hirax.net::Keywords::「朝日新聞」のブログ



2002-06-14[n年前へ]

ナンシー関と朝日新聞 

 ワタシは浅い新聞をとっているのだが、最近の朝日新聞の書き方が心底キライなのである。だから、お笑いパソコン日誌の「エンジェル・スノー」へのメモには拍手を贈ったのである。が、今日の夕刊に中森明夫のナンシー関追悼の記事が大きく載った。うむむ、止めるのは一回パスなのである。  何だそれ。

2002-07-18[n年前へ]

抜井規泰「一人の闘い」 

 最近、新聞記事を「少なくとも前より」注意深く読むようになった。今日は朝日新聞夕刊の抜井規泰という人の「一人の闘い」という記事を読んだ。スポーツ部の記者のようだが、山際淳司が書く小説のような記事だった。
 気のせいか、新聞のインタビュー記事は、ほとんどの場合インタビューされる人のセリフで締めくくられるように見える。インタビューされる人の台詞の内のどれを選ぶかが、記者の書ける範囲での精一杯の意思表示、あるいは感情表現なのかな。きっと、そうなんだろうな。きっと。
 たまには、記者の「言葉」で終わる記事もあっても良い。

2002-10-16[n年前へ]

「役に立たない」「役に立つ」 朝日新聞社説 

 今年の物理学賞は、天文学という「役に立たない」研究に決まった。化学賞は対照的に「役に立つ」道具づくりが栄冠に輝いた。 朝日新聞社説
 from 日々の雑記帳 2002/10/11(リンク

2002-11-19[n年前へ]

「幸福はさまざまだが、不幸は驚くほど一様である」 

 朝日新聞「天声人語」。最後の一説。「アンナ・カレーニナ」の書き出しと違い「現代ならば」こうだろう、という言葉。

2002-12-08[n年前へ]

私の視点 

 今日の朝日新聞の「私の視点」 「北朝鮮報道を考える」特集なのだけれど、つまりは「報道とは何か」という話を四人の人が語っている。四人は筑紫哲也、西岡力、大林宣彦、サム・ジェーソンだ。大林宣彦とサム・ジェーソンの語る話は特に私の興味を惹いた。筑紫哲也が書いていたのは必ず出てくる「戦場で取材中にそばで兵士が傷ついたら取材をするか兵士を救うか」という話だった。鳥越俊太郎もテレビでこれを熱く語っていたのを見たが、短い文字であるいは短い時間で語っているせいなのかあまりに逡巡が無く、あまりに薄っぺらく響くのである。その正しい答えがあるわけじゃいけれど悩みながらもどちらかを選ぶ、という逡巡が伝わってこない。
 知人が記者になって「歓迎されない家に話を聞きに行く」というのはやっぱりつらいよ、と話すのを聞きながら、歓迎されない家に話を聞きに行くことを躊躇しない人が一流の記者なのかもしれないけれど、それはちょっと何だかイヤだな、とも思った。先の筑紫哲也の話で言えば、躊躇する気持ちとそれでも取材をする気持ちの両方を語って欲しいと思ったのだった。
 大林宣彦は記者と「記事の客観・主観性」「記者・読者の署名性」などについての話を書いていた。それを読んでいて、先の知人から大林宣彦の話や新聞記事の記者の署名についてなどの色んな話をしていたことをぼんやり思い出したのだけれど、書くのはまたいつかにしようかな。



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