2009-01-29[n年前へ]
■太田光代と「有吉佐和子」
爆笑問題の所属する「タイタン」の社長、爆笑問題の太田光の結婚相手、太田光代の「逆風満帆」から。
心のよりどころになっていたのは、有吉佐和子の小説「悪女について」だった。(中略)波瀾万丈を楽しんで生きる主人公に、光代は自分の半生を肯定された気がした。何度読み返したことだろう。光代のバイブルになった。
2009-02-07[n年前へ]
■阿修羅像と向田邦子
3月31日(火)〜6月7日(日)までの間、上野公園にある東京国立博物館 平成館で「国宝 阿修羅展」が開催される。どんな他の絵画展よりも、長い時間をかけて見てみたいと思っている。彫刻の技巧というものについて、私は全くわからない。だから、そこにあるものをただただ眺めてこようと思う。きっと眺める時間はとても長くなることだろうが、できれば、阿修羅像を見た後に、夕刻の上野公園をゆっくり散策してみたいと思っている。
阿修羅像は、当時、唐からもたらされた『金光明最勝王経』をもとにつくられたと考えられます。そこには、これまでの罪を懺悔して、釈に帰依することが説かれています。阿修羅の表情は静かに自分の心を見つめ懺悔する姿を表したものと考えられます。
一つの体に3つの顔と6本の手を持つ阿修羅像は、とても魅力的で底知れぬ魅力がある。そして、やはり奥深い複雑さを秘めつつも、なぜか不思議なくらい素朴に佇んでいるように見える。
また一説では、阿修羅は正義ではあるが、舎脂が帝釈天の正式な夫人となっていたのに、戦いを挑むうちに赦す心を失ってしまった。つまり、たとえ正義であっても、それに固執し続けると善心を見失い妄執の悪となる。阿修羅像を見ると、あるいは、その後散策でもしていると、きっと向田邦子を思い起こすことだろう。
向田邦子に関する著作を読んでいく中で、向田邦子の色々な面をかいま見たような気になった。向田邦子が書いたこと、書かなかったこと、口にしたこと、口にしなかったこと、そんなものを、ほんのわずかだけれど、少しだけ感じられるようになった気がした。その中の大きなシンボルの一つが「阿修羅」だ。
”向田邦子シリーズ”は…内容は何も決まっていなかった。…そこで阿修羅が出てきた。これは奈良、興福寺の阿修羅像からきていた。阿修羅像は三面の美少年風の乾漆像である。怒り、嫉妬、争いなどを象徴していたが、向田は特に”怒り”の象徴として捉えた。…それで、和田(勉)にペンを握らせて「阿修羅のごとく」と書かせ、「うん、これでいいわ」と和田にいった。
小林竜雄 「向田邦子 恋のすべて 」
(向田邦子には)喜怒哀楽でいうと「怒」と「哀」はあると思う。しかし、本当の意味での「喜」と「楽」はなかった思います。
和田勉が「向田邦子をめぐる17の物語 」中で語ったこと
「阿修羅のごとく」が作られて行くなかで、緒方拳は続編への出演を拒否し、演出の和田勉は向田邦子と絶交するに至り、佐分利信は脚本読みの途中で脚本を拒否し帰ってしまったという。
何だか、それは、向田邦子が根本として矛盾と限界を抱え、その矛盾と限界を一つの収まる形に当てはめようとしようとする「阿修羅のごとく」の中では、自然と起きざるをえなかったことのようにも思える。
阿修羅像ではないが、三つの顔を持つ像というと、そして向田邦子というと、久世光彦が書いたこんな一節を思い出す。
今度はこのお寺の御住職がやってきた。…一日に三度、顔が変わるというのである。…いまは泣いているが、もうしばらくしたら怒りだす。そうして夜が明けると、何事もなかったように笑っている。だから、三変わり観音と言うらしい。
向田邦子という人についていろいろ書いてきて、いったい私はあの人のそんなに幾つもの顔を知っているのだろうかと、ふと考えてしまう。…多分、誰にも見せていた顔を、私も長い間ずっと見てきただけである。…そんなことから言えば、私などより特殊な人間関係、たとえばあの人に愛された人、憎みあった人、心配された人、可愛がられた人ーいくらもいるに違いない。あの人もそういう人の前では、激しく怒ったり、涙が出るくらい笑ったりしたはずである。
三変わり観音の三つの顔で言えば、(私は)笑い顔を知っているぐらいのもので、それだって心から笑った顔だったかどうか、よくは判らないのである。
(向田さんが一日の大半顔を合わせていた)それらの人の前で、あの人は結局のところ、泣きも笑いも怒りもできなかったのではないか。内心には百の表情でも足りないくらいの思いがありながら、たった三変わりさえもできなかったのではないか。…家族にさえ三変わりの顔を見せられなかったのが、もしかしたら、私にとっての向田邦子のすべてなのかもしれない。ということはーもしかしたら私は、これだけの紙数を費やして、あの人の不幸について書いてきたのかもしれない。
久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年 」
観音様の顔は、本当に日に三度変わるのだろうか。…何とか暇を作って確かめに行ってみようと思う。その長い一日の間にやっぱりあの人のことを考えてしまうだろうな、と思うのである。
久世光彦 「触れもせで―向田邦子との二十年 」
向田邦子が口にしなかったものはいくつもある。そのひとつ、次は、向田邦子が頑なまでに口にしなかったという有吉佐和子について書いてみたい、と思う。
2009-02-17[n年前へ]
■有吉佐和子文学の周辺を賑やかにするべきである
松岡正剛の千夜千冊より。
有吉佐和子をいまなお現代文学の中央の場で議論しないのはどうもおかしい。こんなにすごい作家はめったにいない。日本の家や芸道を描いては他の追随を許さないし、『恍惚の人 』で老人問題を、『複合汚染 』では公害問題を、それぞれどんな作家よりもはやく取り組んで、しかも重厚に仕上げた構想力は並大抵ではない。そろそろ有吉佐和子文学の周辺を賑やかにするべきである。
第三百一夜【0301】2001年5月28日
2009-02-21[n年前へ]
■「キュリー夫人伝」と「有吉佐和子」
「キュリー夫人伝 」に感動し(たとえば、「有吉佐和子 (新潮日本文学アルバム) p.17)理科の道を志そうとしたこともあった女性の話を、少しばかり書こうと思う。
女性の名前は、有吉佐和子だ。(理科の道を志そうとしたからこそ書き上げることができた)「複合汚染」を書き、「華岡清州の妻」を書き、そして、「悪女について」を書いた作家である。
彼女は自伝「作家の自伝 (109)有吉佐和子 」中でこう書いている。
女には限らないけれど、仕事に打ち込んだ場合、「才」とか鋭い神経とかいうものは、あれば必ず邪魔なものだ。大成するとか、本当の意味での成功に必要なのは鈍根性だと私は思っているが(中略)有吉佐和子は「才女」と呼ばれた。「才能」とは「可能性」でもある。そして、時に、「可能性」を多く与えられ、そして、鋭い神経を兼ね備える人たちがいる。そんな人は、有吉佐和子のような人たちを知っておいても良い。
「先生たち」 p.26
「有吉佐和子の世界 」という本がある。この中で、橋本治が書く「理性の時代に」という文章は、有吉佐和子のような人たち、いや、それ以外のすべての人が読むべき文章である。
女たちは生まれ、育ち、そして学ぶ。学んだ彼女達はどこへ行くのだろうか?学んだ彼女たちは当然のように結婚し出産し、生活の中心に腰をそえ(あるいはそえざるをえなくなって)、主婦という没個性の中に沈んで行く。一体彼女達が身につけてしまった知性というものはどこに行くのであろうか?知性という窓を通してかつての日に見た可能性はどこに行くのだろうか?知性によって支えられた理性を、そうした理性を持った健全な人々を正当に評価してくれるような幸福な日常があるとは、私には思えない。そしてそうした幸福がたとえあったとしても、それならば、その”幸福”によって遮られる、かつての日にかいま見た漠然たる可能性の行く末は?たとえば、「キュリー夫人伝 」に感動し理科の道を志そうとしたりした女性たちは、きっと他にもたくさんいることだろう。「出口もないまま、本を読む習慣だけは青春の日に身につけてしまった彼女達」の一つの結晶として有吉佐和子が書いたものごとを通じ、橋本治が語る文章は、必見だと思う。
そのことの前には、女性に関する一種混沌としか呼びようのない現実が登場する。これを抑えない限り、すべての女性に関する認識は偽りであり(中略)
P.116 橋本治 「理性の時代に」@「有吉佐和子の世界 」
2009-02-22[n年前へ]
■「悪女」と「嘘」
ずっと昔、よく深夜の小平霊園で時間を過ごした。何人かで深夜にかくれんぼをしたり、飲んだ後、小平霊園の中を、瓶ビールを飲みながら歩いたりした。高校時代に夜を過ごした場所は、小平霊園と小金井公園と多磨霊園が多かった気がする。
その小平霊園の一角で有吉佐和子は眠っている。その墓石を写した写真が「有吉佐和子 (新潮日本文学アルバム)」のp.95掲載されている。右上の写真は、その小平霊園の中を歩きながら撮影した写真だ。
この本に橋本治が書いている「彼女の生きていた時代(p.97)」は本当に魅力的だ。
逆境にめげずにひたすら前へ突き進んで行く意志の強い女を書かせたら、彼女の右へ出るものはいないだろう。しかし、それだけではないだろう。
一人の女が、女としての論理を一貫させて生きようとした時、そこには必ず、世の中というものを作る男の論理との衝突が生まれる。その衝突を回避するために、女にとって”嘘”とか”沈黙”といったものは必須になる。橋本治の目を通して、有吉佐和子が書く「悪女」あるいは「悪女の嘘」を読むと、それらが本当に魅力的で、正確すぎるくらい正確なスケッチに見えてくる。そして、その「悪」や「嘘」が魅力的に見えてくるのが不思議だ。
そんな「悪女」を有吉佐和子が描いた小説「悪女について 」について、有吉佐和子自身が書いている文章が、これまた良い。