2003-07-02[n年前へ]
■『すなの中に消えたタンネさん』
「みんなの悩み事をさっぱり忘れさせてくれる空色のせんたく機を発明したタンネさん。だけど、タンネさんは、せんたく機の製造に追い詰められて、空色のせんたく機の中で悲しいロボットになってしまった」
そんな乙骨淑子の『すなの中に消えたタンネさん』が先日から気になっている話だろう、そして
ラストシーンは世界が砂で埋まるのではなく大量の砂を出した人は無感情になってしまったというロボトミー手術みたいな結末ではなかったかというメール。「ロボットになったらラクなこともあるのかな」と思うしかないときだってありますものね。
2003-07-04[n年前へ]
■たんねぇ、たんねぇ
記憶の底の底から蘇ってくるタンネさんのお話。確か彼は、「たんねぇ、たんねぇ」が口癖だったんですよね。一体なにが足りないと言ってたんでしょう?何なんでしょう? 何かが足りない、その何かが見えていたんでしょうね。それで、それを発明し続けていたのでしょうか。
とはいえ、そんなタンネさんも砂の中に消えてしまったんですね。
2003-07-12[n年前へ]
■14ミリグラムの「いろんな気持ち」
気持ちを軽くする「息抜き」化学式
小学校の頃、ダンボールのような不思議なものをかぶる人を描いた挿絵とともにこんな話を国語の教科書で読んだ記憶がある。この記憶の隅に残り続けている話は、乙骨淑子の「すなの中に消えたタンネさん」という物語らしい。この物語のように、悩み事を砂に変えて消し去ってくれるなんて機械がもしもあったとしたら、私だって欲しくなってきっと一つ注文してしまうかもしれない。そして、結局は「空色のせんたく機」のバックオーダーをさらに一つ増やしてしまい、タンネさんをさらに追いつめてしまうことだろう。
発明家タンネさんが作り出した「悩み事を砂に変えてしまう洗濯機」のような、いろんな気持ちを何かの物質に変えてしまうような「気持ち・物質」交換機なんていうものがあるという話は残念ながらまだ聞いたことがない。だけど、もしも、そんなものがこの世の中にあったとしたらそれは一体どんなものなのだろうか?
それは一体どんなものだろう?と想像してみようと言ってみても、いろんな気持ちを何かの物質に変わるだなんて、何をいきなり荒唐無稽なことを言うのだろうと思われるに違いない。けれど、少し振り返って考えてみたりすれば、悲しい気持ちがいつのまにか涙に変わったりする、なんてことであればそれはとてもよくある話だと思う。そんなふうに、「悲しい気持ちが涙という水に変わったりするなんて」ことが当たり前のようにあるとするならば、「いろんな気持ちが何かの水に姿を変えて、そして気持ちが水とともに消え去っていく」ことが当たり前のようにあったとしても、それは別に不思議な話でもないようにも思われる。
例えば、人が息を吸いこむと、一呼吸あたり約17ミリリットルの酸素が体の中に取り込まれる。そして、その酸素は体の中で糖分と反応して二酸化炭素と水に変わる。化学式で書いてみれば、C6H12O6+6O2+6H2O→6CO2+12H2Oという反応が起こるわけだから、一回分の呼吸から14ミリグラムの新たな水が体の中で作り出されるわけだ。いろんな気持ちが「涙という水」に姿を変えることがしばしばあるように、この呼吸の中で作り出される「14ミリグラムの新たな水」が実は体の中の「いろんな気持ち」が姿を変えたものだと考えてみるのも少し面白いと思う。呼吸の結果起こるC6H12O6+6O2+6H2O→6CO2+12H2Oという化学反応が実は「気持ち・物質」交換を示す化学式だったと考えてみると、少し面白いことを思いつく。
例えば、こんな風に考えてみよう。体の中に悲しい気持ちを抱えたまま、息を吸ってそしてため息をつく。すると、その悲しい気持ちが体の中で14ミリグラムの水に姿を変える。そして水に姿を変えた14ミリグラムの悲しい気持ちはいつの間にか体の外に排出されて消えていく、と考えてみる。一回呼吸をすれば、一回ため息をつけば、14ミリグラムの悲しい気持ちが体の中から消えていく、と考えてみるのである。一回の呼吸で14ミリグラムだけ気持ちが軽くなる、と考えてみる。体や心を休めることを「息抜き」と表現するけれど、それは息をするおかげで気持ちが軽くなるこの「気持ち・物質」交換を示す化学式に基づいていたのだ、と空想してみるのだって面白いに違いない。C6H12O6+6O2+6H2O→6CO2+12H2Oという化学式に「息抜き」という言葉が基づいていた、と考えてみるのである。
あるいは、こんな風にも考えてみる。一回の呼吸で14ミリグラムの色んな気持ちが14ミリグラムの水に姿を変えるのでれば、それは一生を通して考えてみると
残念ながら、タンネさんの「空色の洗濯機」はまだ世の中にはない。だけど、こんな風に呼吸が実は「気持ち・物質」交換機かもしれない、と考えてみると少しは息抜きになりそうなことを思いつく。例えば、いつもより色んな気持ちを抱えているときには、いつもより大きく息を吸って、そしていつもより大きく息を吐いてみる。そうすれば、きっといつもより多くの「いろんな気持ち」が水に変わる。いつもより多く、もしかしたらそれは数ミリグラムだけしか多くないかもしれないけれど、いつもより気持ちがほんの少し軽くなるかもしれない。
2004-03-17[n年前へ]
■更紗眼鏡 = カレイドスコープ
『カレイドスコープは、スコットランドの物理学者デヴィット・ブリュースターが1813年に発明しました。日本にカレイドスコープが伝わったのは発明から6年後の1819年(文政・天保期)。大阪の年代記に「更紗眼鏡(さらさめがね)」として記述があります』というカレイド・スコープ(万華鏡)ギャラリーのオタルカン。万華鏡の動画も見ていてとても面白い。
2004-06-26[n年前へ]
■Windows Wiki
PowerPointWikiが欲しいと思ったからには、当然「必要は発明の母」「思ったが吉日」というわけで、先週はそんなこんなに少しトライしようとした。けれど、何を血迷ったのか方向性が変な方に行ってしまった。何しろ、調べていたのはPowerPointのVisualBasicマクロでもなんでもなくて、TextOutやDrawTextのシステム・フック(Windowsや各アプリケーションのシステム・動作に横から口を挟むようなテクニック)やらイベントフックやらといったことなのだもの。何を考えたのか(自分のことだが)、マウス・フックとテキスト描画系のフックを奪い取り、強引にPowerPoint(というか全てを)をWiki化しようとしたのである。(それはきっと逃避行動)
それじゃ、PowerPoint Wikiじゃなくて、Windows Wikiだ…。オートリンクがありとあらゆるアプリケーションに貼られてされてしまう、というワケのわからない世界になってしまう。というわけで、あまりに変な方に行ってしまったから、良くも悪くもハマってしまったわけだが、そんなことは忘れて今日はとにかくとにかく原稿書き(のハズ…)。