2001-11-22[n年前へ]
■あなたと見たい、流星群
同じ流星が見える距離
「しし座流星群」が美しく盛んに空を彩った翌朝、Fast&FirstのBBSをぼんやりと眺めていると、「アナタとみたい流星群」と題した
「僕たち距離は離れているけれど、同じ星(月)を見ているんだね」という書き込みを見かけた。思わず良い話だなぁ、と見入ってしまった。
なんて会話をする二人がいます。だけど、一体離れている距離が何km位までなら同じ流星を見ることができるのでしょうか?
今年の「しし座流星群」のようなきれいな流星群を、深夜同じ場所に佇んで二人で一緒に同じ流星を眺める人達も多いだろうが、離れた場所から、それでも同じ流星を眺めている二人もいることだろう。「そんな遠く離れた二人が、同じ流星を眺めることができるとしたら、それはどの程度の距離までなのだろう?」という「同じ流れ星を眺めることができる二人の距離」だなんて、とてもロマンティックでとても面白い話だなぁ、とその書き込みを眺めながら思った。そして、これはいつか考えた「地平線問題」と同じだなぁと考えて、だけど何故だか少し切ない話だなぁ、とも感じた。
だから、とても興味を惹かれたのだけれど、その切なさのせいか、ただぼんやりとその話を眺めていた。すると、すぐに「今日の必ずトクする一言」のKOROKAN氏が
これは計算が可能ですね。…流星の輻射点から地球に接線を引きます。そうすると、と簡潔な答えを書きこまれていた。暗算で片付けるところはやはりさすがスゴイなぁ、なんて感心していると、それとほとんど同じ頃、hirax.netの「ぐるぐる検索」にも、元の質問を書き込まれていた方から、
地球の中心、輻射点、接線が地球に接する点の直角三角形になりますね。…(中略)…これに地球の半径をかけると1118kmと出ました。
つまり半径1118kmの範囲が輻射点から見えることになりますから、(二人の距離としてはその二倍の2000kmで)おそらく東京−福岡、東京−札幌の遠距離恋愛なら見えるかも。
あなたと私、離れていても同じ星を見ている。何kmの距離まで離れていても同じ流星を二人は見ることができるのでしょうか? (F&Fの掲示板に書きこんだ内容に同じです。)という検索メッセージが送られてきた。そして、さらに
とても好きな女性が私の住むミネソタから約1000マイルほど離れたオハイオに住んでいまして、彼女に獅子座流星群の話をしながらこの話を思いついたのです。ちょうど1000マイルだったらギリギリって感じかもしれない?遠く離れた場所でも、同じ流星を見ることができるかもしれない?という話の発端を読みながら、私もちょっと落書きをしてみた。
KOROKAN氏が簡潔に書かれていた答えをもう少し言い換えると、「私たちが流星を見ることのできる距離」は「流星の地平線」と同じだ。私たちが流星を見ることができるのであれば、逆に流星からも私たちが見通せることになるのだから、「地表に立つ私たちが流星を見通せる距離」=「流星が地表に立つ私たちを見通せる限界」、ということであって、それはすなわち「流星の地平線」そのものということになる。もちろん、本当はもっと色々なことを考えなければならないわけだけれど、とりあえずはこんな大雑把な計算でも十分だろう。
●流星の発光点 |
以前、地平線までの距離を計算した
でやったものと同じく(KOROKAN氏が書かれていたことと同じ)、灰色の直角三角形に着目してやると、流星の発光点の高度がわかれば、あとは地球の半径=約6400kmを用いれば、流星の地平線までの距離は簡単に計算することができる。 流星の発光点の高度は理科年表をめくると、次のような表が載っていて、大体70km〜130kmの間であることが判る。その高度差を100kmほどの長さにわたって、光りながら駆け抜けて行くのである。
そして、「流星の発光点の高さY」を変えた場合の、流星から見渡せる距離(=流星の地平線)を計算してみたものが次のグラフになる。この「流星から見渡せる距離」がつまりは「流星を見ることができる最も長い距離」になる。
先の「流星の発光点の平均高度」として約70km〜130kmという値を使うと、先にKOROKAN氏が書き込まれていたように1000km前後という数字になるわけである。で、流星の発光点(輻射点近く)を挟んで遠く離れたところに住む二人であれば、その二人の距離が1000kmの二倍で2000kmの距離までは同じ流星が見える、ということになる。
だけど、これは理想的な話で、現実の話ではない。
実際にはそんなわけにはいかない。私達が住むほとんどの場所は、海原の真中や高い山の頂きじゃない。私達が流星を眺める場所はビルや鉄塔に囲まれたマンションのベランダだったり、あるいは木々や小高い山が周りを囲む小さな公園だったりする。少なくとも、地平線の果てまで見通せるような場所で眺める人なんかほとんどいないだろう。流星を眺めようとするほとんどの人達がいる場所は、上に広がる空しか見えなくて、地平線近くの空なんか見えない場所だとう思う。きっと、せいぜい天頂から60〜70°位の角度までしか空を見通せないに違いない。
だとすると、さっき計算のときに着目した「灰色の直角三角形」は少し変えてやらなければならない。人の視点での地球への接線をひくのではなくて、もう少し天頂側へ角度を振ってやる。すると、先の「灰色の直角三角形」は下の図のように「青色の三角形」に変化することになる。
●流星の発光点 |
そして、先と同じようにこの三角形に注目しながら、「限られた空の下」に住む現実の私達が見ることのできる流星までの距離を計算してみると、下のグラフのようになる。下のグラフで「空を見渡せる角度」が天頂からの角度で90°、すなわち地平線まで完全に見渡せる場合である。つまり、先に計算した「理想的な場合」である。そして、それが1100km程度というのはもちろん先程と同じだ。
このグラフを眺めてみると、天頂からの角度に対しての「見ることができる流星までの距離」は「地平線近く」の場合とそうでない場合とで全然違うことが判るだろう。
「地表面」と「その100km上空の面」というのはほとんど平行だから、天頂からの角度が70°位までは「流星の発光点までの距離」は緩やかに増加していくだけだ。天頂からの角度が70°(というとかなり水平にもう近いが)の時でさえ、「流星の発光点までの距離」はたった200km強である。さきほど見えると思われた1000kmなんて遥か彼方だ。
しかし、天頂からの角度が80°を超え、ほとんど水平間際になってくると、「見ることができる流星までの距離」はぐんぐんと大きくなってゆく。80°で600kmくらい、85°で700kmくらい、そして90°でついに1000kmの彼方の流星まで見えることになる。
ということは、現実の私達、海原の真中や高い山の頂きじゃなくて、ビルや鉄塔に囲まれたマンションのベランダや小さな公園から流星を眺める「限られた空」の下に住む私達は、せいぜい200kmくらいまで離れた場所で光る流星しか見えないことになってしまう。1000kmの彼方の流星なんかとてもじゃないが見えなくて、たった200kmが限界になってしまうのである。
すると、遠く離れた二人が同じ流星を眺めようとするとき、その二人の距離の限界は高々200kmx 2=400km程度ということになってしまう。東京-大阪でも難しいかもしれない。空が本当に天頂近くに限られて、「空が無い」東京のような場所であれば、きっとその距離はもっとずっとずっと短くなるはずだ。新幹線に乗って会いに行くような二人では、同じ流星を眺めることはできないのかもしれない。
だけど、とも思う。先のKOROKAN氏の書き込みは
それに何より、「見ているモノが同じモノ」と信じる力が重要で、それが同じモノか、別のモノかを証明するすべも、否定するすべもありませんなあ。信じる者は救われるというし。という風に締めくくられていた。私も本当にその通りだと思う。さっきの「せいぜい400kmが限界」なんて計算結果は「同じ流星を眺めようとする二人」には全然関係ないのだろう、とも思う。
もしも、遠く離れて見渡せる空が全然重ならないような距離であっても、例えそれが昼と夜ほどの違いになる距離であっても、同じ景色を眺めている二人もいるだろう。また、逆にとても近くにいても同じ景色も流星も眺めることのできない二人もいるのだろうと思う。そんな違いを決めるのは、幾何学的な話じゃなくて、きっと別の何かだ。
そしてまた、流星を眺める私たちの視点から、流星の視点に移動するといろいろなものが見えてくるとも私は思う。「限られた空」の下の私たちの視点がもう少し高く、高度100kmほどまで上がれば、周りではついに流星が輝やき燃える高さになる。ここまでくれば、見渡すことのできる地平線の果てまでは1000kmほどになる。その半径1000kmの円の地表が、その流星の視点から見える世界だ。
そして、その流星の地平線の中にいる人達は、その流星を同時に眺めることができる人達であるが、一体その半径1000km程の領域の中にはどれだけの人達が住んでいることだろう?数千人?それとも、数千万?とてもたくさんの人達がいるに違いない。それは例え、半径200kmの円であってもやはり同じことだろう。その地平線の中にはとてもたくさんの人が住んでいる。
そんな地平線の中の(あるいは外の)数え切れない沢山の人達の中に、同じ流星を眺めようとする二人がいる(それともいない)なんて、やっぱりとてもロマンティックで、やっぱりちょっと切ない話だなぁ、と思う。
2004-01-01[n年前へ]
■「初日の出」と抜きつ抜かれつ
実は、これから近くの山にスキーを背負って登って、初日の出を拝んで来ようと思っているのです。登るのは札幌市の藻岩山(531m)です。
コズミィ・カレンダーによりますと、(http://homepage1.nifty.com/cosmy/cosmycal/calcal_b.html)山頂での日の出は07:01、ゲレンデ下(173m?)での日の出は07:03とのことですから、2分以内に滑べり降りれば二度初日の出を拝めそうです。ぎりぎりですねー。せっかく時間をかけて登るので、もったいなくてできないですけれど…
もし、いつか「初日の出」とスキーで競争したら、滑ってる間に朝日に抜きつ抜かれつ、何度も何度も初日の出を眺めることになりそうですね。太陽が稜線から上がってきたり、精一杯滑ってその太陽を稜線の下に戻してみたり、そんな-「初日の出」と抜きつ抜かれつ-するなんてとてつもなく面白そうです。そういったことは案外とたくさんあるかもしれませんね。
2004-06-01[n年前へ]
■誰かのアートが詰まってる「自販機」
「タバコの自動販売機に芸術・工芸・その他の物をつっこんで売ってしまおう買ってもらおう、つまり、作家さんごとのがちゃがちゃ(がちゃぽん)です」という自販機芸術。北海道の札幌にはそんな「誰かのアートが詰まってる自販機」があるらしい。 from ■Syntax Error■
2005-01-01[n年前へ]
■New Year's Day 2005
日本時間9:50。札幌では雪が吹雪いて少し薄暗い一日が始まったようです。香港やカラチでは元旦の朝が明けていくところ。その先の国では、まだ大晦日から元旦にかけての夜の中のようです。地球が回って、太陽が東から西へ地球を照らしていくようすがわかります。2005年の始まりです。
2010-12-13[n年前へ]
■一年に二度、札幌の街にはとても素敵な景色が訪れる。
碁盤の目のように道が走る街というと、北海道の札幌を挙げる人もいるかもしれません。札幌の街も、几帳面に直角に道が刻まれています。
しかし、札幌の街を走る道は、東西南北を向いているわけではありません。地図を眺めてみればわかるように、9度ほど回転しているのです。だから、「どの交差点からも、道の先に沈む夕日が見える」のは、春分の日や秋分の日ではありません。たとえば、そんな一日は秋分の日を過ぎた10月8日あたりです。10月8日の午後4時40分に、札幌 時計台前に立つと、こんな素敵な景色を見ることができます。
一年に二度、札幌の街にはこんな素敵な景色が訪れます。その一日が、10月8日だとしたら、あともう一日は何月何日でしょうか?雪景色の向こうに沈む夕日を、道の先に赤く輝く太陽を眺めることができるのは、何月何日でしょうか?
その日の16時40分、札幌 時計台の前に行けば、とても美しい風景を眺めることができるかもしれません。時計の針が午後4時40分を指す瞬間の景色を眺めてみたい、とは思いませんか?