2009-11-04[n年前へ]
■「地価」を考えるなら「北(北)東に進路をとれ」!?
先週作った、「楽々通勤」マンションMAPで関東の地価(やマンション価格)と交通手段(通勤時間)などを眺めていると、嫌になるくらい「交通の便が良い場所は価格も高い」という法則を実感させられます。実に当たり前ですが、実に悲しい現実です。
とはいえ、やはり、その法則から少しは外れ気味の場所もあるものです。たとえば、逗子辺りは交通の便は悪いですが、マンション価格は高めです。…これは、リゾート地区でもあるから、でしょうか?そして、東京の北北東の方は、交通の便もそれほど悪くない割には、地価もマンション価格も安くなっています。
「地価」を考えるなら(東京を起点にするなら)「北(北)東に進路をとれ」というのが、「楽々通勤」マンションMAP ~毎日の「暮らし」と「通勤」を楽にしよう~ からは見えてきます。当たり前の現実も、地図や画像として描き表わし眺めてみると、何だか面白いものです。面白いと同時に「」悲しい現実も見えてくるわけです。自分が作ったWEBアプリの画面を見ながら、そんなその悲しい住みにくい現実社会を眺めているうちに、夏目漱石の「草枕」冒頭文が頭の中に浮かんできたのでした。
住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
越す事のならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか、寛容て、束の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ。
ここに詩人という天職が出来て、ここに画家という使命が降る。あらゆる芸術の士は人の世を長閑にし、人の心を豊かにするが故に尊とい。
夏目漱石 「草枕」
2009-11-22[n年前へ]
■「時間」は「辛い思い出も」「美しい思い出」も公平に消し去る
自転車に乗り小一時間ばかり走ると、古い家屋に囲まれた公園を見つけた。そこで、リュックから「硝子戸の中 (新潮文庫) 」を取り出して読みふける。
彼女は、その美くしいものを宝石のごとく大事に永久彼女の胸の奥に抱きしめていたがった。不幸にして、その美くしいものは、とりも直さず彼女を死以上に苦しめる手傷そのものであった。二つのものは紙の裏表のごとく、とうてい引き離せないのである。「時間」は「辛い思い出も」「美しい思い出」も公平に消し去っていく、という文章を読んだ後に、頁を閉じる。そして、多分、じきに忘れるだろう景色の中を自転車で走る。
私は彼女に向って、すべてを癒す「時」の流れにしたがってみなさい、と言った。彼女は、もしそうしたらこの大切な記憶がしだいに剥げていくだろう、と嘆いた。
公平な「時」、大事な宝物を彼女の手から奪う代わりに、その傷口も次第に癒してくれるのである。
「硝子戸の中」 夏目漱石
2009-11-24[n年前へ]
■「人」と「時」
夏目漱石「こころ 」から。
悪い人間という「一種の人間」がこの世の中にいると、君は思っているのですか?そんな鋳型に入れたような「悪人」が世の中にある筈がありませんよ。平常はみんな善の人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。
2009-11-25[n年前へ]
■馬鹿で人に騙されるか、疑い深くて人を容れることができないか
夏目漱石 「硝子戸の中 」から。
今の私は、馬鹿で人に騙されるか、あるいは疑い深くて人を容れることができないか、この両方だけしかないような気がする。
この文章の後に続くのは、「不安で、不透明で、不愉快で…」といったものだ。しかし、後者はともかくも、前者の互いに「馬鹿で騙されあう」の世の中は、意外に幸せなものではないだろうか。
互いに、「自分が得をする」と思わなければ、物の売り買いだって成り立ちそうにないし、ワイワイガヤガヤの賭けごとなんていうものも、あり得ない世界になってしまうだろう。それは味気なく、実につまらない世界に違いない。
そして何より、互いに馬鹿で騙されあう毎日・世界だなんて、言葉にしただけで、とても楽しそうではないか。
2010-01-17[n年前へ]
■「南方熊楠」と「寺田寅彦」と「夏目漱石」を繋ぐミッシング・リンク
「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者 」を読んでいて一番エキサイティングだった部分は、49ページから56ページまでの「蓑田先生」に関する部分である。寺田寅彦が、高知県尋常中学校で出会った一人の英語教師に関する部分だ。この部分の数ページだけでも、充分一冊の本になるくらい面白い。
寺田寅彦が熊本で英語教師の夏目漱石に出会う前、地元の土佐高知で出会った一人の英語教師「蓑田長政」は、アメリカ帰りの「帰国子女」である。蓑田先生がアメリカで大学生だった頃、近所にいた交友関係があった友人には南方熊楠がいる。そして、蓑田先生の父はパリ万博にも行っている。
蓑田先生は、高知の学校で学生にいたずらをされたりしながら、高知で数年すごした後に、校長と喧嘩し・生徒相手に大演説した後に、東京に帰ったという。・・・まさに、「坊っちゃん」の主人公である。しかも、その友人は、南方熊楠だ・・・というのが、現実の話だというのだからたまらない。
おそらくは、東京都内のどこかの寺の墓地か霊園に眠っているはずの蓑田先生に向かって、合掌。