2008-07-22[n年前へ]
■エクセルでシミュレーション Vol.5 [冷たく美味しい湧水 編]
暑い夏空の下、私たちが立つ地面の遥か奥底で流れる地下水が、長い時間をかけ湧水地にまで流れてくるようすを眺めてみたくなりました。そこで、そんなシミュレーション計算をしようと エクセルでシミュレーション Vol.4 [定常理想流体準備 編]で計算の準備をしてみました。
というわけで、準備したワークシートが下の画像です。左上に山腹の高原湖があって、右下には海辺近くにある湧水群がある、という具合です。右上半分は青空で、一番下の列は固い岩盤が水を遮っている、というのがこのエクセルのセルで描かれたモザイク画です。
上のような状態で、定常な理想流体のポテンシャル流れを計算してみた結果が、下の図になります。左上の湖水が地中に沁みわたり、ゆっくりと時間をかけて冷えて漉されて美味しい水となって、湧水地に辿り着くまでの姿が見えてくるような気がします。
エクセルのグラフからは見えてこないかもしれませんが、富士の近くで眺める湧水は本当に澄んでいます。空の色を少し映して、ほんのりと水底を青緑色に染め、その上の水面に夏の青空と白雲を重ねた、そんな景色を見せています。
2008-12-04[n年前へ]
■ぼくらはどういう状態にいたいのだろう?
Rubyのまつもと氏「エンジニアに安住の地がなくなってきている」と警鐘という記事を読む。
情報の格差というものがある。それは解消すべきともいわれるが、モノが高いところにあれば、位置エネルギーが発生し、電気を起こしたりすることができる。情報の場合も、上の方やまんなか辺りにいれば、位置の差でエネルギーを取り出せる
まつもとゆきひろ
この言葉を読むと、以前「競馬」と「資本主義」で書いた、(AERA Mook Special 「21世紀を読む」の中で岩井克人が書いていた)「イデオロギーとしての資本主義は、”見えざる手により調整される自己完結したシステム”だが、現実の資本主義は ”(場所・価格・情報といった)違いを利用して利潤を生むシステム”だ」といった言葉を思い出す。
”違い・差”があって初めて、現在(現実)の資本主義を回すエネルギーは生まれているのだと思っている。いや、現在どころか、はるかな昔からそうだったに違いないと信じている。そして、この事実は技術者の志向と実は相反することが多いのではないか、とも思うことがある。
「PCを自由自在に使うことができる人」がいたとする。その人が「技術的な面で心地よく理解しあえる人」を周囲に求めようとしたならば、つまり周囲と自分との間の技術的な”違い・差”="境界"を小さくしたいと願うなら、多くの場合、”利益”を生むことはできないのではないだろうか。「あなたにできること」は「相手もできたりする」ということは、つまり、境界がないのだから、そうそう利益が生まれるわけもない。
しかし、「PCを自由自在に使うことができる人」が、「PCという言葉もよく知らないし、そんな代物を使うこともできない人」たちの「間」に立つのなら、そこから「利益」を生むことは比較的容易だろう。
ということは、「技術的な満足」と「大きな利益」はなかなか両立しえない、ということになる。
「競馬」と「資本主義」
ぼくらはどういう状態にいたいのだろう?位置エネルギー、ポテンシャルを高めたいのだろうか、それともエネルギー変換効率が良い場所にいたいだろうか。
やりたいことと売れるというのは違うね。売れるってことはハリウッド映画みたいな、頭悪~い奴もわからなきゃいけないってことだぜ。
(西原理恵子との対談で)みうらじゅん ユリイカ 2006.07
「技術的満足」と「大きな利益」は両立するのだろうか。そんなことができるのだろうか。・・・きっと、その答えは自分で探すしかないのだろう。
そこまでをやりたいの。
西原理恵子@ユリイカ
2011-02-14[n年前へ]
■「何かを賭ける」と「誰かに向けたプレゼント」
初対面の知人と飲みながら、ふと考え込んでしまいました。間違いなく、この人にはとても能力があるのだろうと想像されたので、その人が持つ「ポテンシャル=潜在的な力」や「可能性」そして「選択」といった言葉を連想して頭が無限ループに入り込んでしまい、黙り込んでしまったのです。そして、無邪気に何かを言うこともできなくて・・・どうしても言葉が見つからなくなってしまったのです。
飲んだ後、しりあがり寿「人並みといふこと 」を読み直しました。
僕らはチップを手に「どの目に賭けたらいいのか?」ルーレットの前で途方に暮れている。・・・目の前のルーレットは、速度を増し、目を変え、回り続ける。時間ややる気はあっても、それを何に賭けたらいいのだろう?
…モノゴトは流行っては廃れ、盛者必衰はひっきりなし、善悪や好悪や敵味方やあらゆる価値観までもがルーレットの目の上に乗せられ、「ここに賭けて」と悲鳴を上げている。
そのうえ、いつだって賭けなかった方の目、失われた別の可能性の亡霊がボクたちを苛出せる。
しりあがり寿「人並みといふこと 」
十年ほど前、誰かが提唱したこんな遊びがありました。
「街のどこかに、見ず知らずの誰かに向けて、プレゼントを隠す。それを見つけてしまった誰かは、そのプレゼントを受け取る。そして、次の(会ったこともない)誰かに向けて、プレゼントをどこかに隠す」
もしも、初対面の誰かに向けたプレゼントを街のどこかに隠すなら、この「人並みといふこと
」にカバーをかけてどこかの隅に置いておこうか、などと考えます。
先に引用したのは「人並みといふこと 」の「おわりに」に書かれている言葉です。この本の「はじめに」の冒頭は、「もう十年近く前、会社を辞めた」という一文からはじまります。
2011-10-02[n年前へ]
■「地球上で余った部分、一番最下部に位置する仕事」という認識と…
「香川照之の”台詞”」via アッコにおまかせ via 東京新聞。
「この仕事(俳優)は地球上で余った部分、一番最下部に位置する仕事なんだ」ということを認識していないと勘違いしてしまう。
香川照之
「便利屋はサラリーマンよりも一段、低く見られないと仕事が来ないからです」という低いところにすべてのものが流れるという言葉と、それでもそれこそを選ぶという”選択”ということを考えさせられる、そんな言葉。
”台詞”は”セット”と同じで、その裏にはまた違う意識があったりもする。けれど、その裏と表を含めて、つまり、裏も表も全てを含めて、今一度何かを思い起こされた「今日一番記憶に残る言葉」
2014-01-04[n年前へ]
■"Vision"という言葉が見る世界は、多分、こんな世界なんだろうと思う。
2004年から2005年の頃、"We see your potential."と謳うMicrosoftのCMが大好きだった。
子供達が学んでいく姿が見えます。夢が現実になっていくのが見えます。私たちには見えます。小さな彼らの、大きな夢が。あなたの中にある無限の可能性が見えます。
We see...Your Potential. Our Passion.
…10年経った2014年の今、それと良く似た”We see your dreams, and give shapes to your dreams!”というKonica Minolra の 美しいCM を見る。すぐには見えるものじゃなかったとしても、何かが潜在的に持っている力=” Potential”を見通すことができる"Vision"という言葉が見る景色は、多分、こんな世界なんだろうと思う。
「有名な歌手になりたい」「立派な警察官になりたい」 こどもたちが、夢をはっきりと思い描けたら? ずっと忘れずにいられるとしたら? それはきっと彼らにとって夢の実現へと向かう、大切な一歩になるのではないでしょうか。
Dream Printer
こどもたちが願った夢を、あるいは可能性や潜在的な力を、すべて形あるものにするのは本人だけど、それらを描き出す機械があったとしら、そんな機械の中には多分かなり濃度の高い”Visionの素”が目一杯詰まっているのだろう…と思う。