2004-03-01[n年前へ]
■広い世界は狭い世界
昨日の川上弘美のインタビューの続き。
インターネットは時々、知り合いに見せてもらっています。(中略)こんな調子ですから、私は、すごく狭い世界というか、従来どおりの普通の世界で生活しています。これはやはりインターネットが広い世界、というニュアンスだろうか。「(特にインターネットを指すわけではなく)広くて色んな人がいる場へ行ってみたつもりが、ふと気づくと周りはなんだか似たような人達。広い世界を探しに出たハズがいつの間にか、自分と似た人ばかりの少し狭い世界に入り込んでしまっているような…」ということはよくあるように思う。
広い世界はえてして狭い世界を作る。似たようなものを集めようとする力がある限りは、母集団が多い場の方が純粋に似たものが数多く集まってしまう。とはいえ、もちろん狭い世界はやっぱり狭い世界なんである。ただ、さらに狭くなるのが難しい、というだけで。
2004-04-15[n年前へ]
■「通りすがり」という名前
「無しさんと一緒で集団の圧力をかさに着てるような雰囲気もあるような」という風には私は全然感じない。しかし、
「通りすがり」を使っている人を最近よく見るんですが、あんまり印象良くないです。という感想には何度でも強く頷きたい。いや、「あんまり」ではなくて、「とても」印象が良くない。言葉を発したからには、「通りすがり」なんかじゃ困ると思う。その言葉への反応をちゃんとその場に居続けて聞いて欲しいものだ。
だから、何故か掲示板などで見かける「通りすがり」という名前の意見は無視が基本だ。「通りすがり」で「名乗るほどのものじゃない」っていうのは、時代劇の中でよほどの人助けでもした場合じゃないと使っちゃいけないフレーズなのじゃないか、と思うんだが。
2005-06-02[n年前へ]
■ガードレールに「金属片」
ガードレールに「金属片」というニュース。"白装束集団"パナウェーブ研究所による「毒毒電波回避」のための何らかの避雷針?なんて一瞬思ってしまったのは、絵に描いたような偏見?
2005-11-26[n年前へ]
■アクセス数の現実
「はてなブックマークのトップに載るより、カトゆーに載った時のほうがはるかに大量のアクセスが来る」で思い出したのが、「テキストサイト < ニュースサイト < アダルトサイトという現実」だ。この各ジャンルからリンクを張られたとき、そのリンクによるアクセス数の違いは(それぞれ)一桁強違う、という感覚だ。
そしてまた、「大きな個人サイト(はてな)が運営する、集団ニュースサイト」というはてなブックマークのサイトとしての性質を考えれば、それが「テキストサイト」と「ニュースサイト」の中間に位置するのは、とても自然に思える。
2006-02-18[n年前へ]
■「our faceプロジェクト」写真展
東京のキャバクラ嬢29人、千葉県鴨川市の漁師78人、子育て中の東京の主婦60人、大阪府岸和田市だんじり祭、並松町の人びと60人…、原宿の少女、東京の会社員、南の離島に暮らす人々、房総の漁師…色々な集団ごとの「平均顔」を撮影・合成するプロジェクトのour face。
いま、globalという言葉が盛んに使われます。本当に世界はグローバルになっているのでしょうか?
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