hirax.net::Keywords::「川上弘美」のブログ



2001-11-09[n年前へ]

今日買った本 センセイの鞄 川上 弘美著 

 夜、八重洲ブックセンターで。二つ目のリンク先は、読んだ人以外は読んじゃダメって感じだ。(リンク)(リンク

2004-02-12[n年前へ]

他の人が見た世界 

詩人は、世界をつくる。私が見たこともない世界を。私がものすごくよく知っている世界を。その両方を併せもつ世界を。いつだって私は、そのことに、驚嘆してしまう 川上弘美
 「われわれは他人とまったく同じものを見ることができない、残念だが(by お笑いパソコン日誌)」 だから、自分が眺める世界や景色が他の視点からどんな風に見えているのかを眺めてみたい、と思う。そんな世界を知りたい、と思う。そして、自分が眺める世界をさらに深くしてくれる視点を見かけると、それを自分のものにしたくなる。

2004-02-29[n年前へ]

闇を抱えているから人はwebで日記なんて書くんだ 

 Kさんからのメールで知った、川上弘美のインタビュー。

何かを人に知らせるために書くとか、何かを感じさせるために書こうと意識すると、そこでもうお説教になっちゃうような気がします。変な言い方ですけど、書く側っていうのは、これが届いてほしいとか、誰のためだとかは考えず、ただ書くために書いたほうがいいと思うんです。川上弘美
from BOOKアサヒコム

 「誰のためだとかは考えず、ただ書くために書く」という一節を読んで、それは「自問自答」するようなものなんだろうか、とふと考える。そういえば阪本順治は「限りない自問自答の数が、表現力の目安となると信じてやまない」と言っていたっけ、と思い出す。
 そういえば、「web日記書きってのも自問自答凄そうな人達だよなー。闇を抱えているから人はwebで日記なんて書くんだ。」なんていう「アクティブにいきたいねと思いつつ日記」の一節も面白いかも。

2004-03-01[n年前へ]

広い世界は狭い世界 

 昨日川上弘美のインタビューの続き。

 インターネットは時々、知り合いに見せてもらっています。(中略)こんな調子ですから、私は、すごく狭い世界というか、従来どおりの普通の世界で生活しています。
 これはやはりインターネットが広い世界、というニュアンスだろうか。「(特にインターネットを指すわけではなく)広くて色んな人がいる場へ行ってみたつもりが、ふと気づくと周りはなんだか似たような人達。広い世界を探しに出たハズがいつの間にか、自分と似た人ばかりの少し狭い世界に入り込んでしまっているような…」ということはよくあるように思う。

 広い世界はえてして狭い世界を作る。似たようなものを集めようとする力がある限りは、母集団が多い場の方が純粋に似たものが数多く集まってしまう。とはいえ、もちろん狭い世界はやっぱり狭い世界なんである。ただ、さらに狭くなるのが難しい、というだけで。

2006-02-28[n年前へ]

「書く・表現する」こと 

 from n年前へ(うるう年の2月29日分).

何かを人に知らせるために書くとか、何かを感じさせるために書こうと意識すると、そこでもうお説教になっちゃうような気がします。書く側っていうのは、これが届いてほしいとか、誰のためだとかは考えず、ただ書くために書いたほうがいいと思うんです。  川上弘美
できるだけの暗部と限りない自問自答の数が、表現力の目安となると信じてやまない私は、表現を生業にしている人と呑む時、つい、その人を観察してしまう癖がある。 この人の闇は、どれほどの闇なのか、この人の自問自答はどれほど激しいのか、と。  阪本順治
web日記書きってのも自問自答凄そうな人達だよなー。闇を抱えているから人はwebで日記なんて書くんだ。  fujiko



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