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2010-06-09[n年前へ]
■働かない人も一定人数いる世界
熊野寮が鉄筋コンクリートの建物なら、吉田寮は朽ちた木造の建物で、奥に中核派が占拠するのが熊野寮なら、多分ふつうの学生が占拠していたのが吉田寮で、熊野寮で余った夕方の寮食があれば、(何食余りがあるという寮内放送と同時に)それをサンダル履いてアサりに行くのが吉田寮生という感じだったろうか。
「京都大学新聞社/Kyoto University Press » エリート×起業家×ニート 新入生キャンペーン2010講演会録(2010.05.16)」
僕が住んでいたのは熊野寮で、基本的にここでだらだらしていました。熊野寮はほんとに、まあ吉田寮とかもありますけど、本当にもうボロくて汚くて廃墟のようで、いるとどんどんやる気が失われていくという感じなので、あんまり住むことはオススメしませんけど、見に行ってみることはお勧めします。廃墟見学的な、ちょっと時間が止まっているようなすてきな建物を見学するという意味で、行ったら面白いと思います。そこは竜宮城のような場所で、竜宮城はキャンパス内にあるけれど、教室に行くわけじゃないから、別にそこが網走でも・太陽が一年に一回しか差し込まない極地であっても、構わなかったのかもしれない。
働かない人も一定人数世界にはいるし、そういうものが世界だと思うし、それでバランスが取れているんじゃないかな、という世界観があるんですね。みんな頑張ってちゃんと働かないといけない社会というのはすごく生きづらい気がするし、逆に働くのだるいなって人が100%でも、それはそれで社会として不安に思います。
高校生の頃、「自由」という言葉を知っていたようなつもりになっていた。もっと、「自由」という言葉を謳歌した”つもり”になったのが、今はもうない吉田西寮という場所でだった。