2006-08-14[n年前へ]
■ランドルの校門通過時刻から友達関係を調べる技術
高木浩光さんの「RFIDタグ搭載ランドセルの校門通過記録で仲良しグループを割り出すという小学校教諭の発想は普通?」という記事。小学生のランドセルに取り付けたRFIDタグを使い、登下校の記録情報を解析することで、各児童間の「仲良し(=おとなり)距離」を算出するという技術適用をどのように感じるか?という話。
児童が校門を出入りするようすを先生が眺めていれば、同じような内容は当然知ることができるだろう。けれど、そんなことが今ではできないから、こういう技術を使おうとするのだろうか。RFIDタグ付きランドセルで仲良しグループ情報を手に入れ、そして、先生たちはどんな風に小学生に接していくんだろうか。
我々もまた、次の世代、そのまた次の世代のために、何か人間が幸せになれるようなことを残さなければならない責任があるのです。 3年B組金八先生 第16話 1980.2.8
2007-07-12[n年前へ]
■人の動きと最適化
from n年前へ.
目には映りにくい「働く人の間のつながりといった社会的な価値あるもの」も、高い株価というカタチできちんとその価値が目に見えるモノにされているんだ
12年経つと21世紀がやってきます。世界はより支え合わなければ生きていけない時代であります。「3年B組金八先生」 第3シリーズ 12話(1988)
MITの最初のハッカー達の書いたプログラムは、その言語なんか関係なく、とにかく完全で、美しいものだったんだ。努力に努力を重ねて뒰ꓢ믅뻥꒲꒿꒵ꆣ쎯꒬뢫꓆ꓢꆢそれ以上改善する余地はまったくないほどにね柴田 ただ、あまりにも短く最適化してしまうと、人がそれを見たときに理解しにくいという難点がありますよね それはそうだよ。でも、それを理解しようとする努力は、必ず報われるんだよ。努力して理解できるようになったときに、何かを学ぶことができるんだ。だから、コインには2つの面があるということさSteve Wozniak
いつもより多くの「いろんな気持ち」が水に変わる。もしかしたらそれは数ミリグラムだけしか多くないかもしれないけれど、いつもより気持ちがほんの少しは軽くなるのかもしれない。 14ミリグラムの「いろんな気持ち」
晴れの日に野外で上を仰ぎ見た時、無限に続いて見える、広い空間。 新明解国語辞典「大空」
人が上手く動けないほど、「震源地ゲーム」は面白い。逆に言えば、-震源地-から全く同じように動きが伝わる世界なんてつまらない。コピー&ペーストのように、何も変わらないまま動いていくそんなものは少しつまらない。 誰かが無意識に動いて、その無意識の動きの中に違う何かを他の誰かが見いだして、そしていつの間にか時間をかけて何か不思議な波が伝わっていく、そんな世界の方がきっと面白いと思う。 震源地ゲーム
2007-08-14[n年前へ]
■夏の日
県道沿いの小さな小さな港には、いつも10人くらい人がいる。いつだって、それだけの人がいる。それだけの人しかいない。60過ぎくらいの人が3人と、中国人が3人と、カップルが一組と、2,3人のこどもだ。
天気が良い日には、強い日差しと遠くの積乱雲が、その人たちの上にある。風向きが悪い日には、誰もいない。
RFIDタグ付きランドセルで仲良しグループ情報を手に入れ、そして、先生たちはどんな風に小学生に接していくんだろうか。 2006.8.14
我々もまた、次の世代、そのまた次の世代のために、何か人間が幸せになれるようなことを残さなければならない責任があるのです。 3年B組金八先生 第16話 1980.2.8
彼氏が他の女に走っても取り戻せるかもしれないけれど、男に走ったらもう戻ってこないような気がする」「彼氏が男に走ったら、私は一体何だったの?という気になる」
人は「人口の多い方向を魅力的に感じて惹かれ動いていく。だから伝染病もそんな風に伝染する」
数学は人生の役に立つと思いますか。
2011-03-26[n年前へ]
■富豪と貧民の「蝸牛考マップ」
3年B組金八先生が終わるということで、階級闘争のシュプレヒコールを連想させる中島みゆきの「世情」を聞いていると、その頃遊んだトランプゲーム「大貧民」を思い出しました。…といっても、このゲームの呼び名は結構バラバラだったりする、というのも有名な話です。ある人たちは、そのゲームを「 大富豪」とブルジョアな名前で呼び、またある人たちは、それを真逆の「大貧民」と呼び、あるいはさらにプロレタリアートな「ど貧民」と呼ぶ地域もあります。
どんなものでも「図に描いてみる」ことが趣味なので、今日はそんな「富豪と貧民の関ヶ原」「大富豪と大貧民の蝸牛考」を描いてみました。それが下の日本地図です。
ブルジョアジーな大富豪が不要なカードを大貧民に放り投げ、プロレタリアートな「ど貧民」が持つ札から良いカードばかりを取り上げる…。ど貧状態が続くと…何だか少しほろ悲しくなったものでした。
そしてまた、貧民たちは時に「革命」を起こすが、「革命返し」で鎮圧されることもある…というゲーム・ルールを思い起こせば、それは実にシビアなゲームだったなぁ、と今更ながらに感じさせられます。中島みゆきの「世情」をBGMに流しながら、このゲームで遊んだりしたならば、きっと大粒の涙と鼻水を滝のように流してしまいそうな気がします。
シュプレヒコールの波、通り過ぎてゆく。
変わらない夢を流れに求めて。
時の流れを止めて、変わらない夢を、
見たがる者たちと戦うため。
中島みゆき「世情」
そういえば、中学を卒業し高校に入ってからは、みんなで遊ぶトランプゲームは、貧民でも富豪でもなく皇帝ならぬ”ナポレオン”の時代になりました。…けれど、それはまた別の話。
■『あなたは頑張る人です。私は知ってますよ』ってね。
3年B組金八先生の卒業式後の謝恩会についての、武田鉄矢が語る話。謝恩会で金八先生が話す言葉は武田さんが考えていること、その言葉はそれぞれの役柄を演じた生徒役の俳優をも労うような言葉になっていることについての話。
台本に「金八先生、あなたにお任せします」って書いてあった。
やっぱりいじめ役をやったりすると、本当の学校に行って…嫌な目に遭う子もいるんだよね。
(台本無し・リハーサル無しの)本番一回のみね。立ち位置だけが決まっているフリータイム。だけど、演出家が言うんだよ。『ときどきスタッフのほうも見てくれると、僕らも泣いちゃいます』って。だからときどき金八先生は、不自然にキャメラサイドの方を向いて、『寒い日もあったね、風の日もあったね』とか言って、その視線の先ではメークさんが泣いてたりするのね。(中略)だけどそうやって全員にお別れを言うのが、僕の感謝の気持ちなんですね。『あなたは頑張る人です。私は知ってますよ』ってね。
「私たちはブラウン管テレビを二十世紀に置いて行く…」と言ったのは、吉永さゆりだったでしょうか。
金八先生が桜中学から卒業していく場面を観ながら、「二十一世紀にはもう金八先生が立つ場所はないのだろう」と思います。そして、それと同時に、「もしかしたら、こういう場面から次の世代が進むベクトルが定まり、こんな二十世紀のゴールから次の世代がスタートしていくのだろうか」とエタノール15パーセントの液体を飲みながら考えてみたりしました。