2008-12-21[n年前へ]
■「すいかの匂い」の「解説文」
本の最後に付いている「解説」を読むと、その本を読んで感じたことが的確な言葉で書き表されていて、自分の思いを再確認することができたりする。あるいは、その本を読んだのに感じられなかったこと、読解力・想像力が足りなくて、自分で読んだだけでは気づかなかったことを教えられたり、する。
江國香織「すいかの匂い (新潮文庫)」の解説文は、川上弘美が書いている。江國香織と川上弘美、どちらも魅力的な文章を書く。だから、江國香織の文章を、川上弘美の文章が解説する「すいかの匂い」はポケットの常連だ。
江國さんにおいていちばんすばらしいのは、「どんな言葉をここにあてはめるか」ということに関する選択眼だと思う。江國香織の「すいかの匂い」を読んでみる。しばらくしてから、川上弘美が解説する「江國さんのひみつ」を読む。自分が感じたこと、けれど言葉になかなかできないことが、当たり前のように表現されていると、何だか少し気持ち良い。
工芸品をつくる職人さんのような技だと思う。完成した作品はとてもなめらかなので、どんな技を使ったか、すぐにはわからない。わからないけれど、確かに技は使われている。わからないということが、何より、技を使ったしるしなのだ。
すいかの匂いに出会うと、いつも江國香織を思い出す。そして、顔を上げてその匂いの先を眺めてしまう。
2009-01-10[n年前へ]
■川上弘美と「不安」
川上弘美がインタビュー「彼女たちは小説を書く」の中で後藤繁雄に対して口にした、少し新鮮に響く言葉。
(恋人が)どういうふうに私のことを思ってるのかというところが確認できないと、うすうすでもわからないと、すごい不安でしょうがない。
川上弘美 「いとしさとかなしさと」
2012-02-29[n年前へ]
■「書き表す」ことの理由や原動力
ほぼ4年に1度、2月29日がやってきます。もう少し正確に書けば、4で割り切れ、かつ、「100で割り切れるけれど400では割り切れない年」でない、という年になると、2月29日がやってきます。…少しわかりにくい「決まりごと」ですから、100年に一回、あるいは、400年に一度くらいは、上手く動かないシステムもありそうです。
twitterなどに書かれるたくさんのつぶやきを眺めつつ、少し珍しい2月29日の「n年前へ」に書かれた、こんな言葉を思い起こします。
何かを人に知らせるために書くとか、何かを感じさせるために書こうと意識すると、そこでもうお説教になっちゃうような気がします。変な言い方ですけど、書く側っていうのは、これが届いてほしいとか、誰のためだとかは考えず、ただ書くために書いたほうがいいと思うんです。
川上弘美
web日記書きってのも自問自答凄そうな人達だよなー。闇を抱えているから人はwebで日記なんて書くんだ。
アクティブにいきたいねと思いつつ日記
限りない自問自答の数が、表現力の目安となると信じてやまない。
阪本順治
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