2009-03-29[n年前へ]
■「理想」を「誰でも簡単に実現できる」ようにしたい
「論理的にプレゼンする技術」は、これまでに書いたものとくらべて、
「これが理想だ」という資料を、「コンピュータに慣れていない人」「パワーポイントしか使わない人」でも簡易に作れるようにするということを、これまでよりずっと強く意識して書き・描きました。逆にいえば、これまでに書いたものは、今振り返って考えてみると「コンピュータに慣れていない人」には、あまり優しくなかったように思います。
しかし、たとえば、今回の本の挿入図はほぼすべてが「Windows VistaのLunaモードでの操作画面」になっています。つまり、コンピュータに慣れていない人が、本に掲載されている図の通りに辿れば(混乱せずに)やりたいことができるようにしようということで、Lunaモードで画面をキャプチャしまくりました。それは、つまり、コンピュータのデフォルト設定を変えたりはしない人、が読むさまを想像しながら作ったからです。
また、たとえば「図を張りこんだグラフ・特殊効果グラフ」なども、すべて「PowerPointだけで」作る手順を書いてみました。「使えるものはすべて使おう」という理想ではなく、「Windows上でMicrosoft Office(だけ)を主に使う人・場合が多い」という現実の中で、いかに「理想に近いものを(しかも簡易に)作るか」ということを考え、そういった手順書(図)を作りました。
いろいろな「わからないこと」「わかりにくいこと」をわかろうとする毎日の中で、「わかりやすい」とはどういうことかと、いつも考えています。わかりやすい説明・プレゼンという「理想」を「誰でも簡単に実現できる」手伝いをしたい、とよく思います。本書が、そんな手伝いができたら、ほんの少しでも役に立てたら、何よりも幸いです。
2009-06-12[n年前へ]
■「わかりやすい」=「正しい論理」という大きな勘違い
「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」から。本のタイトルと相反(あいはん)している一節をひきます。効果的(それがイコール大切ということとは必ずしも一致しない)なのは、「単純な論理」でなく、「聞き手が納得できる範囲の(単純な)因果関係だ」ということへの前振りの一文です。
よくある勘違いは、「正しい論理を正しく論理的に積み重ねていけば、その話の内容が正しく相手に伝わるはずだ」というものです。
(p.18)
2009-08-08[n年前へ]
■「本の重版」と「何かを作り出す作業」
「論理的にプレゼンする技術 (聴き手の記憶に残る話し方の極意) 」が重版されます。重版に合わせて、「色合いが見づらいグラフ」がありましたので、そのグラフについて修正作業を行いました。(こうした方が良いよ、と)修正点について指摘を頂いた方には、心から感謝しています。
ふと、こんなことを思います。凡人たる私たちは、良いと思えるものを作るには、良いと思えるものへと近づけるには、「作って・修正するという作業を、ただただ繰り返す」ことしかないのかもしれません。結局のところ、そんな方法が一番のそして唯一の凡人にとっての王道なのかもしれません。
2009-11-20[n年前へ]
■誰もが同じように間違える「典型的な間違い」には「原因」がある
以前書いたように、(下に動画として張り付けた)「論理的にプレゼンする技術 聴き手の記憶に残る話し方の極意 (サイエンス・アイ新書) 」(ちなみに、「正しい事実+正しい論理=わかりやすい話」というのは、理系にありがちな“正しいけれど”“間違った勘違いだと私は考えています。だから、本書のタイトルは少し誤解を与えるかもしれない、と思っています)を書いた理由は2つあって、ひとつは以前書いた本の適切でない部分を直したかったことです。そして、もうひとつは、あまりにも、誰もが同じように間違える「典型的な間違い」が多いことに驚かされたからです。
そして、そのことを奇妙に感じ、その誰もが同じように間違える「典型的な間違い」を調べてみると、やはり当然のごとく「原因」があるんだ、ということがわかりました。ひとことで言ってしまえば、それらの多くは「ツールのデフォルト設定」でした。わかりにくい資料を作った人が悪いわけではなくて、ツールのデフォルト設定が、自然とそういったわかりにくい資料を生み出す仕組みになっていたわけです。
やはり、誰もが同じように間違える「典型的な間違い」が多い、という「結果」があるからには、それを生み出す当然の「原因」があった、という「わかりやすい自然な因果関係」があったのです。そんな間違いを生み出す「わかりやすい必然性」があったのです。
といっても、これは(これまでに出た)PowerPoint と Excel という道具を調べた限りでの話です。次に出る、PowerPoint2010では、その「同じように間違いを起こさせるツールのデフォルト設定」がどのようになっているか、に興味があります。というわけで、パブリックベータでその辺りを確認してみよう、と思っているところです。
2010-02-13[n年前へ]
■フィギアスケートの「芸術点」と「プレゼンテーション」と「定量化」
昔、フィギアスケート競技を観ていると、「技術点」と「芸術点」というふたつの言葉を解説者が語るのをよく聞いた気がする。どの程度の難易度の技を、どのように行っていったかを評価する技術点というのは、まだわかりやすいような気がしたけれども、「芸術点」というものは何だか少しわかりづらく感じて苦手だった。
その「芸術点」=Artistic Impression はいつの間にか、プレゼンテーション・スコア=Ppresentation Score と名前を変え、さらには構成点=Program Component Scoreというように名称が変わっていた。「芸術点」が「プレゼンテーション・スコア」そして「構成点」と名前を変えれば、かつて感じた「わかりづらさ」「基準のなさ」が消えるかと思いきや、むしろ、「技術点」とどのように違うのかがわかりづらいものに思え、何だかつまらなくなってしまったような気がする。
「芸術点」という基準のわかりづらい曖昧模糊とした点数が、どのように、どれだけ、聴衆に何かを伝えるかという「点数」を体現する言葉に変わり、そして、「構成」="Components"というさらに具体的で基準がはっきりとしているように見える「点数」で争われるようになっている。
しかし、曖昧で、あやふやな Artistic Impression という言葉の方が、Program Component Score という言葉よりも、心を動かされる度合いを的確に現わしている言葉のような気がする。
一見すると確かなものに感じられる数値の方が実はとても曖昧であやふやなもので、曖昧に見えるものの方が本当はとても確実なものだということは、よくあることではないかと思う。
"I want to be with you the rest of my life. Will you marry me?"下に張り付けた動画の中では、"Score"とか"Presentation"とか、さまざまな言葉が出てくる。その言葉、ひとつひとつを聞きつつ、その言葉を発した解説者と同じように心動かされる。
"Yes."
Announcement: "Obviously, she said, yes."