2003-07-15[n年前へ]
■習字で書いた「箱の中身」
英語の先生が今日書いた習字。「平和」「風鈴」「足音」「夢」「希望」。というわけで、今日のテーマは「希望」について。
「パンドラの箱」「アダムが食べた林檎」「シュレディンガーの猫」「パチンコで一発逆転」やら…色々。「希望は厄難?それとも善?」「もちろん、善。それ無しじゃ人はいきられない」「じゃぁ、パチンコ屋で人が見る希望は?」「それはimbalanceな希望」「imbalanceな希望は善いもの?」「…」「ってことは、希望は厄難?それとも善?」「希望は道具と同じってこと。道具に善いも悪いもないでしょう?」「…そういうものかも、ね。確かにね」
2003-07-29[n年前へ]
■「援助交際がいけないとされる理由/根拠を論理的に説明して下さい」
今日の興味深いはてなの質問。質問者のコメントがとても的確に響き、興味深く読んだ。
そして、そこからリンクされている「善なる嘘と邪悪な真理」を読む。
「善なる嘘」の対極に位置するのは、本当のことでありながら、それを認めると世の中を悪くなるような有り様、すなわち「邪悪なる真理」である。「人を殺してはいけない」。当たり前のことであるはずなのに、その理由は今まで「善なる嘘」によってしか語られてこなかった。なぜなら、「邪悪なる真理」の手を借りたとたん、「人を殺すことは悪いこととは限らない」という真理がくっきりと浮かび上がってくるからである。という文を読みながら、自らを省みずに「善なる嘘」を垂れ流すことはしたくないな、とふと思ったのである。自らを省みずに底の浅い「善なる嘘」を書きつづるのはどんなもんだろう?と思ったのである。
2003-08-05[n年前へ]
■2ch発:折り鶴14万羽プロジェクト
スラッシュドットで「2ch発:折り鶴14万羽プロジェクト」という記事を読む。
鶴を折るって行為は Anonymous Coward のコメント:折る人の心の平安を得るためってのも大きいと思う。 一心に折ることで日頃の憂さごとをたとえいっときでも忘れられるし、 折りあげた後は達成感も残る。言い方が悪いが心あたたまるイイ話の参加者にもなれる。 特に今回の場合は平和を願ってという割と漠然とした目的なので、 平和のことを考えると言うよりも自分の内面に目が向くこともあると思う。 写経なんかと似ているかな。 /PRE
2003-08-25[n年前へ]
■RFIDの…
一連の「RFIDの…反応」を眺めていた頃、考えていたことを書いてみる。といっても、あまりにも当たり前のことなのでわざわざ書く程のことではないと思うのだけれど、自分の仕事も少し振り返りつつ、ちょっとだけ書いてみる。
技術開発の最初の頃は「良いところ」に目が向くことが多いと思う。「良いところ」を拾い上げて、「良いところを大きくしていく」仕事が多かったりする。「良い条件」があればそれを追求していく仕事が多いようにも思う。「良いところだけを見る」作業だ。それを「楽観的」な作業だと思う人も多いに違いない。
ところが、それが製品化され発売が見えてくる頃には、「悪いところ」だけを拾い上げてそれを潰し続ける作業が続くに違いないと思う。「悪い条件」があればそれを(解決するために)ただただ追求していく仕事が多いと思う。こちらの方は「悪いところだけを見る」作業だ。それを「悲観的」な作業だと思う人もいるかもしれない。
前者も後者も新技術が普及していくためには必要だと私はそう思うし、そう思いたい。
そしてまた、とってもシンプルに「手を動かしている人が一番エライ(「偉い」だけでなく、関西弁の「えらい」の意味も加えて)」というのが技術の世界の素晴らしいところでもあると思ったりするのである。
2003-12-02[n年前へ]
■多くの私たちの一部
「国民全員が集まって、討論したり多数決をとったりすることができないから、選挙というものがある」「みんなで集まる場所もなかったりするから、色んな制限があったりするから、選挙というモノがある」「多くの私たちの代理として、何人かの人を選ぶというものがある」「だけど、ネットワークの世界ならそんな制限はないから、みんなで集まることができるハズ」 …確かに、そういう見方も面白くそしてスリリングかもしれない。
~ なるほど、だとするならば話は変わるが、現実の世界も(色んな制限があるせいで、少し見通しが悪くなってはいるけれど)それの相似形に違いない。北朝鮮に拉致された人達も私たちであるし、イラクで死んだ人達も私たちに違いない。それも、多くの私たちの一部であるに違いない。