hirax.net::Keywords::「夢」のブログ



2008-05-04[n年前へ]

夢を紡ぎ続ける画家や作家や多くの芸術家たち 

 美しいものと醜いものが同時に存在する。それは人間関係においてとくに顕著に現れることがあり、青空がたちまち暗雲に閉ざされる気持ちがするものだ。しかし、生きていくということは、きれいごとだけではすまない。夢の虚しさを知ったところで、その夢は消えないものである。そして、そう信じる人たちのために夢を紡ぎ続ける画家や作家や多くの芸術家たちがいる。
 本書に登場する人物をひとつの共通項で要約すると、イメージの達人であり夢を一生追い続けた人たちであるといえる。

夢と遊びの設計者たち

2009-07-01[n年前へ]

「夢をあきらめないで」とは言えないけれど・・・ 

 いつだったか外国で、ふと入ったデパートの中にある本屋の一角で「すべての雲は銀の… 」を手に取った。そして、現地通貨ではずいぶん高い感じを受けつつも買った覚えがある。村山由佳の本は、それ以外に読んだ記憶はない。

 けれど、もう少し読んでみようと思う。

 誤解しないでほしいのだけれど、これは決して、「あきらめさえしなければ夢はきっと叶う」なんてことを言おうとしてるわけじゃないんです。逆に、(・・・中略)実際には世の中、叶わない夢のほうがずっと多いのにね。  だから私は、むやみに「夢をあきらめないで」とは言いません。ただ、(・・・中略)彼は、あるどうしようもない事情から長年の夢をあきらめることを自ら決意した上で、(・・・中略) ----ね? 素敵な言葉だと思いませんか?

from 聞きたい言葉 - おいしいコーヒーのいれ方IX / 村山由佳 文庫版、最初のあとがきから

2009-12-05[n年前へ]

「後ろ」と「夢」と「愛」と「先」 

 寺山修司が綴った言葉を、二つ抜き出してみる。

ふりむくな ふりむくな
うしろには夢がない。
私には忘れてしまったものが一杯ある。
だが私はそれらを「捨ててきた」のでは決してない。
忘れることもまた、愛することだという気がするのである。

 

2010-01-07[n年前へ]

本当の「等身大」の人の姿 

広告批評 編集「私の広告術 」から、一倉宏の言葉。

 今の広告が描く人間の姿は「等身大」と呼ばれて、だけど本当の人間たちよりもほんの少し小さく描かれているように僕は感じる。
 その、指一本が入るような隙間の中に詰まっているのが、愛とか夢とか希望とか志とか誇りとか、なんじゃないんだろうか。
 それがあって、本当の人間の大きさなんだと、僕は思う。

2010-01-21[n年前へ]

消えた、「財布」と「夢」と「景色」 

 落語「芝浜」へのコメントから。

 人類は夢を見ることで、想像力を掻きたてられ、時には妄想と非難されながらも夢を追い続け、実現を試みてきた。また手近なところでは夢の実現のために宝くじやギャンブルで「夢を買う」行動をとることがある。予期せぬ金を手にしたとき何に使うか、金額の多寡により現実的な使途からはじまり、生活費の足しにする、頭金にする、焦げついた借金を返済する、海外旅行に行く、働かずに余生を過ごす、出来なかったことを試みる、新たに人生をやり直す等々を考え、使途や想像が現実とかけ離れていればいるほど「夢」は広がり、心地よい。しかし、いつか目覚めてしまうのが「夢」である。

 鉄道好き・古地図好きの人には、「芝浜は現在の東京都港区東部の田町駅の JR線路沿い(浜松町側)である。元々、新橋-横浜の鉄道は海岸線沿いに堤防を作り、その上を線路としたものである。芝浜の近辺に限ると、線路の内陸側にも海が残り、その上を跨ぐように線路が橋のようにして作られていた。三代目三木助が現役で芝浜を演じはじめているころは、浜や海岸線の痕跡がまだあったが、東京オリンピック以降、埋め立てが加速度的に進み、痕跡が完全に消えた」という一節も、芝浜に描かれた景色とともに読むと、味わい深い。



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