2000-10-29[n年前へ]
■狩猟民族の血
オランダのスキポ−ル空港にて、同様におつりで清掃費がばかにならないため、便器メ−カ−が便器に蝿をあらかじめprintしておいたところ、狩猟民族の血が騒ぐのか皆それを狙ってするので、おつりが激減して清掃費が大幅に安くなったとのウワサ。 from mail. Thank you.
2001-10-29[n年前へ]
■今日の加納朋子 「月曜日の水玉模様」の文庫本
図書コーナーで「月曜日の水玉模様」の文庫本を買った。ハードカバーを持っているにも関わらず買ったのは、解説をじっくり読みたいから。
「日常の謎」ミステリーが好きな人にとって、「解説」というのはこれもまたミステリーの謎解きそのものだと思う。自分が眺めていた小説の中の景色を「ほぅら、こんな見方もあるでしょう?」と解説が書くことで、その景色をまた違った場所から眺めたストーリーを描くのだから。
でもって、この本の中の「毎日、乗り降りを繰り返す通勤電車の中で出会う、数百、数千の人達。彼らの一人一人はいったいどういう暮らしをし、何を考え、どこへ向かっているのだろう?」なんて加納朋子らしくて良いなぁ。瞬間写真コレクションも思わず連想してしまう。
2002-10-29[n年前へ]
■JPEG Cruncher
HardでLoxseな日々を読んでて使ってみた。圧縮率もともかく、圧縮を掛けてモスキートノイズが目立ちにくくなるところが面白い。そこで、何をしているかをちょっと調べてみることにする(続く…)(リンク)(リンク)
■Freenet
P2P匿名出版システム。
ところで、「出版」というとどうしても、「版を作って印刷する」という印象がつきまとう。「publicにする」という「publish」とはちょっと指し示す意味が違うように感じる。「匿名で出版する(publish)」わけじゃなくて、「匿名で多くの人と共有する(publish)」なんだから、「出版」という言葉はちょっと語弊があるようにも思う。というわけで、「出版」の語源を調べる(続く…)(リンク)
■正二十面体の地平線の向こう
今日頂いたSさんからのメールを、ほぼそのまま転載。最後の「hirax.net風」という辺りは少しばかり曖昧かつ楽観的にしてしまいました。
世界を映す玉手箱 - 掌の上の不思議な世界 -
どんな写真で作ろうかな?と考えてみて思ったことは、 「パノラマ水晶玉みたいな写真外向き正二十面体」はワクワクして楽しそうだし、「内側を覗きこめる写真内向き正二十面体」はドキドキしてとても楽しいだろうけれど、でもふつうの視野の写真を正二十面体にしたものだってとても趣があるということです。
特に、二十面体の作る人工地平線が写真に与える効果はとても不思議です。「普通だとぼんやりとしか見えない地平線」が「正二十面体上の人工地平線」ではくっきりと見えていて、近くの物さえも地平線が覆い隠すさまがとてもよく見えるのです。
例えば、壁に掛かっている妻と私の幸せそうな記念写真も、正二十面体上の世界では
(正面から見ると)幸せな夫婦者
(左から見ると)アホづらに薄笑いの怪しい男一人
(右から見ると)ほほえむ女一人
(裏から見ると)二人ともいない背景だけの世界
と姿を変えて、この人工地平線は非情ともいえる強制力で見るものへの印象・意識を変化させるのです。ちょっと角度を変えるだけで、妻のすぐ隣にいるはずの私が地平線の彼方へと押しやられて、それなのに(むしろ)幸せそうな妻が残り、さらにもう少しほどずらすと風景だけになってしまうのです。
例えば、二十面の何処かの一面に泣いている人が写っていても、その泣き顔は「地平線の向こう」の他の面からは見えないのです。かなしいことに、なかなかその泣き顔は心に映らないのです。
ふと考えてみれば、私たちはみんな一人が一つの面に立っていたのかもしれません。もしかしたら、私たちの地球は六十億面体だったのかもしれません。六十億面体の上の、六十億のそれぞれの平面の上に立ちつくす私たちにはすれ違う人さえも「地平線の向こう」で、世界の上で起こる色々なできごとだって、やっぱりなかなか心に映らないのかもしれません。かなしいことに。
だけど、掌の上で正二十面体の地平線を眺めれば、「普通だとぼんやりとしか見えない地平線」をはっきりと眺めることができれば、その地平線の向こうだってきっと見えてくるような気がします。少しくらいは、その向こうの景色や人が心に映るような気がします。正二十面体をちょっと転がしてみれば、「地平線の向こう」だってゆっくりと見えてくるのかもしれません。
2003-10-29[n年前へ]
■折りたたみバイク
昼休みには折りたたみ自転車で箱根の山中を登っていくのが最近の日課なのだけれど、自転車でなく折りたたみバイクのDi Blasi R7はものすごく欲しい。 from Hardでloxseな日々
2004-10-29[n年前へ]
■大都市における隣駅の法則
大都市では、拠点駅の隣駅にラブホテルが固まっている。例えば、梅田駅なら隣の十三。大阪駅は桜ノ宮、福岡駅は薬院、上野駅の隣の鶯谷もそう。なぜだ?という大都市における隣駅の法則.
■Googleが衛星写真データベース会社買収
衛星および航空撮影で集めた画像を地図情報としてデータベース化している会社KeyholeをGoogleが買収。「地球上のどんな場所でも3Dイメージが検索参照できるとともに、道路、事業所といった目的地の豊富なデータベースも検索利用できるようになる」
■ジャニーズ事務所の写真嫌い
3年B組金八先生の卒業アルバム。ジャニーズ事務所は何故そこまでインターネット顔出しを嫌う?
■ピエゾグラフによる和紙表現の可能性
エプソンのプリンタで筆のタッチや素材感など、作品のあらゆる"質感"を再現するピエゾグラフ。 from 骨ニュース
■小春日和のパノラマ
初冬の,春のように暖かい日、小春日和のパノラマ写真
■1チップMSX
ALTERA PLD EXPO 2004で報告された、ALTERAのFPGA Cyclone EP1C12Q240C8でMSXを再現する1チップMSX。MSX1の機能を実装している。
■3年卓上日誌
夜職場で「あっという間に○×歳になった。一体、この△年はオレは一体何をしていたのだ」というような話になった。1年前、2年前の同じ日に何をやっていたのか、振り返ることができる3年卓上日誌はそんな時に役に立つかも。n年日記を眺めることのできれば(眺めざるをえなければ)、違う感覚で毎日を過ごすことができるかも。 from 古今東西製品情報
■S5: A Simple Standards-Based Slide Show System
"S5 is a slide show format based entirely on XHTML, CSS, and JavaScript. With one file, you can run a complete slide show and have a printer-friendly version as well. "
2005-10-29[n年前へ]
■「n 年日記」で見るネット時間の速さ
今日、10月29日の過去を眺めてみると、去年は「去年の今日、何をしていたかがわかる3年対比の日記です」 という感じの3年当用新日記を面白く眺めている。偶然、同じようなものを眺めてたことになる。
そして、同じ昨年の今日眺めたニュースが、「Googleが衛星写真データベース会社Keyholeを買収」というニュースだ。今ではGoogle Local(Map)がずっと前からあるかのように使っているけれど、Google が (Google Earthのオリジナルであり、Google Localの素材でもある)Keyhole を買収したのがほぼ一年前の話ということになる。あぁ、なんてネット時間は速く流れているのだろう。
2006-10-29[n年前へ]
■「n年日記で見るネット時間」「3年卓上日誌」「正二十面体の地平線の向こう」
「n年日記で見るネット時間」「3年卓上日誌」「正二十面体の地平線の向こう」 from LINK n年前へ.
青い空高くを飛ぶ人と、地上にゆっくり佇む人の時間は違う。そんな風に、違う人は違う軌跡を描き、違う時間を刻んでいるような気がする。
だけど、掌の上で正二十面体の地平線を眺め、「ぼんやりした地平線」をはっきり眺めることができれば、 その地平線の向こうだってきっと見えてくるような気がします。 少しくらいは、その向こうの景色や人が心に映るような気がします。
2008-10-29[n年前へ]
■宿題ひきうけ株式会社
100%新しいというものは、世の中にはない。昔あったもの、すでにあるものに少しの何かが加わったものが、「新しいもの」だと思っている。科学でも、技術でも、文学でも、それはきっと何でも同じだろう。過去から現在へ、そして未来へと少しづつ変わっていくものなのだろう、と思っている。
待っていても未来はこない。ほうっておけば、くるのは今のつづきだけだよ。…そうか。まっていても未来はこない。未来はつくるものなのか。
「宿題引き受け株式会社」 P.180
「宿題.in」という「宿題に困った小学生のためのサービス」を見たとき、古田足日の「新版 宿題ひきうけ株式会社」という本を思い出した。そして、読み直した。
古田足日は、その時代と・その時代よりほんの少し先の時代を児童文学として描き出す。40年以上前に書かれたこの本の内容は、ひとことでは言えない。ひとことでは言えないくらい、2008年の現在と同じエッセンスが詰まっている。この本で描かれている「現代」は、40年前でも2008年の今でも本当に同じだ。
しかし、ずっと変わっていないということは、そこには変わらない理由がある、ということだと思っている。どちらも、ほとんど架空の世界ではあるけれど、宿題.inや宿題引き受け株式会社が生まれ続ける理由がある、ということだと思う。技術革新が生む豊かさと貧しさ、さまざまな違い、そんなものをが消えない必然・理由が必ずある、と思っている。この本には、そういう必然・理由は書かれていない。けれど、たくさんの過去から現在・未来への宿題は詰まっているのが、この本だと思う。
この一年間、ぼくはきみたちにじっくり考えてもらいたい。自分はなぜ勉強するかということだ。これがこの一年間の宿題だ。
「宿題引き受け株式会社」 P.82
2009-10-29[n年前へ]
■「MathematicaPlayer+IronRubyでMathematica風AJAX WEBアプリ」の動作動画
「無料MathematicaPlayer+IronRuby+AJAX」で数式処理フロントエンドを作ってみよう がどのように動作するか・どのように使うことができるのか、をわかりやすく眺め・わかりやすく感じることができるように、ブラウザ上で使っている最中の画面をキャプチャしてみました。それが、下に貼り付けた動画になります。
IronRubyやMathematica、あるいは、.NETと言われても・・・何か敷居が高く感じてしまうという方も多いかもしれません。あるいは、使ってみたいけれど、ダウンロード・インストールするのが面倒だ・わかりにくい・・・、とか、そういった作業をする時間がないよ・・・という人も多いかもしれません。
そこで、「とりあえず、どんな具合になるのか知りたい」という方のために、今日はとりあえず動作画面を誰でも眺めることができるようにしてみました。私がIronRubyで書いたコードもとても単純ですから、適当に直したり・カスタマイズしてみると、とても面白いのではないでしょうか。もちろん、「ここ修正すべし」といったアドバイスなど、大歓迎です。
2012-10-29[n年前へ]
■女性タレントが本当のスリーサイズ数値を伝えるシチュエーション!?
「女性タレントの方々のスリーサイズ・プロフィールを眺めてみると、ウェストの数値とバストの数値がちょっとおかしい!?」というようなことを、女性タレントの法則「"8"が付いてるスリーサイズはかなりウソ」で書きました。
「タレントさんの撮影時、衣装の用意の都合上、タレントさんの本当のスリーサイズ数字が送られてくるのですが、プロフィール数字とはずいぶん違っていたりしますね」そんなことを、雑誌編集をされている方に教えて頂きました。(本当はウソの)プロフィール数値に沿った衣装を編集部が用意してしまうと、「こんなサイズ着れない!」という事態になってしまうので、そういう撮影の際は「本当のサイズ」を伝えてくる…というわけです。
現実の世界は、意外に面白い仕組みで動いているものですね。
2014-10-29[n年前へ]
■「動き」を感じる絵とは何か…について思うこと
『絵における「動き」とは一体何なのか?という話 』という話を読む。シャッタースピードとかを例えに出してるんだけど、間違ってると思う。いしかわじゅんの「安彦良和は動きがかけないと」いう文章は読んでないんだけど、そうかも確かに!と感じた。
いしかわじゅんの「安彦良和は動きがかけないと」いう言葉に、なぜ確かに!と感じたかというと、それはシャッタースピードとかブレといった科学技術風味の調味料が振りかけられた話ではなくて、「連続時間の中からどの瞬間を抜き出して描くか」「その抜き出した瞬間はー加速度=力ーを感じさせる瞬間の絵か」ということなんだと、感じてる。その抜き出しのセンスが、「動きを描くセンス」かもと思う。
で、どれだけ連続的な時間の(たくさんの絵)を描くことが上手くても、その多くの絵から1枚を選び・マンガのコマに描くことが上手いとは限らない。池上遼一の絵は、加速度/力的には、それは静止画過ぎるんじゃないの?…という瞬間を抜き出している。…それは、あまりに「動き」を感じさせない絵だと思う。…さて、安彦良和が描く漫画の絵は一体どういう瞬間を抜き出したものなのだろうか?
動き…というより加速度や力を感じさせるかどうかは、「動きと画質の間にはトレードオフが存在する」という、少しの科学技術風味を感じる話ではなくて、もっと主観的で曖昧な、「人が動きを感じるのはどういう瞬間か・どういう瞬間を抜き出して描くべきか」ということを考えた方が良いと思う。
2016-10-29[n年前へ]
■「眼球の型をしたピンホールカメラ」模型を作ってみよう!?
小学生高学年向けのこどもたちに「見えないものを観てみよう!」という実験授業をするために、「眼球の型をしたピンホールカメラ」模型を作ってみました。…どういうことかというと、授業内容は「自分の目で見ることができる可視光な世界を踏まえつつ、それとは異なる非可視な電磁波で世界を眺めてみよう!」というものなのですが、そのためには「私たちが(人それぞれ)どんな風に世界を眺めているのか」を説明する必要があるのかもしれないと思い「見ることができるもの」を話すための補助資料を作ってみようと考えたわけです。
そこで、以前作った全球ディスプレイを作るためのパーツを利用して、「眼球の型をしたピンホールカメラ」模型を作ってみました。直径30cmほどの白球体に、瞳形状の絞りを貼り付けて、さらに瞳中心にはレンズを固定して…網膜に映る映像を(眼球の後ろ側から)の眺めることができる模型を作ってみました。
後は、この眼球模型に錐体や錯体を(人それぞれの比率や分布で)貼り付けてみると面白そうですが…そういう仕組みを見せるなら、この球体を全球ディスプレイとしてPCから表示する方が適切なのかもしれません。