2000-08-21[n年前へ]
2001-08-21[n年前へ]
■高精細15インチ液晶ディスプレイを買いに。
もちろん、タイトルは「手袋を買いに」のパクリ。UXGA(1600×1200)対応というわけで、買うつもりになっているのだけど、 近所の店ではないぞ、と。いや、そもそももう発売されているのかどうかも知らないが。(リンク)
■最大風速30m
ニュースで「最大風速30m」は時速90kmの車から顔を出しているようなものです、と言っていた(ように聞こえた)。その数値の不思議は置いておいて、それを聞いて私の頭に浮かんだのはもちろんアレだ。
「ってことは、すなわち台風はFカップ弱の嵐ってことですか?」「それは、まさに天の恵みですか?」「こんなこと考えるのはワタシだけですか?」「そんなことないですよね、みんな考えますよね?」「ねぇ?」
■運命と偶然の境 その2
そして、「偶然・必然・自然」というような言葉を眺めていて、少し不思議に思った。「偶然」と「必然」は対極にあるように思えるし、「自然」は必然でもあるし、偶然でもある気がしたのである。
で、これらの言葉が「然」という言葉で結び付けられているのに対して、他の言語ではどうなのだろうか?とさらにはふと思ったりした。
2004-08-21[n年前へ]
■GraphVizによるToDoList
surftrail. from 優雅な生活が最高の復讐である
2005-08-21[n年前へ]
■齋藤孝が語る仕事
気になるフレーズがとても溢れつつ、何かどこかがひっかかる「持ち出し、前倒しを厭(いと)わない」
「一軍になれないけれど、サッカーの日本代表メンバー」「発想は豊かでないけれど、他の人を丁寧にサポートできる人」…やはりその人たちはスゴイ人だと思う。スゴイ人たちに、「あなたもがんばって下さいね」と言いたい、そんな記事なんだろうか?そんなに、人はそんなに成功物語に憧れているんだろうか? 人はそんなに「チャンス」を掴もうとしているんだろうか?
記事には直接は出てこない「インタビュアーが発した言葉」を、私は少し聞いてみたかった気がする。そして、「常勤という束縛が力を生む」も、気になるフレーズがありつつも、やはり少しひっかかる…。
■会社員の「役職 v.s. ストレス度合い」
朝日新聞の昨日の夕刊に「労働政策研究・研修機構」の職業意識調査の結果が載っていた。役員は平社員より、ストレスを感じていないというアンケート結果の数字が出ている。おそらく、比較的大きな規模の企業の会社員であれば、当たり前の結果に見えるそうだ。小さい企業では、全然違うだろうが。とりあえず、数字だけではちょっと実感できなかったので、グラフにしてみた。
ついでに、給料を適当に推定して、「役職 v.s. ストレス/給料」のグラフも作ってみた。しかし、ストレスで「コスト・パフォーマンス」を計算してみてもしょうがないか…。買いたくて買うわけではないのだから…。じゃぁ、というわけで、その逆数の「役職 v.s. 給料/ストレス」のグラフも作った。ストレスを払って、給料をもらう…という感じで…。
2006-08-21[n年前へ]
■ボールを頭上に載せて運ぶ「くっつきドリブル」
Narinari.comの「サッカーに新たな大技? 話題呼ぶ「くっつきドリブル」とは」という記事。
頭でリフティングをしながらピッチを走り回り、…(その)頭の上をはねるボールを奪うには、相手選手は上手くボール目がけてヘディングを仕掛けるか、ファウルで止めるしか方法がない
2007-08-21[n年前へ]
■コメント文の入力ミス
Railsで「Wiki+画像処理」アプリを組んでいると、C++(と少しのRuby)で画像処理部分を書き、RubyとJavaScriptとCSSでデータ管理とWEB表示を書く、という作業になる。こんな作業をしていると、「コメントの入力ミス」でエラーが出ることが多い。つまり、
// あとで書く # とりあえず /* こんな感じ */なんていう書き方を間違えてエラーを出してしまうことが多い。C++やJavascriptで # hogehoge なんて書いてしまったり、Ruby で // hogehoge なんて書いてしまったりする。
それぞれの言語がまだよくわかわっていないし、簡単な内容しか書いていないので、「プログラムっぽい」部分の違いで困るということはなく、単にコメント文で間違えてしまうようだ。あるいは、口で喋るようにスムースにタイプできるのが「コメント部分」だけで、それ以外の箇所は考え考えタイプしているせいなのかもしれない。
発想は豊かでないけれど、他の人を丁寧にサポートできる人」…やはりその人たちはスゴイ人だと思う。
2008-08-21[n年前へ]
■「姉を慕い続けた少年ジャック」
2008年7月19日(土)の朝日新聞、「うたの旅人」はとても興味を惹かれた。ペギー葉山の「爪」を題材に、演出家・作家の久世光彦のことを書いた記事だ。
「もう、向田さんのことを言ったり、書いたりするのをやめよう」とつぶやくのを聞いた。06年、急逝した年だった。
「久世はやはり深爪で、裸足が好きでした。おしゃれで気の利いたお姉さんのような向田さんの影響をいっぱい受けてます。きっと心配りの仕方や好みまでまねていたのだと思います」一時期、向田邦子や久世光彦が書いた本、向田邦子や久世光彦に関する本を見つけるたびに読んだ。
向田さんの、一目会った人を虜にしてしまう人たらしぶりは伝説に近い。…久世さんもまた、接した相手の心をつかむ人だった。かけられた言葉をずっと宝物のように覚えている編集者や書評家も少ないくない。
「演出家として身に付いた癖なのよね。演出家は、出演者の一人ひとりを、違う言葉で口説き落とす仕事だから」
「私は、少なくともあの一夜だけは、あの人を愛していたのだと思う」
「久世ちゃんは、度を超すくらい好きだったんだと思うよ」
「だからこそいつまでたっても思いきれない人なのかもしれない」
2009-08-21[n年前へ]
■「軽量折り畳み自転車YS-11開発記」と「ケータイ用防水パック」
自転車で海辺に行き、人のいない岩場に寝転がって本を読んだり、シュノーケルをつけて海の中にたくさんいる色々な魚を眺めたりしている。今日、海に浮かぶ岩の上で読んだのは、軽量折りたたみ自転車YS-11を作った白井健次さんの「YS‐11、走る!―たった一人で世界と闘う技術者魂 」だ。一人で「理想に近い自転車」を作りあげていく話で、時間も潮の満ち引きも忘れて読みふけってしまった。
国産旅客機の技術管理に携わさった白井さんが、理想の折りたたみ自転車を生み出していく過程は、何とも面白く惹かれてしまう。たとえば、こんな風に自転車のイメージを作り上げ、
つまり縮めてたためる「折りたたみ自転車」が前提となる。・・・タイヤは14インチから16インチの小径サイズ。・・・タイヤをスライドさせ、ただたたむのではなく、縮めてたたむというもの。
軽く、というコンセプトは安価で、という条件が付くことが大事なのだ。そして、そんな製品を実際に生み出していく。技術が好きな人なら、きっと読み始めたら止まらないカッパえびせん状態になると思う。(ちなみに、本書ではA-bikeに対して「タイヤ径6インチ。乗り物としては、日本の道路では走れない」というように言及している。)
夏の海の岩の上で、その波瀾万丈の開発記を読み終わり、海へ入り直してみると、綺麗な魚が泳いでいた。そんな美しいさまはケータイ動画などで撮影してみたくなる。しかし、私のケータイは残念ななことに防水機能がはない。
今度、ケータイ用防水パック (あるいはこういったもの )でも買って、海中世界をケータイ電話で撮影してみることにしよう。こういうとき、人が足を踏み入れないところで泳いでいるメリットが生まれる。なぜかといえば、人がいる海水浴場でケータイを持ち出し、動画撮影なぞ始めた日には・・・とんでもないことになるに違いないからである。
2010-08-21[n年前へ]
■不思議にインターナショナル感あふれるアジアの街角
産経新聞の「簡易宿泊所がオシャレなホテルに…変わるドヤ街」という記事を読みました。東京・山谷のドヤ街の簡易宿泊所が姿を変え、色々な人たちが滞在するようになっている(たとえばKANGAROO HOTEL)という話です。
山谷の簡易宿泊所約160軒で構成する「城北旅館組合」の帰山哲男さん(59)によると、周辺の宿は、1泊1000円代から高くても3500円。宿泊所には生活保護を受給している元労働者が多く暮らしているが、10年ほど前から外国人を受け入れるようになり、今や節約志向のビジネスマンや就職活動中の大学生らも山谷を目指すという。「ドヤ街」という言葉を知らない人のために、こんな「ドヤ」の説明を貼り付けておきます。
日雇い労働者の街として知られる山谷が急速に変化している-。そんな声を聞き最寄りの南千住駅に向かった。山谷の姿を3回でルポする。
かつては通称ドヤと言われていた。これは宿(やど)を「人が住むところではない」と自嘲的に逆さまに読んだのが始まりといわれる。
東京近辺では、ドヤ街の代名詞になっていたのが、山谷、今でいう南千住の辺りです。「あしたのジョー」の中の地名を思い起こさせる(あしたのジョーの舞台がどこかは諸説ありますが)「泪橋」交差点を中心とする街です。
以前、「泪橋」交差点を中心とする南千住の街にあるホテルのことを、「2700円以下で泊まれるベスト宿はどこだ!?」でこんな風に書きました。
不思議にインターナショナル感あふれるアジアの街角に、ふと迷い込んだような気になったりするかもしれません。記事を読んで思うこと・考えることは人それぞれ違うでしょうが、とりあえず、まずは何日か泊まってみると良いかもしれません。特に、南千住では、夕方と朝を過ごしてみるのがお勧めです。
私のように、とても気に入る人も少なからずいるのではないでしょうか。・・・責任は持てませんが、ためしに泊まってみるのも良いと思います。
2011-08-21[n年前へ]
■「お遍路さん」は「ヘタパン(パンの耳)マン」
「ヘタパン」は「食パンの耳」のことです。 6枚切りとか8枚切りといった食パンを売る際に、カットされていないパンをパンカッターでスライスして袋詰めして売るコンビニ・スーパーなどで、食パンを切る作業で発生した「パンの耳」をビニール袋に入れて売っていたりします。京都辺りでは、その「パンの耳」をヘタパンと呼んでいました。
ヘタパンは貧乏学生たちの生活を支える貴重な激安で美味しい食べ物でした。食費を少しでも安く抑えたい貧乏学生たちは、食パンのカット作業がされる時間帯になると、コンビニに行き「ヘタパン…じゃなかったパンの耳下さい」と伝え(時には笑われ)、ビニール袋に詰められたパンの耳を一袋10〜30円くらいで買っていた(いる)のです。それは、「お接待」をされる・「托鉢」をするお遍路さんに、少し、似ています。
遍路をしている人に地元の方々が食べ物やお賽銭を差し出します。これを「お接待」と言います。昔の遍路は何十日もかかって、自動販売機も何もないところを歩きつづけたわけですから、遍路にとっては大変ありがたい風習だったのだと思います。遍路は、こうしたお接待を受けたら、断ってはいけないことになっているそうです。
一般社会で企業が顧客に対して行う、いわゆる「接待」には何らかの見返りの期待がこめられているわけですが、四国遍路における「お接待」は基本的に無償の行為です。
「お接待」とは
「ヘタパン」と「お遍路」は、偶然でなく必然として繋がっているものかもしれない、とふと考えました。それは、ヘタパンの「ヘタ」は「はしっこ」とか「へり」を意味する「辺・辺地(へた)」を語源にしているように思われ、同時に、「お遍路」という名前も「辺・辺地(へた)」に由来するからです。「お遍路さん」は外れた場所にある「辺地(ヘタ)」を歩く人たち、ヘタパンマンさんならぬ「おヘタ(辺地)さん」だったのです。
最初に四国を修行する人々の様子が書かれるのは「今昔物語集(推定1140年前後)」で平安時代に入ってのこと。しかし、この中では、修行者が厳しい海岸の路を歩き修行する姿が記されているだけで、現代のような遍路の姿とはいえません。彼らが何を求めて修行していたかは明記されていませんが、中で修行者たちが伊豫、讃岐、阿波、土佐と四国の海岸を選んで修行していることから、当時、海の彼方にあると信じられていた神道上の世界「根の国」へ渡ることを願った修行の一環ではないかと考えられています。そして、この中で注目すべきことが、修行が行われていた”海岸沿いの道や土地”のことを「辺地」(へち)と称しているという点です。
その後、補陀落浄土に至るための修行は、大師信仰が四国に広まるにつれ、お大師さまを思い四国を巡る現在のような遍路に変わってゆくこととなります。その際、当初、海辺の道や土地を表す言葉「辺地」・「辺路」は、「偏禮」「邊路」と変わりその後「遍路」と変化していきました。また、その読みも中世以降、「へち」・「へじ」から「へんろ」と変化していきます。
「お遍路のススメ」
貧乏学生たちを支えたヘタパンの語源に考えを巡らせるうちに、四国にある88ヶ所のお寺を巡る「お遍路」にまで想像は広がっていきます。そして、貧乏学生たちがコンビニのレジでヘタパンを受け取る姿が、「お接待」を受けるお遍路さんに重なるようにも見えてきます。
弘法大師空海は四国遍路の原点ともいえる人物ですが、彼自身が出世競争に負け、都を逃れて四国にやってきたわけです。ということは、勉強や仕事に負け、四国遍路に出るイマドキの若者は、空海と同じ道、すなわち遍路の正道を歩いているといえるのではないでしょうか。「世界の中心で愛をさけぶ」という題名の本・ドラマがありました。しかし、それは主観的な見れば、という(自分自身からだけ見た)話に過ぎません。客観的に眺めてみれば、私たちは誰しも「世界の端(はし)っこ=世界のヘタ(辺地)でクダラナイことを話す」毎日を過ごしています。
イマイアキラ「野宿遍路のホンネと実態」
「”人生をより低迷させる旅コミ誌”野宿野郎」2号
私たちは、みな辺地(ヘタ)・辺路(ヘンロ)を歩きながら、寄り道をしつつ生きているのです。…そんな毎日を俯瞰して眺めてみれば、少し、お遍路さんと似ています。
毎日起きて、服を着替えて駅まで歩き、電車に乗る。その日を過ごして疲れた後は眠りにつく。…私たちはみな、ヘタ(辺地)を廻り続けるヘタパンマンならぬお遍路さんです。時に「お接待」をされ、たまに「お接待」をして、グルグルグルグルと遍路(ヘタ)の円環を迷い・彷徨(さまよ)い・歩き続ける日々が、私たちの「毎日」なのかもしれません。
遍路人は修行者であったり、脱落者であったり、怠惰者であったりする。しかし、それは一向に構わない。…遍路は安らぎの円環である。苦しい人はいつまでも八十八カ所を廻ることができる。元気が出た人は円環から抜け出て生活へと戻っていく。
「五十一番札所石手寺」
2012-08-21[n年前へ]
■「今の瞬間の微分」と「あらゆる時間の積分」と
「たった30年」くらい前、I/O誌で連載状態だった芸夢狂人さん。
「20年近くも前のことですし、もうしゃべっちゃってもいいでしょう」「秀丸シリーズのシェアウエアによる売り上げは(ピークとなる1996年~98年当時には)最高で1億5000万円くらい」
「十年前」2002年には何をしていたでしょう? …”夏の夜空を見上げれば、あの頃流れてた電波の行方が、かつて眺めた番組が見えてくるような気がします
2002年7月21日『あの頃流れた電波の行方』
「10年後」「20年後」…何をしているかなんて、皆目見当がつかない。どうやら、今を常に積分し続けたその先に、10年後や20年後があるらしい。
今、時を遡ってあの時の自分に会えるなら、絶対後悔しないから もっとやれ、とハッパをかけるだろう。
でも、人生の到達点はそれまでの積分なんだから、同じアドバイスが どの時点でも有効なはずだ。やりたいことはたくさんある。それなら、 絶対後悔しないから、貪欲に、遠慮せずにやればいい。
「知っておきたかったこと」@Island Life
今、この瞬間にやりたいこと・進みたい向きを指し示すことが、「今の瞬間の気持ちや行動の微分ベクトル」で、それらを重ね続けた「あらゆる時間の積分」が、どうやら未来や人生を作るらしい。
2013-08-21[n年前へ]
■「雑誌の読者プレゼント」と「ベンフォードの法則」
「雑誌の読者プレゼント」でプレゼントが読者に送付されておらず、雑誌に「プレゼント当選者」として記されていた人たちの氏名(名字と名前)は、適当に作られた架空のものだったというニュースを見て、こんなことを考えました。
名字や名前の比率がわかっていれば(さらには、県別年齢別のそういった比率などがわかっていれば)、雑誌に記されている「プレゼント当選者」たちの名前が統計的に見て「自然であるか、それとも不自然であるか」がわかりそうです。
世の中にある多くの数字に対して「最初の桁が1である確率は30パーセントにもなる。さらに、最初の桁に現れる数字は小さな数値ほど確率が高い」というベンフォードの法則が成り立ちます(参考:「大学入試問題」と「ベンフォードの法則」)。たとえば、右のグラフは「2011年にhirax.netからAmazon広告経由で販売された商品データ一覧」を使って、「商品の値段の一桁目の数字は何か?」を調べてみた結果です「一桁目の数字の3割は”1”である」という「ベンフォードの法則」にほぼ沿っていることがわかります。逆に言えば、こんな風に数字の統計データを眺めてみた時に、「ベンフォードの法則」に沿っていなければ、「あれ?何だか不自然だな…何か隠れた理由があるんだな」ということに気がつくことができるわけです。
雑誌の読者プレゼント当選者たちの名前を「統計的に自然であるか・自然でないか」を自動チェックしたら、一体どんな風になるのでしょうか。たとえば、鈴木・佐藤・田中…といった名字を持つ「当選者」の比率は、現実の比率に沿ったものなのでしょうか。あるいは、名前の比率は自然なのでしょうか?…ちょっと調べてみたくなりますね。
もしかしたら、将来の電脳世界では、電脳世界中にあるリストデータたちに対して、そういったリストの中身が「自然か不自然か」を判断するパトロール・ロボットが存在し、電脳世界を日夜取り締まりしていたりするかもしれません。
2017-08-21[n年前へ]
■続 300円くらいで「高性能な立体顕微鏡」を作ってみよう!?
300円くらいで「高性能な立体顕微鏡」を作ってみよう!?で試した、約300円で買ったスマホ用レンズで特殊撮影+後処理+3D表示をするソフトウエアを、スマホ(iOS)単体で行うことができるようにする作業をしています。
そんな「300円でできるスマホ立体顕微鏡ソフト」を作る作業をしていると、スマホが「ありとあらゆるセンサー」と「昔のスパコンレベルの計算能力」を備えているために、なんだかとても楽しくてハマっているところです。
いわゆる「8月31日まで」の夏休みの終わり・・・までに終えることはできそうにないですが、9月の終わりくらいまでには一旦リリースしたいなと思っています。