向に構わない。…遍路は安らぎの円環である。苦しい人はいつまでも八十八カ所を廻ることができる。元気が出た人は円環から抜け出て生活へと戻っていく。
「五十一番札所石手寺」