2008-05-21[n年前へ]
2010-08-30[n年前へ]
■「女値段」と「男値段」
角田光代 「しあわせのねだん 」から。
世の中には、女値段と男値段がある。8万円の自転車なんかは完全な男値段だと思う。12万円の靴というのは女値段。…漫画みたいなキーホルダー3800円は女値段。それぞれ、財布を開けてもよし、とする値段がある。
2010-11-14[n年前へ]
■「使ったお金」が「何か」を作る。
「無理せず節約するコツ」という文章を読み、ふと、こんな言葉を思い出しました。
少し言葉をはぐらかせる癖がある、そんな角田光代の著書の一冊に「しあわせのねだん 」があります。この本の中で、角田光代は20代の頃の日記を読み直しながら、その頃のお金の使い方を思い出しつつ、こんなひとりごとを書くのです。
「二十代のとき使ったお金がその人の一部を作るのではないか」
「三十代に使ったお金というのも、きっとこの先なんらかの意味を持つのだろうと思う」
「二十代」「三十代」・・・そして、その人という自分自身、あるいは、自分ではない他人であるこどもの”この先”を考えたとき、未来へ何かを残そうとする私たちが身の丈をわきまえることができるのだろうか、あるいは、もしも身の丈をわきまえたとき、一体その先には何があるのだろうか?とも思うのです。
「これだけ損が出来る」ということが「豊かさ」を作るのだろうか、と思うことがあります。もしかしたら、「損が出来ること」こそが「豊かさ」なのかもしれないとさえ感じることもあります。宵越しの金は持たない江戸っ子なぞは、さぞかし「豊か」に違いない、と考えるのです。
「あぁ、これだけ損ができる」
「損をする」ことができないとき、節食という言葉のダイエットをせざるをえないとき、ふとこんな言葉を思い出して、少し悲しくなったりします。
外へ外へと向かっていくそういうエネルギーがなかったら、人類はいまだに洞窟の中で暮らしてたんだろうか。
「イラクと幕末」
「外へ外へと向かっていくエネルギー」と、宵越しの金は持たない江戸っ子のパワーは、何だか少し似ているような気がします。
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