2006-03-15[n年前へ]
■Tech総研3周年お祝いコメント集
「Tech総研3周年お祝いコメント集」を私も送らせて頂きました。よくよく読み直すと、私のコメントはあんまり「お祝いに似合った言葉」ではないような感じだったので、ちょっと後悔しているところです…。
Tech総研は、何だか変わった趣向の記事が多く、マニア層をターゲットにしているのだろうか?と思うこともしばしばです。
2006-04-11[n年前へ]
■各種ツールとネーミングセンス
今日の「n年前へ」は『「マクルーハンから鴻上尚史」再び』『製造業のネーミングセンスはどうにかならんものか。』など、です。
コメント欄が溢れる各種ツールを使っていると、自分がすぐに「コメントをつけるだけの人」になってしまいそう。
2006-05-01[n年前へ]
■「メディア・記者」への期待
「学術論文」と「特許」の間に流れる深くて暗い河のコメントを色々考えながら読んで、今、こんなことをコメント欄に書きこみました。これは実に個人的な感想です。
私は、異なる「もの・ひと・世界」などの間を繋ぐことが「メディア」というものが行っていることなのかな、とふと思うことがあります。「知らない人」と「知ってる人」、「遠くの出来事」と「目の前に拡がる近くの世界」、そんなことを繋ぐことが、「メディア」というものなのだろうか?と思うことがあります。メディア(media = medium)という名前は、すなわち、中間・媒介なんていう意味の言葉なのですから、それは実に当たり前の話かもしれません。
そんなことを思いながら、今回の一連の記事に目を走らせるとき、私は記者の方たちが十分に自分の足とペンを走らせているとは感じられないのです。十分に、「離れた二つのもの」の間を繋いでいるとは思えないのです。「学術論文と特許の間に流れる深くて暗い河」や、「特許と学術的業績」や、「工学系研究者と実学」などの間を繋ぐ記事をもっと読みたい、と感じたりするのです。
2006-07-16[n年前へ]
■「うしろには夢がない」
「逃げる」という覚悟に「寺山修司が,逃げ馬について同じようなことを書いていたのを思い出しました」というコメントがついていました。寺山修司の「さらばハイセイコー」を、頭の中で読んでみるのも良いかもしれませんね。
ふりむくと一人の少年が立っているふりむくと一人の失業者が立っている
ふりむくと大都会の師走の風の中にまだ一度も新聞に名前の出たことのない百万人のファンが立っている
ふりむくな ふりむくなうしろには夢がない
2006-10-16[n年前へ]
■「長い文章を書くということ」「おばあさんの唇」
from n年前へ.
ふと漏らす一言コメントは非常に的確であるのが普通です。クローズアップされた狭い景色の中では「歪み」も「矛盾」もないのが普通ですから。だから、短い言葉・文章というのは、見事なまでに「その狭い世界」を写し取っているはずだと思います。 ところが、もう少し広い世界を写し取ろうとすると、もう少し長い文章を使って大きなものを書こうとすると、途端に色んな「食い違い」が見えてきます。
丸顔のおばあさんはなんだか急いでいるようですぐに視界から消えてしまった。ふと気づくと、私の背広の肩には鮮やかな赤い口紅の跡がしっかりと残っていた。