2008-05-04[n年前へ]
2008-05-06[n年前へ]
■「舞台裏」
マンガ家の西原理恵子が「サンデー毎日」に連載していた4コマ・マンガとエッセイをまとめたものが、1993年に毎日新聞社から出版された「怒濤の虫 」だ。西原理恵子は、「あのコラムは毎日新聞の担当の方が、私の文章を手直ししてくれているんです。時には、原文の姿がどこにも見当たらないほどに」というようなことをどこかで書いていた。その言葉を当然のように受け入れられるほど、確かに「怒涛の虫」はいかにも手馴れた具合で言葉が書き連ねられている。
世間的には、それで金を稼いでいれば仕事、そうでなければ趣味、ということになるのであろうが、それではday jobをこなしながら喰えない舞台俳優を続けている人にとって、舞台は何なのだろう。少し前、河合さんの文章を読み、ずっと思い返していたのは、「怒涛の虫」の中の「死んだのはひとりの芸術家でした」という文章だった。
彼だけは、その日暮らしの生活を送りながら、完成度の高い絵を描き続けていました。…それなのに、彼の絵は売れませんでした。「怒涛の虫」の中で、(唯一といってよいと思う)4コマ・マンガが描かれず文章だけが書かれていたのが、「死んだのはひとりの芸術家でした」だった。西原理恵子と担当編集者が書いた言葉の割合はわからないけれど、若い頃の西原理恵子の「番外編」のような内容で、なぜかずっと忘れられない。
死んだのは、フリーアルバイターではなく、ひとりの芸術家でした。
当時のサンデー毎日の”担当S”、今は毎日新聞で「毎日かあさん」の担当をしているのが、毎日新聞出版局の志摩和生だ。「毎日かあさん 出戻り編 4」の「後ろ見返し写真」には、フリーカメラマンの鴨志田穣の笑う姿とマンガ家の西原理恵子の後姿が写っている。この写真を撮ったのは、カメラのファインダーを覗いて、そんな景色を切り取ったのも志摩和生氏だ。そうだ、あの”担当S”氏だ。
本が作られるまでの裏作業、写真を撮影するための作業、舞台の上で演じられる演劇の舞台裏…そんなことを見るのも良いな、と時折思う。華やかな舞台の舞台裏や、それとは程遠い舞台裏を知りたい、と時々思う。
2008-08-15[n年前へ]
■続・世界の広さと世間の狭さ
夜、田舎町の線路沿いを歩いていると、数メートル先に知っている人がいる。先週くらいだったか、数百km離れた違う田舎町で、一緒に花火を見た人だ。驚きながら、けれど普通に言葉を交わし、私は居酒屋に彼はその隣の喫茶店に入っていく。そんなことはよくある。辺境の山奥や海辺で思いもかけない人とすれ違ったりする。
街中で待ち合わせたときに、人ときちんと会うことは難しい割には、偶然人と出会うことは結構ある。世界は限りなく広いのに、世間は狭い。
2008-11-09[n年前へ]
■ケータイ版「雑誌DE流行マップ」
ファッション雑誌を適当につらつら読んで、世間の流行=ファッションなどを少し眺めてみよう、という「雑誌DE流行マップ Lite」のケータイ版を仕立ててみました。URL は http://www.hirax.net/fashions/mobile/titles.html (右のQRコード)です。
小悪魔 ageha の最新号の紹介文なんかを読んでみると、
みんなの兄弟姉妹ってどんな人!?ー新事実発見・age嬢の53%がおねーちゃんだった!!なんていう「新事実」が書かれていたりして、東スポ的な語り口がとても新鮮で楽しめます。
あるいは、「好奇心(モバイル用リンク)」なんていう言葉が載っているのはどんな雑誌・・・?という風に好奇心を持って眺めてみるのも面白いかもしれません。「流行」から遠い人ほど、「流行」を知らない人ほど興味深く感じられるのかもしれない、と思ったりするのです。
2009-04-27[n年前へ]
■「世間」と呼ばれ「消費者」と呼ばれ「大衆」と呼ばれるモンスターと
文章が限りなくロジカルで、なのにとてもラジカルで、それでいてリリカルな、しりあがり寿の「人並みといふこと 」から。この本は、というより、しりあがり寿は、やはりとても素晴らしい。もっともっと早く、しりあがり寿が描いたもの・書いたものを読んでおけばよかった。
もし娘が「お父さんやお母さんのように漫画家になりたい」なんて言ってきたらどうしよう。
君が大きくなるころ、「世間」と呼ばれ、「消費者」と呼ばれ、「大衆」と呼ばれる快楽と安穏を貪るモンスターは、さらに巨大になり、さらに素早く獰猛(どうもう)になり世界中を嵐のように暴れまわるだろう。君はそんな中、自分を見失わないでスックと立ってられるかい?
p.104