2008-08-04[n年前へ]
■「1秒間に2回の運動は”エンディング”近く」の法則
どんな業界でも「その業界のプロには”見れば”わかる」ということがある。
AV業界の監督さんが「HカップかJカップかは"一目見れば"わかる」と言っていた。計測器も真っ青の「プロの目」だなぁ、と感心させられた。そして、AV業界と言えば、編集者が書いていたこんな言葉にも驚かされた。
ちなみに、一秒間に2回の運動は結構激しいですから、そういう動きを横目で見るだけで「あぁ、エンディングが近いんだ」とわかります。ビデオ画像を一目見ただけで、そのビデオのコンテキスト(文脈)解析をして、「今目に入った場面が」全体のどこに位置しているかを一目瞭然に判断しているわけである。まさに「プロの目」である。
以前「アダルトビデオの動画解析」をしたことがある。この時は15秒間の動画からオプティカルフロー(動き)を解析したのだが、全編に渡って動画の動きを解析し、ビデオのコンテキスト(文脈)解析をしてみるのも面白いかもしれない。もしかしたら、すでに「オプティカルフロー計算→コンテキスト解析解析→スクリーンショット作成」といったフローがアダルトビデオサイトのバックエンドでは動いていたりするのかもしれない。
今度、「1秒間に2回の運動は”エンディング”近く」の法則を使った”スクリーンショット作成”WEB APIを試しに作ってみることにしようか。
2009-04-22[n年前へ]
■コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」
「異文化コミュニケーション」という研修を受けたことがある。その時、自分自身がどのような考え方をし・どのように判断・行動するタイプであるか、また、自分の周囲は平均的にどのような集団か、日本は他諸国は…というようなことを診断シートから判断してみたり、参加型の実習を通して学んだりした。
いくつもの面白く、かつ、納得させられることを教えられたが、コミュニケーションで「言葉自体が占める割合・重要性」「コンテクスト(背景・文脈など)に依存する割合」を考えた、「低コンテクスト文化」と「高コンテクスト文化」という2つの文化の違いについても、実に興味深いことのひとつだった。(エドワード・T. ホール著「文化を超えて 」や「沈黙のことば 」参照のこと)
もちろん、実際にはそのふたつの文化に2極化するわけでなく、その2つの文化の中間的な場所のどこかに自分、あるいは他者はいるわけである。ちなみに、「高コンテキスト文化」から「低コンテキスト文化」まで、高コンテキスト順に(つまり、高コンテキスト→低コンテキストという順番で)各国を並べると、以下のようになる。
- 日本
- 韓国
- サウジアラビア
- 中国
- インドネシア
- タイ
- フランス
- イタリア
- イギリス
- チェコ
- アメリカ
- オランダ
- ドイツ
- スイス
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比較として、「言葉」を重要視するのが、低コンテキスト文化であるから、低コンテキスト文化では”説明責任”が重視される。すなわち、コミュニケーションでは「話し手(書き手)/聞き手(読み手)」のうち、話し手(書き手)の責任が大きい。その逆に、状況(文脈)の中で「コミュニケーション・理解」が行われる高コンテキスト文化では、聞き手(読み手)が責任を負う。この違いは、とても大きく、とても重要だ。
たとえば日本のような高コンテキスト文化では、聞き手(読み手)は話し手(書き手)の言わんとするメッセージを(言葉・表現に曖昧さが多くとも)解釈しなければならない。逆に、低コンテキスト文化では、誰もが理解できるようにメッセージを話し手(書き手)が明確なメッセージ・言葉を話し(書き)、伝える必要がある。
自分は、コミュニケーションにおける「高コンテキスト文化」と「低コンテキスト文化」で、どこに属しているか考えてみると面白いと思う。中には、自分が話し手(書き手)の場合には「高コンテキスト文化」=相手に内容を読み取る責任があると考え、自分が聞き手(読み手)の場合には「低コンテキスト文化」=相手に逐一説明する責任がある、という、トンデモ的コンテキスト文化に属していたりするかもしれない。