2009-07-14[n年前へ]
■「王立協会会長辞退事件」と「博士辞退事件」
「王立協会会長辞退事件」のファラデーの言葉と、「博士辞退事件」の夏目漱石の言葉。
I must remain plain Michael Faraday to the last.
(わたしは ただのマイケル・ファラデーでいたいのです。いままでと同じように、これからも先もずっと。)
Michael Faraday
小生は今日までただの夏目なにがしとして世を渡って参りましたし、これから先も、やはりただの夏目なにがしで暮らしたい希望を持っております。
2009-07-25[n年前へ]
■此処では喜劇ばかり流行る
向田邦子「阿修羅のごとく―向田邦子シナリオ集〈2〉 (岩波現代文庫) 」のパート1の最終話「虞美人草 」から。
あのね、漱石の「虞美人草」の、ケツ
おしまいンとこ。何てのか知ってる?
「此処では喜劇ばかり流行る」
2009-09-19[n年前へ]
■「景気と文学」
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の「景気と文学」から。
大正9年(1920年)3月15日に株式が大暴落して、第一次世界大戦景気による大正バブルが崩壊します。それで損をした人がたくさんいました。(中略)普通の人々が浮かれたという点では、昭和末から平成初年にかけてのバブル景気とおなじです。人の気持ちはかわりません。この文章が書かれてから、「バブル」と「バブル崩壊」のプロセスが、すでに繰り返されているように思います。「人の気持ちはかわりません」という言葉も、きっと何度も繰り返されてきたのだろう、とも思います。
夏目漱石の活躍期はその戦後不況とぴったり重なっています。(中略)いわゆるプロレタリア文学も昭和不況とともに盛んになるのです。漱石の文学が「不況文学」であるように、景気と文学の関係はもっと考えられてもよいと思います。
2009-10-09[n年前へ]
■「漱石のマドンナ」という旅情ミステリ
人がいない屋外で読書をする、というのはとても気持ちが良いものです。リュックに軽い本を入れ、自転車に乗り人気ない気持ちの良い場所を見つけます。そして、ひとときの間、本を読みます。
今日読んだ本は、河内一郎「漱石のマドンナ 」です。本書の半分は、大塚楠緒子と漱石について実証的に書かれ、残りの半分は、漱石が好感を抱いたと伝えられている「10人の女性」につい調べた結果が書かれています。
これまで、漱石の”マドンナ”について書かれた本を色々読みました。そんな中でも、この本は旅情ミステリのように、「いつ・どこへ行った」「いつ、どこからどんな手紙を書いた」といったことが書き連ねられていて、不思議に心惹かれます。ミステリのプロットそのままに、まるで漱石とともに人生という名の地方旅行をしているような気になります。
同年7月25日、漱石は群馬県の伊香保温泉に向かった。(中略)上野発午前7時25分、前橋着11時10分の列車に乗ったのはわかっているが、前橋から伊香保へはどのような経路で行ったかは不明である。
この伊香保行きに、漱石の人生を決める決定的瞬間があると考えている。
「漱石のマドンナ」は、リュックに入れるには少し重いような気もしますが、夏目漱石の本を(それとともに大塚楠緒子の著作についても)読み直してみたい人には一度読んでみても面白いと思います。
2009-10-22[n年前へ]
■「漱石のマドンナ」と「こころ」
河内一郎「漱石のマドンナ 」から。
楠緒子は保治に対し、学者としては立派だが、心を理解してくれない型物の夫として不満をつのらせていたのではないだろうか。
漱石は人の模倣が大きらいで、独創性を宗としてきた人である。それにもかかわらず、楠緒子だけ唯一の例外で、いくつかまねをしている。
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