1999-03-30[n年前へ]
■ペットボトルロケット
天まで昇れ
-天まで昇れ-
先日、2月21日、糸川英夫が死去した。ロケットを研究し続け、日本のロケット技術を築き上げた人である。
ISAS(宇宙科学研究所)の歴史(http://www.isas.ac.jp/info/history/index-s.html)
そこで、私たちが簡単に打ち上げることのできる、ペットボトルロケットについて考えてみたい。ペットボトルロケットは素晴らしい科学おもちゃだ。ロケットが大気中を飛ぶときと、宇宙空間を飛ぶときの原理の違いを的確に体現していると思う。それは、ペットボトルの中に水を入れてあることだ。ペットボトル中に水を入れることで、革命的ないくつかの効果があると私は思う。挙げてみると、こんな感じだ。
- 空気と水の粘性の違い->水の方が長時間にわたり一定の噴出量にしやすい。
- 気体(空気)と液体(水)の圧縮性、質量の違い->
- 空気を噴出する場合には、ロケットの前後の圧力差が推進力を支配する。
- 水を噴出する場合には、反作用力(運動量保存)が推進力を支配する。
空気のほうは温度が違うと結構違う。摂氏0度で1.293kg/m^3であり、100度で0.946kg/m^3である。もちろん、気圧が違えば、それに比例して体積は大きく変わる。
結局、空気と水とでは質量が約1000倍違う。だから、ペットボトルロケットが後ろから水を噴出する場合には、空気の場合に比べて、1000倍もの反作用力を受けるのである。つまり、ロケットは1000倍の推進力を持つことになる。ただし、空気の場合には、ペットボトル中で数気圧分圧縮されているので、質量も数倍になる。したがって、正確には1000倍の数分の一ということになるだろう。
逆に、ロケットの前後の圧力差を考えてみる。、空気の場合には、前後で数倍の圧力差が生じるだろうが(WEBで調べると5-7倍位が通常上限のようだ)、水の場合には前後での圧力差はほとんどないだろう。だから、水を噴出する際にはこれによる推進力はほとんど働かないだろう。しかし、空気を噴出する際にはこの圧力差によりロケットは進むことになる。真空中ではこの方法では推進力はほとんど働かない。
こういった違いをもとに子供(といっても高校生位か)に宇宙でのロケットの原理を説明すると面白そうだ。これら推進力の違いは、とても大きいと思う。
かつては、セルロイドを使った小さなキャップロケットの時代だった。今は、ポリエチレンテレフタラート製の大型ロケットの時代に変わった。
今日は久しぶりに雪が降った。「雪は天からの手紙である」と言ったのは、雪を研究し続けた中谷宇吉郎だった。ならば、私たちが打ち上げるペットボトルは天へと届けるロケットだ。空へ高く届くように、私たちはそれを打ち上げ続ける。いつか、私たちのロケットは天へ昇る。
2003-02-15[n年前へ]
■コピーについて考える
Movable Type開発者インタビューを読みながら思った。最初blog騒動があった時には何ともMovable Typeユーザーには他人の褌画像(人の画像ファイルを勝手にローカルコピーして公開するもの)が溢れてる多いなぁと思ったけれど、今では武邑光裕さんがいまだに続けてるくらいで、ほとんどは画像無しに移行していったり、自分自身が撮った写真などを使うように変わっていったようだ。
Movable Type開発者インタビューのタイトルではないが、小さい個人が大きなことをしていくときに、大きな会社と同じように画像の使用料や記事使用料は負担しなければならないわけで、そこのコストやら辛さやらを逃れて「革命」をどうやってするのかな、と思ったり。
私はコピー機メーカーで仕事をしているので、「コピー」についてはやはりたまに考えるざるをえない。例えば、会社で購読している日経新聞を日経の許諾なしにコピーすることを禁じていることとか、戸島国雄さんが「雑誌を当たり前のようにコピーする人が多いが、そんな風にコピーをされても私たちにお金がちゃんと入ってくるわけではない」と言っていた(暗に「著作権者にお金は入らなくても、そのコピーでコピー機メーカーはちゃんとお金をもらっているくせに」ということを言ってると思う)こととや、色々考える。コピーで「お金を得ている」わけで、まぁ色々考えたりする。
そういえば、RICOH IO Gate、素直に参考にします。リコーと言えばやはり英語技術文献の日本語要約 を有志が業務外でしていたりとか、面白いですね。
2007-07-03[n年前へ]
■科学とオカルト
「科学とオカルト(池田清彦 講談社学術文庫)」を読んだ。
オカルトとは元来「隠されたこと」を意味し、…シェパードによれば「通常の経験や思考ではとらえることのできない神秘的、超自然的な現象を信じ、これを尊重しようとする進行全般を示す概念であって」(渡辺恒夫・中村雅彦「オカルト流行の深層社会心理」)ということになる。 …この定義に従うと、ビッグバン仮説を信じている物理学者はオカルト信者となってしまう。なぜなら、百五十億年前、宇宙はゴルフボールぐらいの大きさだったと主張するビッグバン仮説は、通常の経験や思考ではとらえることのできない進歩的、超自然的な現象を信じることにほかならないからである。 「科学とオカルト」 P.17 第一章 科学の起源「水からの伝言」に関する記事へのブックマークを眺めるとき、そこには「オカルト」「ニセ科学」「科学」なんていうタグがついていることが多かった。それらのタグがどういうことを指そうとしているのか、そんな言葉にはどんな過去があるのかを考えてみたりした人たち、あるいは考えなかった人たちであれば、この 「科学とオカルト」を読むときっと面白いと思う。
十六、七世紀の第一の科学革命の頃、業績評価というのは、もっぱら異端審問のためのものであった。…理論は所詮オカルトであり、背反する神学的信念のどれが正しいかを決める客観的基準などあり得ようはずはなかった。 十九世紀になり…さまざまなオカルト(個々の研究者の理論や実験結果)を平準化する必要が生じた。オカルトの大衆化あるいは民主化といってもよい。社会的に平準化されたオカルトは、公共性を獲得したのだから、もはやオカルトとはいえない。それでは何と呼ぶかというと、「科学」ということになったわけだ。実に科学とはオカルトの大衆化だったのである。 「科学とオカルト」 P.47 第二章 オカルトから科学へアーサー・C・クラークは「十分に発達した科学は、魔法と区別がつかない」と書いた。科学の専門化・細分化・高度化が進む21世紀は、そんな科学と魔法が区別が付きにくい時代なのかもしれない。
2007-07-08[n年前へ]
■「分業・神の見えざる手」と「ワットの復水器・調速機」
『国富論』を書き"経済学の父"と称されるアダム・スミスは、蒸気機関を広めたことで有名なジェームズ・ワットと親しかったという。その影響もあってか、経済成長と技術革新、つまり、経済成長とイノベーションの繋がりを強調していた。
スミスは蒸気機関の改良で有名なジェームズ・ワットのお友達なんです。 だから、スミス自身は蒸気機関を使った産業革命・機械化の時代に先駆けた時代の人ですが、技術革新こそが経済成長の源泉だというような内容のことをものすごく強調しています。 栗田啓子ジェームズ・ワットというエンジニアと、哲学者であり経済学者であるアダム・スミスの間にとても深い親交があって、影響を受けあっていたというのは、興味深い。現代の私たちを取り巻いている技術革新が経済成長を生み出しているという事実を、そんな親交からスミスが見いだしたというのは、とても面白い。
そして、きっとそれだけではない、とも思う。
ジェームズ・ワットを「蒸気機関を発明した人」と捉えている人も多いだろう。しかし、ワットは決して蒸気機関の発明者ではない。ワットは、すでに存在していた蒸気機関の効率を飛躍的に向上させることで、経済的に引き合う蒸気機関を作り上げた、という存在である。すでにあった複数の技術を上手く組み合わせることで、蒸気機関を効率よく安定に動かすことを可能にし、産業革命を支えたのである。
産業革命の中で育ったワットは、…1757年にアダム・スミスのはからいで、グラスゴー大学構内で実験器具製造・修理店を開業した。 ここでニューコメン型蒸気機関と出会い、より効率のよい蒸気機関を造るつくるため、熱と力の関係を研究する。 Wikipedia 「ジェームズ・ワット」ワットが生み出した「経済的に引き合う蒸気機関」の重要なポイントは、少なくとも二つあるように見える。その一つは蒸気機関への復水器を導入であり、もう一つは、蒸気機関に調速機を採用したことだ。(続く)
2011-03-26[n年前へ]
■富豪と貧民の「蝸牛考マップ」
3年B組金八先生が終わるということで、階級闘争のシュプレヒコールを連想させる中島みゆきの「世情」を聞いていると、その頃遊んだトランプゲーム「大貧民」を思い出しました。…といっても、このゲームの呼び名は結構バラバラだったりする、というのも有名な話です。ある人たちは、そのゲームを「 大富豪」とブルジョアな名前で呼び、またある人たちは、それを真逆の「大貧民」と呼び、あるいはさらにプロレタリアートな「ど貧民」と呼ぶ地域もあります。
どんなものでも「図に描いてみる」ことが趣味なので、今日はそんな「富豪と貧民の関ヶ原」「大富豪と大貧民の蝸牛考」を描いてみました。それが下の日本地図です。
ブルジョアジーな大富豪が不要なカードを大貧民に放り投げ、プロレタリアートな「ど貧民」が持つ札から良いカードばかりを取り上げる…。ど貧状態が続くと…何だか少しほろ悲しくなったものでした。
そしてまた、貧民たちは時に「革命」を起こすが、「革命返し」で鎮圧されることもある…というゲーム・ルールを思い起こせば、それは実にシビアなゲームだったなぁ、と今更ながらに感じさせられます。中島みゆきの「世情」をBGMに流しながら、このゲームで遊んだりしたならば、きっと大粒の涙と鼻水を滝のように流してしまいそうな気がします。
シュプレヒコールの波、通り過ぎてゆく。
変わらない夢を流れに求めて。
時の流れを止めて、変わらない夢を、
見たがる者たちと戦うため。
中島みゆき「世情」
そういえば、中学を卒業し高校に入ってからは、みんなで遊ぶトランプゲームは、貧民でも富豪でもなく皇帝ならぬ”ナポレオン”の時代になりました。…けれど、それはまた別の話。