hirax.net::Keywords::「Atok」のブログ



2002-12-03[n年前へ]

古いバージョンのATOKでの「ATOK数式処理プラグイン」のインストールについて 

 古いバージョン(少なくともATOK13以前)のATOKでは、マニュアルの記載通りに解凍後プログラムを走らせて、インストールのボタンを押すと、「AMETが見つかりません」と表示されます。古いバージョンの場合には、次のようにしてみて下さい。

 まず、AmetMath.exeを/REGSERVERオプション付きでコマンドラインから走らせます。

    AmetMath.exe /REGSERVER
その後に、ATOKの設定ファイル、例えばAtok12であればatok12w.iniに、以下の記述
AMET2名称=数式処理ID=AmetMath.FuAmetMath未入力起動=しない
を追加します。なお、AMET2の部分の数字は他のAMETと重ならない数字ということになります。で、Windowsを再起動してみて下さい。

2002-12-04[n年前へ]

ATOK数式処理プラグイン on Win95, ATOK12 

Windows 95 + ATOK12の環境で半角入力時にはOKだが、全角入力時には「計算ができないという意味の"?"」が帰ってくるとのフィードバックが一通届いています。この手の情報を動く動かないに限らず、ぜひぜひ教えて下さいな、と。ちなみに、今のところのフィードバックはWin ME + ATOK12でOK、Windows XP Home +ATOK15でOK、Win 98 + ATOK13でOK、Win 2000+ATOK15でOKというところ 。

2002-12-07[n年前へ]

私たちの手で全てを描く 

ATOK数式処理プラグインを作る


 大雑把に言えば、「ノートや本で使われている紙」を使うときには「読む(表示する)」「書く(記録する)」という大きな二つの目的がある。もちろん、紙自体には「拭く」とか「包む」とかいった重要で欠かせない役割がある。しかし、トイレットペーパーじゃあるまいし、「本のページでお尻を拭く」なんてのは何かが差し迫ったよほどの非常事態でなければ、絶対しないに違いないのである。とりあえず、「読む・書く」というのが二つが重要なところに違いない。

 しかも、もう少し考えてみると、結局のところそれらの目的・用途は

  1. 自分で何かを書く・描く
  2. 他人の何かを読む・見る
という風に考えることができるのではないだろうか。例えば、本を読むときには「他人の何かを読む・見る」ことになる。もし、そこに自分の意見を書き留めたければ「自分で何かを書く・描く」ことになるだろう。また、ノートにせっせと色んなことを書き留めているときはもちろん「自分で何かを書く・描く」わけだし、もしそのノートを後で読み返すのであれば「他人(過去の自分なんて他人なのだ)の何かを読む・見る」ことになるだろう。

 で、重要なことは紙はこれらの目的の中で「書かれたり、描かれたり」はしているけれど、決して「書いたり、描いたり」はしていないのである。紙の上には文字や言葉やあるいは絵がスラスラと書かれていくわけだけれど、それらの文字や言葉や絵といったものを描いているのは決して紙ではないのである。それらを実際に描いているのはペンであり、そのペンを持っている私たちの手なのである。紙の上に色んなものが描かれていくけれど、それらは単に紙の上に描かれているだけで、全てを描いているのはペンを持った私たちの手なのである。

 だから、アランケイが提唱したダイナブックに近づきつつあるタブレットPCなんかものを眺めていると、それはあまりに多くの役割を「ブック=紙」に求めすぎているんじゃないのかなと感じてしまう。「読む(表示する)」「書く(記録する)」という役割を全部求めようとすると、私たちの「手」で使う道具にしては「重く」なってしまうんじゃないだろうか、と思ったりするのである。それでは、私たちの手で持つ軽いペンではなくて、まるで手で抱える重くて厚い本になってしまうんじゃないだろうか、と思うのだ。あるいは、もしかしたら「読む」ことに重きをおいていて、「書く」ことを無意識に軽んじているのかもしれない。


 

 だから、「ペンが紙の上でどういうものを描いたり動いたりしたかをペン自身が覚えていて」「必要なときに、無線でPCにそれらが描いたものやペンを持ったての動きを転送する」というアノトの電子ペンなどを見ると、逆にとても面白いなと感じるのだ。こういうものだったら、自分で何かを書いたり描いたりする際にとても役に立つ「私たちの手の一部としての賢いペン」になるかもしれない。
 
 
 

ATOK数式処理プラグイン


 そういえば、PC上で動いてはいるのだけれど「IMEなどの日本語入力システム」だって「私たちの手の一部としての賢いペン」に違いない。例えば、それらの日本語入力システム無しには、「自分で何かを書く」際に難しい漢字を書くことはきっとできないと思う。私たちが曖昧に頭の中に思い浮かべた日本語をタイプすると同時に日本語入力システムがちゃんとした漢字に変換することで、私たちの言葉が次々ときちんとした漢字でタイプされていくのである。つまりは、日本語入力システムは私たちの手の一部としての「辞書内蔵の賢いペン」なのである。
 

 ところで、事務処理や技術的な仕事に携わる人であれば何かの計算のために電卓を使うことも多いに違いない。PCを使いながら、そんな計算をしたいときにはどうするだろう?私はこれまでコマンドラインクイック起動のバーでcalcとタイプして電卓ソフトを起動していたのである。そして、電卓ソフトに数字を入力して計算をしていた。
 

コマンドラインクイック起動のバーから電卓ソフトを起動する

 しかし、こんなことをしているとちょっと何だか変な気分になるのである。どうして、電卓の進化した姿であるハズの二十一世紀のコンピューターで、わざわざ電卓ソフトを立ち上げなければいけないのだろう?しかも、その電卓ソフトは昔ながらの電卓そのまま(なおかつホンモノよりもちょっと使いにくい)なんてとても変じゃないだろうか?何でもっと、楽に手軽に計算ができないのだろうか、とワタシは思ったりするのである。


 というわけで、試しに日本語入力システムであるJUSTSYSTEMのATOKに「数式処理機能を追加するプラグイン」を作成してみた。通常の日本語入力システムは「辞書内蔵の賢いペン」であるわけなのだけれど、このプラグインを追加すれば、ATOKは「高機能関数電卓内蔵の賢いペン」に早変わりするのである。
 


 これを使えば、文章作成中に計算をしたくなった時には、例えば

とタイプして変換すると、
という風に変換(計算)されるのである。(辺り→当たりの変換ミス…) もちろん、変数への代入なども自由にできるので、
と入力すると、
1/year= 0.00273972602739726
と表示されるわけだ。sin()やcos()といった関数やpiなどと言った定数も使えるので、普通に使われるような計算であればタイプすると同時にすぐに答えを得ることができるのである。通常の日本語変換システムが「私たちがタイプすると同時に漢字に変換する」のと同様に、「私たちがタイプすると同時に数式計算をしてくれる」のである。これで、やっとPCを「計算機内蔵の賢いペン」として使うことができるわけだ。

 とはいえ、こういう色んな「賢いペン」を使ったところで、結局のところそれらを描いているのはそのペンを持っている私たちの手であり、私たち自身である。書かれたり描かれていくものはペンが描いているわけではなくて、私達自身が描いたものなのである。私たち自身の心が何かを感じ、私たちの頭が何かを考え、そして、私たちの手が全てを描くのである。

ペンは紙より強し? 

 ATOK数式処理プラグインの話を追加です。電子ペーパーの辺りを眺めてみても、やっぱり入力装置として考えるだけなら「紙」より「ペン」だろ、とか思ったりします。ペンは紙より強し、と物理的には思ったりするのですけど、現実には紙(他人の書きもの)はペン(自分の書きもの)より強いのかも。

2002-12-09[n年前へ]

ただの「データベース+パターンマッチング」 

 あとは方程式を解く機能でもあれば、どんなプログラムでもプチMathematicaみたいになるんだろうな、と思った。しかし、考えてみればMathematicaみたいな数式処理プログラムだってやっぱりただの「データベース+パターンマッチング」なのだから、日本語変換のプログラムと同じに見えるのはそもそも当たり前なんだよな、と思ったのである。
 それにつけてもAMETプログラムもっとでてきても良いのになぁ…。なんでかなぁ。ATOKユーザーが少ないのかなぁ。やっぱり、MS-IMEのせいだろうなぁ、ことえりじゃないもんなぁ。それとも、voidさんのせいかなぁ。



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