2011-05-23[n年前へ]
■「高尾」から「新宿」まで歩く中央線寝袋の旅!?
横浜 六角橋商店街の闇市で、ミニコミ誌を大人買いしました。狭い路地で地面に並べられた本の中から買ったのは、「本と酒と俺」「恋と童貞」「野宿野郎」という三種の神器ならぬ、3つのミニコミ誌でした。
西八王子駅は(「野宿野郎」の)編集長の青春だった。学生時代をここに近いキャンパスで過ごした彼女は…
六角橋商店街の闇市では、ただ「ミニコミ誌を買った」というだけではありませんでした。そのミニコミ誌の中の一冊、「野宿野郎」というものに至っては「ここにある全巻下さい」という究極の大人買いをしてしまったのです。
日野駅は少し胸が痛くなる場所だった。
なぜ、そんな大人買いをしてしまったかといえば、…その「野宿野郎」は小さな文字でたくさんのことがみっちり書き込まれていて、内容の「密度」が限りなく高いように思われたからです。絶対、「失敗した、と思わない」確信が持てたからです。
立川駅で休憩をとることにした。
その予想は合っていて、3号の「山手線始発から終電まで20周」は心躍らされ・その無意味さにワクワクさせらたり、頁の隙間に書かれた「小説の引用」に魅入られたり、あるいは、その全体を貫く無鉄砲さに憧れたりさせられました。
武蔵境駅を過ぎ、三鷹駅前の陸橋が見えてみた。
今日、感動したのは、野宿野郎がウォーキングが趣味な一般人(?)を惑わして、「高尾」から「新宿」まで、寝袋をまといながら歩く(たまに野宿しつつ)旅をする、という挑戦です。なぜ感動したかと言うと、日常眺める社会と、少し外れた視界から見た世界が、実に自然にシェイクされていたからです。
こんな「世界」を紡ぎ続ける人たちは、一体どんな無限大のパワーを持ち続けているのだろう?と、思います。もしかしたら、闇市に並べた本を前に路上に溶け込んでいた人が、そんな本を作る人だったのだろうか、とも考えます。そして、その存在感に圧倒されたからこそ、財布を逆さにして「大人買い」をしたに違いないと考えます。
中央線っていうからには、東京駅が始発だったりしませんかね。
よく、文明から離れた場所には貴重なものが残っている・価値観のモノサシが残っている、と聴くように思います。…だとしたら、ミニコミ誌の作り手はそんな「貴重な未来まで残り続けるガラパゴス諸島」だったりするのかもしれません。
えっ、わたし(中央線って)新宿が始発だとばかり思っていました。早く言って下さいよ。これから東京まで歩きましょう!
いやです。
2011-07-22[n年前へ]
■一言二言で言い切ることができるものにロクなものはない
トイレの本棚に、六角橋商店街で大人買いした”人生をより低迷させる旅コミ誌”「野宿野郎」が並んでいる(もちろん、その他の本も並んでいる)。その野宿野郎の『やっとできたよ5号 〜特集〜 駅寝ってどうよ』から。
なんというか、一言二言で言い切ることができるものにロクなものはないと思う。
かとうちあき
2011-07-27[n年前へ]
■自分の「気持ち」と「キャラクター」
かとうちあき「野宿入門〜ちょっと自由になる生き方〜 」中の「自分のキャラクターを知ろう」から。…とても単純でいて、だからこそ、とても一般的にあてはまる、つまり器用に上手に凝縮された言葉。
たぶん、ほとんどの人は、自分が見つけうる野宿地候補の中から、そのときの自分(の「気持ち」と「キャラクター」)と向き合い、どうにか妥協点を見いだすことで、野宿地を決定していくのでしょう。
「29歳、独身、女。風呂は、まだない」という言葉で始まる序章から、「すごく寂しくなっちゃって…そうしたら、私も自分の『家族』ってものが欲しくなったの。それで結婚したし、あなたも生んだの。…赤ちゃんだったあなたの背中には、羽が見えたのよう!あなたの背中に羽が見えたのよう!」と母が娘に語る言葉が記される「おわりに〜母とのおっぱい野宿」まで、ページを読み進めていくと…不思議なことに何でもできるような気持ちになってきます。
(何が豊かとか、何が面白いとか…わからないこと、割り切れないことを)わたしたちは答の出ないことを、あんまり深く考え込んではいけないのでしょう。 「これだけは覚えておこう」 from 「野宿入門 」
2011-07-28[n年前へ]
■「自炊」と「野宿」と「トイレの紙」
紙書類を読み取り電子化するFUJITSU ScanSnap S1500 FI-S1500を、一週間2000円という価格でレンタルしたので、数日前から「手元にある紙資料や書籍」の電子化作業をしています。つまり、いわゆる「(電子データがない書籍などのデジタルデータ化する)自炊」という類の作業を(ひたすら)しています。スキャナを返却するまでには、このままのペースで行けば、300〜400冊子(冊子)くらいを電子化することができそうです。
作業にかかる時間コストを考えなければ、今回の電子化作業のコストは1冊子(冊)あたり10円程度という程度です。おそらく、メンテナンス料金を考えれば、「スキャナはレンタルで済まし、集中的に読み取り作業を行う」というのが、(便利さを考えず・コストだけを考えるならば)一番おトクであるように思えます。都会生活においては、車は所有するよりレンタル(シェア)する方がリーズナブルであるように、プリンタとかスキャナといった機器は、(都会に住む人であれば)所有するより共有する方がおトクであるモノになっているはず(あるいは専門業者に委託した方が良いものになっている=そういうビジネスが十分成り立つ条件になっている・分水嶺を超えている)、というのが私の認識です。
さて、限られた時間の中で紙資料・紙書籍の電子化作業をしていると、「一体、どれから電子化すれば良いだろう?」と悩んでしまいます。
…けれど、そんな悩みを抱える時であっても、「これは電子化しなくて良いな」と感じる類のものもあります。それは、たとえば、便利さの追求とは異なる内容・ベクトルを持つ読み物群です。
私の愛用トイレには、ミニコミ誌「野宿野郎」が並んでいます。たとえば、こんな野宿を愛好する人たちが書く本などは、電子化したいとは思わない…いや、むしろ、電子化してしまってはツマラナイ類の本に思えます。電子書籍で野宿記録を読むなんて…何だか少し収まりが悪い組み合わせでしかないように感じます(電子化がネタとして扱われるくらいですし)。
「深夜、学校のトイレで聞こえる”赤いマントは要らんかね?”」という声の話と同じように、「深夜、学校のトイレから、この世のものとは思われぬほど悲しげな声が響いてくる…”紙をくれ”…」という怪談ならぬ小話は、夏の山奥で誰しも聞いたことがあるのではないでしょうか。
…そう、トイレという場所は、何より「紙」というリアルなマテリアルが活躍する場所なのです。トイレで必要とされるのは・似合うものは、電子化されたデータなどではなく手に持ちお尻を拭くことができる「紙」なのです。もしも、トイレットペーパーを使い切ってしまったとしても、トイレに本棚があれば、本棚にある書籍のページを破りさえすれば、”ノープロブレム”でコトを済ませることができます。けれど、もしもトイレの書籍も電子化されてしまっていたならば、コトをいたしたその後にトイレに紙がないと気づいたならば…それは想像するのも恐ろしい事態です。
iPadやiPhone/androidはトイレットペーパーの代わりはできない、のです。「いざ」という状況に似合うのは、トイレットペーパー(あるいは、その代わりになる書籍)と水なのです。