2002-10-29[n年前へ]
■JPEG Cruncher
HardでLoxseな日々を読んでて使ってみた。圧縮率もともかく、圧縮を掛けてモスキートノイズが目立ちにくくなるところが面白い。そこで、何をしているかをちょっと調べてみることにする(続く…)(リンク)(リンク)
■Freenet
P2P匿名出版システム。
ところで、「出版」というとどうしても、「版を作って印刷する」という印象がつきまとう。「publicにする」という「publish」とはちょっと指し示す意味が違うように感じる。「匿名で出版する(publish)」わけじゃなくて、「匿名で多くの人と共有する(publish)」なんだから、「出版」という言葉はちょっと語弊があるようにも思う。というわけで、「出版」の語源を調べる(続く…)(リンク)
■正二十面体の地平線の向こう
今日頂いたSさんからのメールを、ほぼそのまま転載。最後の「hirax.net風」という辺りは少しばかり曖昧かつ楽観的にしてしまいました。
世界を映す玉手箱 - 掌の上の不思議な世界 -
どんな写真で作ろうかな?と考えてみて思ったことは、 「パノラマ水晶玉みたいな写真外向き正二十面体」はワクワクして楽しそうだし、「内側を覗きこめる写真内向き正二十面体」はドキドキしてとても楽しいだろうけれど、でもふつうの視野の写真を正二十面体にしたものだってとても趣があるということです。
特に、二十面体の作る人工地平線が写真に与える効果はとても不思議です。「普通だとぼんやりとしか見えない地平線」が「正二十面体上の人工地平線」ではくっきりと見えていて、近くの物さえも地平線が覆い隠すさまがとてもよく見えるのです。
例えば、壁に掛かっている妻と私の幸せそうな記念写真も、正二十面体上の世界では
(正面から見ると)幸せな夫婦者
(左から見ると)アホづらに薄笑いの怪しい男一人
(右から見ると)ほほえむ女一人
(裏から見ると)二人ともいない背景だけの世界
と姿を変えて、この人工地平線は非情ともいえる強制力で見るものへの印象・意識を変化させるのです。ちょっと角度を変えるだけで、妻のすぐ隣にいるはずの私が地平線の彼方へと押しやられて、それなのに(むしろ)幸せそうな妻が残り、さらにもう少しほどずらすと風景だけになってしまうのです。
例えば、二十面の何処かの一面に泣いている人が写っていても、その泣き顔は「地平線の向こう」の他の面からは見えないのです。かなしいことに、なかなかその泣き顔は心に映らないのです。
ふと考えてみれば、私たちはみんな一人が一つの面に立っていたのかもしれません。もしかしたら、私たちの地球は六十億面体だったのかもしれません。六十億面体の上の、六十億のそれぞれの平面の上に立ちつくす私たちにはすれ違う人さえも「地平線の向こう」で、世界の上で起こる色々なできごとだって、やっぱりなかなか心に映らないのかもしれません。かなしいことに。
だけど、掌の上で正二十面体の地平線を眺めれば、「普通だとぼんやりとしか見えない地平線」をはっきりと眺めることができれば、その地平線の向こうだってきっと見えてくるような気がします。少しくらいは、その向こうの景色や人が心に映るような気がします。正二十面体をちょっと転がしてみれば、「地平線の向こう」だってゆっくりと見えてくるのかもしれません。