2002-10-29[n年前へ]
■Freenet
P2P匿名出版システム。
ところで、「出版」というとどうしても、「版を作って印刷する」という印象がつきまとう。「publicにする」という「publish」とはちょっと指し示す意味が違うように感じる。「匿名で出版する(publish)」わけじゃなくて、「匿名で多くの人と共有する(publish)」なんだから、「出版」という言葉はちょっと語弊があるようにも思う。というわけで、「出版」の語源を調べる(続く…)(リンク)
2003-03-27[n年前へ]
■JapanHardCopy2003とNIP19
そういえば、今年もJapanHardCopy 2003、そしてそれに加えて(単にアメリカ人相手にあの手の発表をしてみたい、という理由だけで)NIP19に申し込みをしてしまった。日頃はそんな計測・解析とは全然違う仕事をしているのに、しかも「(今の時点ですら)何にもしていないのに」そんなことをしてしまう自分が恐ろしいのである。ホントに大丈夫だろうか…。
そういえば、全然関係ないが、かつてこんな稀少本がかつてあったわけだけれど、最近また違う出版社とそんな次の稀少本の話をしている。さてさて、どうなるかな?と。
2003-04-25[n年前へ]
■地球物理って…。
「判明! あの「NOVAうさぎ」の声の主…」でビックリの「NOVAうさぎ」を作曲する人もいれば、はてなを作る人もいれば…、私小説を出版する教授もいれば…。
あぁ、働けど働けどじっと手を見てしまう今日なのである。
2004-01-07[n年前へ]
■フラクタルキューブの中身を見てみよう。
「酸化チタン系の微粒子を混ぜたエポキシ樹脂で、細部の構造と全体の構造が相似形になっているフラクタル構造の立方体はで穴は正方形のものを作ると、8GHzの電磁波は反射も透過もしなくなり中心部の空洞にたまり続け、照射を止めても1千万分の1秒間は内部に残っていた」というasahi.comの記事。
で、ここに貼り付けた画像は中村健蔵氏の「Mathematicaで絵を描こう」 東京電機大学出版局に収録のMathematicaが描くフラクタルキューブ。フラクタルキューブのの外側と内側。フラクタルキューブの中身を見てみたい人はじっくり眺めてみるのだ。
ここら辺の話に、興味のある方は、形の科学会のメインテーマが「機能と形:かたちが生み出す新しい世界」で、"フラクタルキューブで電磁波閉じ込め"もメインテーマにピッタリな話題の一つ、という形の科学会シンポジウムも楽しめるかも。 from jp-mathusers.org
2004-01-21[n年前へ]
■「此処ではない何処か」
ずっと前に、休日に実験兼打ち合わせをしなくてはならないことがあった。そこで、私も含めて三人が実験室で落ち合うことになった。ところが、落ち合う時間近くになった頃、その内の一人の人から私に「ちょっと事故を起こしちゃったので遅れる」という電話があった。
その人が数年前に書いて、そして出版した本を去年ゆっくりと読んでいた。何故、ゆっくりだったかというと、読むのがなかなかに辛かったからだ。舞台もどの登場人物もそれが何処で誰のことだかよく判る妙に具体的な私小説だったからだ。しかも、その話の内容はといえば、本の帯をそのまま引用するなら、「許されない関係の恋」なのだったからなおさらだ。チラシの言葉を借りるなら、その本は「苦しさを宿として描いた恋愛小説」というのだから、それはもう読み辛いとしか言いようがなかった。
といっても、舞台や登場人物がいる世界は、私が少し眺めていた風景とは少し時間がずれていて、二年くらい時間が経過しているようだった。だから、私が知っていた世界とも少しずれているような感じだった。だけど、それがなおさら虚実の境もよく判らなくさせて(時折、全て事実でないかという気にも襲われたが)、なんとも妙に生々しく感じられて、さらに読みにくさを増していた。
そして、肝心の小説の出来はと言えば…、小説の本当に最後近くに「とってつけた」ように主人公が交通事故で死んでしまう。これが、後輩から借りた本ではなくて自分で買った本だったら、怒りのあまり壁に投げつけていたに違いない。恋愛話の収拾がつかなくなったから主人公を殺してハイ終わり、とそんな風に見える出来の小説だった。なんというか、虚実の世界共に収拾がつかなくなったようにしか見えない、そんなとんでもない結末の本だった。しかし、そんな交通事故で主人公がいきなり死んでしまうというあっけない結末を読むと、あることをふと思い出して、少しばかり考えこんでしまう。
休日に実験室で待ち合わせたその人は、結局その日は実験室には来ることができなかった。交差点でぶつかった交通事故の相手が病院で死んでしまったからだ。そんなことを思い出すと、間違いなく本の中の主人公は交通事故で死ぬ必要があったのだろうと思う。少なくとも、書き手にとってはそうでなくてはならなかったのだろう、と思う。
「実験室で待ち合わせることにしましょうか」という話をしなかったら、あんなことにはならなかったのだろうか、と考えたこともある。だから、とってつけたような安易な結末だけれども、この書き手はこんな風な結末をどうしても書かなきゃいけないという気持ちになったのだろう、とも鈍い痛みを伴いつつ思う。
時折、予想もしない辛いことも起きたりする。もしも、あの日実験室で何事もなく打ち合わせがあったなら、この小説はどんな結末だったのだろう。考えてもしょうがないことだけれど、そんな違う結末の本があったなら、そっちの本の方は少し読んでみたいような気がする。この本ではなくて、そういう現在であったなら結局書かれることもないだろう、その実在しない本の方を読んでみたい。