2009-12-12[n年前へ]
■ケツメイシ「トレイン」
ホームに入ってくる電車を待つ人たちの中に混じり、電車に乗り込む。空いている席に座り、向かいの窓の向こうに見える夜の街並みを眺めながら、ノートPCを取り出してメールの返事をいくつか書いているうちに、気づくといつの間にか寝ている。
ただ悠々と走ってく その積み荷の重さ毎日走り続ける列車には、たくさんの人が乗っていて、そんな人たちを眺め、その人たちの毎日は一体どんなものなのだろうか、と考えてみる。そんな時、ケツメイシ「トレイン」(下の動画)が頭に流れることがある。そして、そんなBGMを心の中でパワープレイしながら、色々なことを考えているうちに、いつの間にかいつも寝てしまう。
誰が知ってるだろう でも構わず
音立て 飛び立て 夢の空へ。
2010-01-21[n年前へ]
■消えた、「財布」と「夢」と「景色」
落語「芝浜」へのコメントから。
人類は夢を見ることで、想像力を掻きたてられ、時には妄想と非難されながらも夢を追い続け、実現を試みてきた。また手近なところでは夢の実現のために宝くじやギャンブルで「夢を買う」行動をとることがある。予期せぬ金を手にしたとき何に使うか、金額の多寡により現実的な使途からはじまり、生活費の足しにする、頭金にする、焦げついた借金を返済する、海外旅行に行く、働かずに余生を過ごす、出来なかったことを試みる、新たに人生をやり直す等々を考え、使途や想像が現実とかけ離れていればいるほど「夢」は広がり、心地よい。しかし、いつか目覚めてしまうのが「夢」である。
鉄道好き・古地図好きの人には、「芝浜は現在の東京都港区東部の田町駅の JR線路沿い(浜松町側)である。元々、新橋-横浜の鉄道は海岸線沿いに堤防を作り、その上を線路としたものである。芝浜の近辺に限ると、線路の内陸側にも海が残り、その上を跨ぐように線路が橋のようにして作られていた。三代目三木助が現役で芝浜を演じはじめているころは、浜や海岸線の痕跡がまだあったが、東京オリンピック以降、埋め立てが加速度的に進み、痕跡が完全に消えた」という一節も、芝浜に描かれた景色とともに読むと、味わい深い。
2010-06-07[n年前へ]
■続 「ずっと」も「好き」も、どこにもないから。
「通映画批評 > パーマネント野ばら」を読む。
この美しさの正体が、やがてある残酷さとともに、明らかになる。そのとき、世界のすべてが一変する。町の風景の寂しさは、美しさに変わり、町の人々の滑稽さは、優しさに変わる。時に忘れられたような町は、本当に時が止まっていたのだ。
パーマネントは「永久」という意味だ。なぜパーマ店の客らが異常に「パーマの強さ」「パーマの永続性」にこだわっていたのか。見終わったとき、その気持がわかって、胸に染み入ってくる。深く頷く。そして、もしかしたら・・・とふと違うことを連想する。
人の少ない田舎町を出て、そして、その田舎に戻らない人だからこそ、どこにも存在しない景色を夢見つつ、そして、切ない景色を描き続けることができるのかもしれない。
この作品のほとんどは、確かにすぐれて叙情的なものばかりだ。しかし、もう一度涙をぬぐって読み直せば、そこに違うものも見える。表面的な美しい抒情の向こうに潜む、西原の恐ろしいほどの絶望と、それから胸の底にわずかにのぞく希望とが、読みとれるだろう。
「ずっと好き」はどこにもないから・・・
好きやずっとなんて、ないことは、 とっくのむかしから知っている。
2010-07-27[n年前へ]
■ここは天国じゃないんだ。かといって、地獄でもない。
あるニュースに対する解説を聴いているとき、ふと、THE BLUE HEARTSのTRAIN-TRAINの歌詞の一節を思い出した。
弱い者たちが、夕暮れ、さらに弱い者を叩く。
その音が響きわたれば、ブルースは加速していく。
ここは天国じゃないんだ。かといって、地獄でもない。
いいヤツばかりじゃないけど、わるいヤツばかりでもない。
見えない自由が欲しくて、見えない銃を撃ちまくる。
本当の声を聞かせておくれよ。
2010-08-14[n年前へ]
■「花火が好きで鉄道も好きな人」向けの動画
「花火が好きで鉄道も好きな人」向けの景色を眺めたので、下にその動画を貼り付けておきます。列車の窓の灯りと花火と、そしてそれらが水面にも写し出される。…そんな景色です。
特に2本目の動画、空へ昇っていく花火の光とともに、鉄橋の影が水面の上で姿を美しく変えていくようす、その中を突き抜けていく列車の姿には、思わず心奪われます。
HD動画でYouTubeにアップロードしてありますから、YouTubeから全画面で眺めてみれば、星空の中を進む「銀河鉄道」を思い起こさせる景色が見えるかもしれません。