2010-04-17[n年前へ]
■「チョンマゲ」始めました。
お笑いコンビ「ロザン」の片割れ、「芸人として成功するために、相方の宇治原を京都大学に入れた」管が綴る「京大芸人 」を読んでいて面白かったのが、この一節だ。
席に座りなにげなくまわりを見渡すと、僕の右斜め前に信じられない光景が目に入った。サムライがいた。そうか、万城目学の「鴨川ホルモー 」に出てくる、京都のチョンマゲ男は実話だったのか。ロザンの管が眺めた時代も…ちょうど、万城目学が眺めた吉田山の麓の景色に重なる頃だろうか。
正真正銘のサムライがいた。茶色の着物を着て、腰に刀を差していた。頭を見てみるとかつらではなく、地毛でチョンマゲを結っていた。
そのサムライはおもむろにカバンからパソコンを取り出して何やら作業を始めた。まるで、(中略)B級映画のワンシーンを見ているみたいだった。
このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、ふと渡されたビラ一枚。チョンマゲ男は、なぜチョンマゲを始めたのだろう。どのように、チョンマゲを結い始め、そして、今はどんな髪型をしているのだろうか。
腹を空かせた新入生、文句に誘われノコノコと、出向いた先で見たものは、世にも華麗な女(鼻)でした。
このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。祇園祭の宵山に、待ち構えるは、いざ「ホルモー」。「ホルモン」ではない、是れ「ホルモー」。戦いのときは訪れて、大路小路にときの声。
恋に、戦に、チョンマゲに、若者たちは闊歩して、魑魅魍魎は跋扈する。
2010-06-09[n年前へ]
■働かない人も一定人数いる世界
熊野寮が鉄筋コンクリートの建物なら、吉田寮は朽ちた木造の建物で、奥に中核派が占拠するのが熊野寮なら、多分ふつうの学生が占拠していたのが吉田寮で、熊野寮で余った夕方の寮食があれば、(何食余りがあるという寮内放送と同時に)それをサンダル履いてアサりに行くのが吉田寮生という感じだったろうか。
「京都大学新聞社/Kyoto University Press » エリート×起業家×ニート 新入生キャンペーン2010講演会録(2010.05.16)」
僕が住んでいたのは熊野寮で、基本的にここでだらだらしていました。熊野寮はほんとに、まあ吉田寮とかもありますけど、本当にもうボロくて汚くて廃墟のようで、いるとどんどんやる気が失われていくという感じなので、あんまり住むことはオススメしませんけど、見に行ってみることはお勧めします。廃墟見学的な、ちょっと時間が止まっているようなすてきな建物を見学するという意味で、行ったら面白いと思います。そこは竜宮城のような場所で、竜宮城はキャンパス内にあるけれど、教室に行くわけじゃないから、別にそこが網走でも・太陽が一年に一回しか差し込まない極地であっても、構わなかったのかもしれない。
働かない人も一定人数世界にはいるし、そういうものが世界だと思うし、それでバランスが取れているんじゃないかな、という世界観があるんですね。みんな頑張ってちゃんと働かないといけない社会というのはすごく生きづらい気がするし、逆に働くのだるいなって人が100%でも、それはそれで社会として不安に思います。
高校生の頃、「自由」という言葉を知っていたようなつもりになっていた。もっと、「自由」という言葉を謳歌した”つもり”になったのが、今はもうない吉田西寮という場所でだった。
2010-08-25[n年前へ]
■「自分が心動くものを追いかけていきたい」
「働かないという選択肢があってもいい」 "リア充ニート"phaが考える社会とのかかわり方
──将来に対してビジョンってあるんですか。
pha 動き続けていたいですね。今やっていることにこだわって、それをやり続けるとかじゃなくて、自分が心動くものを追いかけていきたいっていうのがあります。
2010-11-26[n年前へ]
■「ヘタパン(パンの耳”だけ”)」の語源を探ろう!?
コンビニなどに行くと、6枚切りとか8枚切りといった食パンを売っています。ものによっては、お店にはカットされていない状態のパンが届けられて、それをパンカッターを使いパンをスライスして袋詰めする、という具合になっています。コンビニのカウンターの奥を覗くと、その作業をする中で発生したパンの両端の部分がビニール袋に入れられ、テーブルにぶら下げられていたりします。
そのパンの両端の部分、いわゆる「パンの耳」だけの部分にはちゃんと名前がついています。といっても、きっと地方によって違うとは思いますが、京都辺りでは、それをヘタパンと呼んでいました。
京都では、全面が耳のパンをヘタパンと呼んでいました。貧乏人の強い味方でした。ああ、懐かしい。多分、京都市左京区近衛町辺りで「ヘタパン主義者同盟」が活動していた頃、ヘタパンがビッシリ詰められたビニール袋をタダでくれる時もあれば、一袋30円くらいだったこともあるように思います。
1990年ごろの(京都大学の学生寮である)吉田寮の寮祭では、「ヘタパン主義者同盟」という謎のサークルが、ヘタパンで作ったフレンチ・トーストなどを売っていました。ヘタパンにあるまじき贅沢な味わいでした。
「耳なし食パン、英国で開発される」
・・・といってもヘタパンに価格付けがあるわけではないような気もしますから、これは大体の目安に過ぎません。
ところで、そんな美味しく安い「ヘタパン」という名前、これはどういう意味で、一体、どんな語源なのでしょう? 1983年頃の大阪で行われた調査でも、「ヘタパン」という言葉は一般的になっていたようですが、その由来をあまりかんがえたことはなかったような気がします。
スーパーマーケットで、安売りの「茄子」の袋を手に取って、その調理方法を考えているとき、思わず「イウレカ(わかったぞ)!」と叫び・(風呂から)裸で外に走り出したくなりました。「ヘタパン」の「ヘタ」は、「茄子のへた」に違いなかったのです。それは、「はしっこ」とか「へり」を意味する「辺(へた)」を語源にしていたに違いない、とようやく気づいたのです。
ヘタパンはパンの端っこだったからこそ、それはまさに「辺(へた)パン」と名付けられたに違いない、というわけです。ハタパンの「ヘタ」は、実は純日本語だったのか!と思い至り、イウレカ!と叫びたくなったのです。
この「辺(へた)パン」という名前は、いつ生まれたのでしょう?どんな時代に、どんな人たちが、パンの耳をヘタパンと名付けたのでしょうか。そして、そのヘタパン愛好家たちは、どんな風にヘタパンを食べ続けてきたのでしょうか。
2010-12-23[n年前へ]
■京都の鬼門の風水マップ
そして、百万遍コピーセンターは、グリコ森永事件の闇にもつながっていく。「哲学の道」を作り出す疎水では、水が北上しています。北から南へと坂が下る京都の街を、水の流れは北「上」していくのです。その違和感がなんとも不思議でたまりません。そんな時、それは「風水の流れ」だと言われたならば、「そういうこともあるかもね」と気持ちよくアルコールを飲むこともできそうな気がします。
百万遍コピーセンター自体、カオスな臭いがしていたが、のちにグリコ森永事件他の関係を知って、やはり、闇には闇の臭いがあるのだと実感したりした。