2006-04-09[n年前へ]
■「春の海」と「春の京都」
京都駅で、JR東海・京都キャンペーンポスター10年分を一冊の本にした「そうだ 京都、行こう。」を買う。「『そうだ 京都、行こう。』のこの10年は、20世紀から21世紀への移行の時と重なっています。…嘆いたり、憤慨したり、笑いたかったり、力づけてもらいたかったり、といろいろな人の思いがありました」といった一節を新幹線の中で眺め、その後、春の海を眺める。
「がんばれ」「元気出せ」なんていうよりも……いま、励ましを必要とする人がいたら私なら、ここに連れてきてあげたい、と思います。
太田恵美 '00
2009-04-06[n年前へ]
■しっかり、しっかり 春を見ておかないと
JR東海・京都キャンペーンポスターの写真と文章(1993年秋からの)10年間分を収録した「そうだ 京都、 行こう。 」から。
しっかり、しっかり
春を見ておかないと、
すぐ次の季節に
なっちゃいますよ。
2010-12-11[n年前へ]
■春分と秋分の日には京都に行こう!?
ニューヨーク マンハッタンの街並みは、道路が碁盤の目状に走っています。だから、「道のり」を考えるとき「各座標の差(の絶対値)の総和を2点間の距離とする」というマンハッタン距離を使うことができます。そしてまた、道が格子状に走るマンハッタンでは、5月28日と7月12日の夕暮れには「どの交差点でも道路の先に沈む夕日が見える」のです。もしも、空の上からマンハッタンの街を眺めることができたなら、どの道路にも夕日が奇麗に差し込んで、さぞかし美しい景色が見えるに違いありません。
マンハッタン距離を使うことができる街といえば、京都もそういう街のひとつです。東西南北方向に向けて、碁盤の目状に道が作られています。だから、太陽が真西に沈む春分と秋分の日近辺では、何本もの東西に走る道の向こうから夕日の光が差し込んでくる、ということになります。
「京都市内の距離空間はマンハッタン距離で計算できるのがいいね」「目的地までの東西距離と南北距離を足すだけでいいから、計算が簡単でいいよね」「どの平方根…じゃなかった、ルートでも距離は同じだしね」
「マンハッタン距離」と「続 理系風デート」
もっとも、京都は山に囲まれた箱庭のような街なので、実際に夕陽が沈むのは、それよりも南側になりますし、山並みに隠されて夕日が見えない場所もあるかもしれません。けれど、春分の日と秋分の日近くに、京都の街を上空から眺めたとしたら、美しく光が東西に走る景色が見えるかもしれません。
春分と秋分の日には京都に行って、清水寺や比叡山や大文字山に登り、夕日に照らされた街並みを眺めてみたくなります。京都の人たちは、千二百年の昔から、そんな道の向こうに沈む夕日を眺め続けてきたのでしょうか。
パリやロスにちょっと詳しいより
京都にうんと詳しいほうが
かっこいいかもしれないな。
そうだ 京都、行こう。 1993年 「秋〜清水寺」
2010-12-12[n年前へ]
■「京都」の「秋分の日没」に時空間トリップしてみよう!?
「春分と秋分の日には京都に行こう!?」で書いたように、太陽が真西に沈む春分と秋分の日あたりでは、京都の東西に走る道の先に奇麗に夕日が沈んでいきます。
マンハッタン距離を使うことができる街といえば、京都もそういう街のひとつです。東西南北方向に向けて、碁盤の目状に道が作られています。だから、太陽が真西に沈む春分と秋分の日近辺では、何本もの東西に走る道の向こうから夕日の光が差し込んでくる、ということになります。
「春分と秋分の日には京都に行こう!?」
・・・と聞けば、そんな景色を眺めてみたくなることと思います。そこで、Google Earthで京都四条河原町の交差点に行き、太陽を表示するモードにして、今年の秋分の日、午後5時40分に時空間トリップしてみました(Google Earthを特定の時間・場所・向きを指定して起動できる”リンク”があれば、そんな”リンク”を挿入したいところです)。それが、下の映像です。東西に走る四条通りの先の山上に、太陽が沈んでいくさまを見ることができます。こんな幻想的な風景は、液晶ディスプレイの中に見るだけでも、とても魅力的な景色です。
この瞬間、夕日が沈む瞬間に、河原町通りを南北に走れば、どの交差点からも夕日が(東西に走る)道の先に輝いていることになります。そして、どの交差点も、西から差し込む赤い光で照らされ・輝いている、というわけです。
といっても、(地球上からおよそ0.5°の角度に見える)太陽は、ほんの2分たらずで山の向こうに沈んでしまいます。だから、人が溢れる河原町通りをどんなに力一杯走っても、次の交差点にたどり着くまでに太陽は沈んでしまうことでしょう。
路行く人を押しのけ、跳(は)ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴(け)とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。
「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
太宰治 「走れメロス」
けれど、秋分の日、春分の日、京都の交差点に立っている人たちが、みな西にカメラを向けて道の先を写してみたとしたら、そこには一体どんな景色が映るのでしょうか。そんなたくさんの夕日を、少し見てみたいようにも思います。
子どもと同じ方向を向いていた。
久しぶりのことだった。
そうだ 京都、行こう。 2006年 「夏〜三十三間堂」
そんな景色、「京都」の「秋分の日没」を、Google Earthで疑似体験してみるのも面白いのではないでしょうか。