2002-10-16[n年前へ]
■読者“不在”のインターネット書評? 関川夏央、高橋源一郎
(インターネットの中では)書く方があらかじめ読者をもとめていない。 関川夏央
(インターネットの中での)書くことの異常な肥大は、読む能力を喪失させていると思う。 高橋源一郎
from お笑いパソコン日誌 2002/10/16(リンク)
2009-09-19[n年前へ]
■「景気と文学」
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の「景気と文学」から。
大正9年(1920年)3月15日に株式が大暴落して、第一次世界大戦景気による大正バブルが崩壊します。それで損をした人がたくさんいました。(中略)普通の人々が浮かれたという点では、昭和末から平成初年にかけてのバブル景気とおなじです。人の気持ちはかわりません。この文章が書かれてから、「バブル」と「バブル崩壊」のプロセスが、すでに繰り返されているように思います。「人の気持ちはかわりません」という言葉も、きっと何度も繰り返されてきたのだろう、とも思います。
夏目漱石の活躍期はその戦後不況とぴったり重なっています。(中略)いわゆるプロレタリア文学も昭和不況とともに盛んになるのです。漱石の文学が「不況文学」であるように、景気と文学の関係はもっと考えられてもよいと思います。
2009-09-21[n年前へ]
■「個性」という安易な幻想
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の「無知に個性はない」から。
近年は、個性とかオリジナリティとかの言葉が、魔法のように人を束縛しているのではないでしょうか。自己表現、自己実現も同じです。また、次の言葉は 堀井憲一郎「落語論 (講談社現代新書) 」から。
いま、(中略)人は一人一人が個性を持った素晴らしい存在である、と教えられる。おとなになって木陰で休んでいる気分で振り返ると「嘘も休み休み言ってもらいたい」とおもえる。
2009-09-22[n年前へ]
■伝達できない技能は技能でない
関川夏央「おじさんはなぜ時代小説が好きか (ことばのために) 」の司馬遼太郎に関する章から。
『真説宮本武蔵』で彼は、伝達できない技能は技能でないと強調し続けます。(中略)つまり、教育できないものは文化ではない、一瞬の芸にすぎない、という考えが彼の中には濃厚にありました。反吉川『武蔵』ですね。
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