2008-10-29[n年前へ]
■宿題ひきうけ株式会社
100%新しいというものは、世の中にはない。昔あったもの、すでにあるものに少しの何かが加わったものが、「新しいもの」だと思っている。科学でも、技術でも、文学でも、それはきっと何でも同じだろう。過去から現在へ、そして未来へと少しづつ変わっていくものなのだろう、と思っている。
待っていても未来はこない。ほうっておけば、くるのは今のつづきだけだよ。…そうか。まっていても未来はこない。未来はつくるものなのか。
「宿題引き受け株式会社」 P.180
「宿題.in」という「宿題に困った小学生のためのサービス」を見たとき、古田足日の「新版 宿題ひきうけ株式会社」という本を思い出した。そして、読み直した。
古田足日は、その時代と・その時代よりほんの少し先の時代を児童文学として描き出す。40年以上前に書かれたこの本の内容は、ひとことでは言えない。ひとことでは言えないくらい、2008年の現在と同じエッセンスが詰まっている。この本で描かれている「現代」は、40年前でも2008年の今でも本当に同じだ。
しかし、ずっと変わっていないということは、そこには変わらない理由がある、ということだと思っている。どちらも、ほとんど架空の世界ではあるけれど、宿題.inや宿題引き受け株式会社が生まれ続ける理由がある、ということだと思う。技術革新が生む豊かさと貧しさ、さまざまな違い、そんなものをが消えない必然・理由が必ずある、と思っている。この本には、そういう必然・理由は書かれていない。けれど、たくさんの過去から現在・未来への宿題は詰まっているのが、この本だと思う。
この一年間、ぼくはきみたちにじっくり考えてもらいたい。自分はなぜ勉強するかということだ。これがこの一年間の宿題だ。
「宿題引き受け株式会社」 P.82
2008-10-30[n年前へ]
■モグラ原っぱの跡地に住んでいた
どういうきっかけだったかは忘れたのだけれど、こどもの頃、古田足日の家に行ったことがある。何かのきっかけで、遊びにおいでと言われ、緊張しながら本を抱えて古田足日の家に行った。だから、実家の本棚のどこかには、古田足日に言葉を書いてもらった「宿題ひきうけ株式会社」と「モグラ原っぱのなかまたち」があるはずだ。
「モグラ原っぱのなかまたち」は、学校と、家と、そして雑木林の中や原っぱで遊ぶこどもたちを主人公にした話だ。「モグラ原っぱ」を見つけ、そこで遊び、そして「モグラ原っぱ」が消えるまでの話だ。
当時、古田足日の自宅近く、「モグラ原っぱ」の跡地にできた団地に住んでいた。だから、「モグラ原っぱのなかまたち」を読むときは、その前にあっただろう景色を想像しながら読んだ。今、あの場所は一体どうなっているのだろうか。
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2009-11-18[n年前へ]
■「合理化」「自動化」って何だろう。
古田足日「宿題ひきうけ株式会社 」から。
戦争がおわってクワ畑はまたできたが、マユが売れなくなったので作らなくなった。なぜ売れなくなったかというと、ナイロンやビニロンのような化学せんいができたからだ。
電子計算機が発明されたことも世の中の進歩だ。だが、そのために(そろばんの名手だった)アキコの兄は違う職場にかわらなければならなかった。
合理的-むだのないようにやっていく、という言葉をタケシは知っている。このことばはたいていよい意味で使われている。
おそらくこの下部に「自動」で出ているだろう、この記事の「関連お勧め記事」も辿ると、やはり「合理化」「自動化」って何なのだろうか、と時折考える。そして、「人が操作しなくても自動で調整し・動くもの」を作ろうとしている自分もいる。
2009-11-28[n年前へ]
■「やる気になればやれる」という言葉
「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」中、「忍術らくだい生」の冒頭に掲げられた言葉から。
だれだって
どんなことだって
やる気になれば やれるさ
その気になれば できるさ
-先生も そういう
-お父さんも そういう
ほんとうだろうか?
「全集古田足日子どもの本 (第7巻) 」には、「宿題ひきうけ株式会社 」と「忍術らくだい生」が収録されている。いずれも、1960年代に書かれたものだ。
末尾には、『宿題ひきうけ株式会社』の勇気、と題した鴻上尚史による2ページほどの一文も入っている。
自分で考えること、自分が自分の意思で自立することの可能性を教えられたと思った。
この作品は、確かに、ある時代の、まだ希望と未来を堂々と語れた時代の風景にもとづいている。がしかし、そこに提出される『宿題ひきうけ株式会社』のコンセプトは、どんな時代になっても、リアルであり続ける。
僕は大学時代、小学生の家庭教師をしていた。最後の授業の日、僕はプレゼントとして、この『宿題ひきうけ株式会社』を渡した。
それは、どんな時代になっても、この作品の勇気を知ってもらいたかったからだ。