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2009-04-24[n年前へ]

「リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法」を読む 

 「リファクタリング・ウェットウェア ―達人プログラマーの思考法と学習法 」を読んだ。 著者は、「アジャイルプラクティス 達人プログラマに学ぶ現場開発者の習慣 」「プログラミングRuby 第2版 言語編 」「プログラミングRuby 第2版 ライブラリ編 」といった本の著者の一人である、Andy Huntである。本の内容は、"Pragmatic Thinking and Learning "という原題がよく表している。つまり、「とても役に立つ”物事への思考方法と学習方法”」が書かれている。ただし、"Pragmatic"=「現実に役に立つ」でもあると同時に、本書を読んでいると時に、"Pragmatic"という言葉を「語用論的」という風にも捉えたくなる。本書のタイトルを、「状況(コンテキスト)を踏まえた思考方法と学習方法」というようにも捉えたくなる。それくらいに、この本では「コンテキスト」を意識した考え方というものの重要性が書かれている。

 ビギナーにはコンテキストに依存しないルールが必要だが、達人はコンテキストに依存した直観を使う

p.30
 コンテキストから切り離された客観性-すなわちコンテキストから切り離された後に客観的になろうとすること-には危険がつきものです。

p.31

 そして、さらに、物事を考える際に「自分の考え方における偏り=認知バイアス」を意識することの重要性などが説明されていくことで、「問題に応じた適切な解決の仕方・問題解決の方法、そして、そういうことができるようになる学習方法」が解説されていくのである。

 この本には、「自分自身の考え方・行動の仕方を知り、より適切な考え方・行動の仕方ができるようにするための方法」が書かれている。ひとことで言えば、そういう本である。そして、その中で「コンテキスト」「認知バイアス」といったキーワードが重要語句として、登場しているのである。

 ここ何日か、コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」 「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」の違い「箇条書き」 と、コンテキストについて書いた。特に、日本人が「高コンテキスト文化」のトップ1に挙げられるような特徴・認知バイアスを持つ、ということを書いてみた。

 それは、本書の感想を書くためには、まず私たち自身の「考え方・行動の仕方や偏り」をわかった上で、この本を読んだ方が・感想を書いた方が良い・そうしなければいけない、と感じたからである。「コンテキスト依存が強い私たち」が「コンテキストの重要さ」を語る本を読む場合には、私たち自身の思考・行動のパターンがコンテキスト依存度が高い(という認知バイアスを持つ)ことを意識して読むことが必要である。

 自分自身や自分の周囲の人、あるいは「集団」が、「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」のどちらのタイプに属するか、あるいはどちらの傾向が強いか、を比較・自覚してみると面白いと思う。そうすることで、コミュニケーションの中で起こる問題が「あぁ、なるほど。これは必然的に起こることなんだな」と理解できたり、その対策をとることができたりもするかもしれない。

「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」の違い「箇条書き」

 私たちが持つ認知や考え方の傾向を念頭に置いた上で、それと違う文化の人が書いた本書を読むと、きっと役に立つと思う。 「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」 という。すなわち、「背景・状況=コンテキスト」を知り、自分自身を知れば、成功する確率がとても高まる。この本を読むときには、この本で書かれていること=「自分自身の考え方・行動の仕方の傾向」を知った上で、読んでみると良いと思う。「自分自身の考え方・行動の仕方の傾向」を知った上で読んだ方が良い、と思う。

2009-06-06[n年前へ]

「理解して欲しい」でなく「理解したい」 

 小倉千加子中村うさぎの「幸福論 」から。「理解して欲しい」でなく「理解したい」

 だって、人間のコミュニケーションにおいては、その気持ちこそが最大の武器だったりするワケだもの。相手を理解したいという、本気の気持がね。それこそが「愛」というものの本質ではないかとさえ、私は思うの。

2010-03-28[n年前へ]

「聴き手の興味をひく、魅力的な内容」 

 「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」の「はじめに」から。

 あなたの手元にある「カード」が、聴き手が欲しいカードと完全に同じという奇跡は、現実にはまず、存在しないのです。
 「聴き手にとって、自分の手の中にある材料には、いったい何が足りないのだろう?」「そもそも、自分が話をしようとする聴き手は、いったいどんな人たちなのだろう?」ということを考え、考え抜いて、自分の手元にある材料やカードをそろえなおす作業を繰り返すことで、初めて「聴き手の興味をひく、魅力的な内容」が、あなたの手の中に現れてくるのです。

 (下に)この記事の「関連お勧め記事」として出ているだろう、『「わかりやすい」=「正しい論理」という大きな勘違い』も、合わせて読んで頂ければ幸いです。

2010-11-11[n年前へ]

「ひとりよがりの書法をとらないでもらいたい」 

 岩城 宏之 「楽譜の風景 (岩波新書) 」から。

 演奏者という人間を媒体とした曲を書く以上、ひとりよがりの書法をとらないでもらいたい。うまく演奏家という動物を使うべきである。自分の表現したいことを、能率良く、無駄なく演奏家に伝える方法を常に考えてほしい。見やすい、わかりやすい方法で書いた方が自分のために得なのだ。

 ほとんどすべての場合、ありとあらゆるコード記法、ありとあらゆる記述法に、このアドバイスは当てはまるのだろうか、と思ったりするのです。

2012-09-22[n年前へ]

「読む人の力をいつでも信じています」 

 『「読む人の力を信じる」という秘訣 』から。

 ずっと頭の中に残っている言葉のこれまた一つが、下の言葉です。言葉を書く上で、可能な限り他人(自分以外の人や未来の自分)に伝わるように的確に書く、というのは当たり前のことです。しかし、その当たり前のことをもちろん承知の上で、この秘訣をいつも頭の中に浮かべています。
 わたしは、読む人の力をいつでも信じています。そうでなかったら一行も書けません。また、見抜く目を最高に持った人を想定読者にするのが、このメディアを続けていくための秘訣でもあります。

「からーふぃくしょん」



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