2011-03-28[n年前へ]
■「まだチェルノブイリより何桁も下とか思ってるのかな」
「牧野の公開用日誌」
福島原発 の放射能を理解するを見ると、今でもチェルノブイリのようになってしまうと思っている人も多いです。とか皆さん、これを参考にして自分の周り(家族、近所、学校など)で国民の不安を少しでも取り除くための「街角紙芝居」に出て頂けませんでしょうか。とか書いてあるのね。まだチェルノブイリより何桁も下とか思ってるのかなあ?
2011-03-31[n年前へ]
■「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断する」というバイアス
「災いを防ぐ=防災」ということを考えざるをえないこの時期に「原子力」についても考えを巡らせようとするのなら、そしてそのために一冊本を読んでみる気になるのなら「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」という本を、まずは読んでみるのが一番良いように思います。
この本が「考える」ために「一番良い」理由は、関連事項について広く・深くデータを示しつつ、データの意味を具体的に定量的にわかりやすく説明しているからです。エネルギーの必要性から、関連事項を理解するのに必要な科学知識や、各種リスク評価…、本のタイトルからは想像できないくらい非常に広い範囲のことが書かれています。
そして、何よりこの本の「スタンス=立ち位置」こそが「一番良い」と思う理由です。
原子力関連の本には、多かれ少なかれバイアスがかかっています。そういったバイアスがほとんど見られないように思えるのは「原子力熱流動工学」といった類(たぐい)の技術テキストくらいで、それ以外の本では必ずバイアスがかかっています。
書き手自身が無自覚のままにバイアスをかけている本もあれば、書き手がそのバイアスを意識している本もあります。「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」で著者(松野元)がこだわり続けているのが、こんな考え方(バイアス)であるように思えます。
(原子力災害が発生した場合)住民は、関係者に十分な情報を要求し、専門家の意見を聞いて、最終的に他人任せでない決断を自らが選択しなければならない。
少し長い引用をしておきます。これは「まえがき」の中段部分です。
本書は当初…原子力防災の入門書を2人(松野元と永嶋國雄)で作ろうということで制作が開始された。…ところが最終段階になって、チェルノブイリ発電所事故の取り扱いについて意見調整がつかなくなってしまった。永嶋氏の意見では、チェルノブイリ発電所事故を原子力災害として取り上げるのはかまわないが、すべての章で取り上げてはいけないということであった。たとえば、想定事故の考え方についての説明のところで、チェルノブイリ発電所事故と比較することは、日本ではチェルノブイリ発電所事故は起きないことになっており、日本の原子力防災はこれを対象としていないから、これを直接比較することは意味がなく、あえて記述すると専門レベルの内容になってしまい、一般の読者(国民)を混乱させ、原子力反対論者に知恵を授けるだけのものとなってしまうので、入門書としては不適であるとした。…つまり、この本に貫かれているのは「知識を得た上でどうすべきかを各人が判断しなければならない」というバイアスです。
これに対して私は、日本の新しい原子力防災のあり方を住民(国民)保護という民主的な点からその有効性を検証しようとすれば、チェルノブイリ発電所事故発生は事実として直視する必要があり、たとえ許可条件的に事故が起きない設計となっていても、防災というレベルにおいては可能性が存在する限りこれを無視できないので、日本の原子力防災体制が防護するべき住民(国民)をすべてカバーできているかを、チェルノブイリ発電所事故を例としてその有効性を検証することは、入門書であっても住民(国民)にとって必要なことであり、むしろ原子力を受け入れてくれなければならない人々に知恵を授けて理解を求めることが今日的な課題であると思うので、入門書とはいえチェルノブイリ発電所事故を無視することはできないとした。この意見の違いにより、2人による共著の夢は絶たれた。
「どうすべきかは他人に聞く(ゆだねる)」「情報・知識で終わる」というバイアスも満ちあふれる今日この頃だからこそ、それとは違うバイアスで書かれた「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」を読んでみるのも良いように思います。
2011-04-13[n年前へ]
■チェルノブイリ原発事故起因の推定死者数
テレビで眺めることなどを振り返りつつ、一日一枚スライドを作っています。たとえば、今日作ってみたのは「チェルノブイリ原発事故起因の推定死者数」というスライドです。
スライドに指し添えたイラストは、「チェルノブイリ周辺の位置関係と放射能汚染地図」と「ベラルース・ロシア・ウクライナの15歳以下幼児の甲状腺ガン発症数の変化」です。
スライドの右下のグラフには、賛否両論あるだろうとも思います。ただ、「チェルノブイリ原発事故で亡くなったのは三十数人」という言葉を聞いたなら、話を気をつけながら聞こうか、という気にもなったりします。
もし日本の専門家たちが、いまだにチェルノブイリ発電所事故の被害は消火活動にあたった災害従事者の31人程度であって、住民への被害は思ったより少ないと思い続け真実から目を背けるならば、原子力への住民感情と信頼は専門家の人間性の面で遠く離れてしまうだろう。
「原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために 」