2003-07-28[n年前へ]
■たびそら
「たびそらが伝えたいもの。それは旅の空気です。ラオスの澄み切った夜空や、ダッカの空を覆うスモッグや、パキスタンの乾燥した熱風。そういった異国の空気と、そこに暮らす人々のありのままの表情を、写真と文章で綴っています」というたびそら。
とても素敵な写真と言葉。
2003-07-29[n年前へ]
■複数の側面
と、つらつら思ったりするわけで、「物事は色々な側面が存在している」のに、映画のセットみたいな一面だけの文章はちょっとね…と、ある文章を読みながら鈍痛と共に感じたのである。
もっと、違う言葉を並べて…、と思ってもしょうがないんだけど…。
2003-08-04[n年前へ]
■島旅写真館
朝、快晴、村本海事に電話して、12時の船に乗った。乗客は約10名。ほとんどが釣り人で、あと一組、アベックがいる。不思議なアベックで、微妙な距離感でつかず離れず、会話はほとんどないのに何か通じ合っている。島の写真とちょっと引き込まれる文章と。
2003-08-27[n年前へ]
■文章中に読点(、)を多くうつ人は…
私見ですが、文章中に読点(、)を多くうつ人は精神的におかしな人が多いと思います。そこで文体の癖を心理学的に解説しているサイトをご存じの方があればご教授願います。という「はてな?」の質問。この質問者がどうしてそう考えるに至ったかがとても興味のあるところである。そして、質問者が自分自身をどう考えているかが知りたいところだ。
ところで、WEBページで眺める文章を書く場合だと、どうしても読点や括弧を多く付けたくなる。低い解像度で不自然な輝度で眺める文字はどうしても読みづらいがために、私たちの脳はその文字を読むことに多くの労力を割かれることになる。そのため、そんなディスプレイ上の文字を読む私たちの理解力は低下せざるを得ない。だから、その低下分を補うために、句点や括弧をつけて文章の構造を単純化したくなるのである。
2003-09-17[n年前へ]
■若気の至りでゴメンなさい。
昔書いた文章なんかを目にしたりすると、思わずその文章を何処か遠くに埋めてしまいたくなる。「すみません、すみません、ゴメンなさい」と叫びながら、その文章を大気圏の彼方に放り投げてしまいたい気分になる。うぅ、若気の至りでゴメンよー、と叫びたくなったりする【何故か謝るおれカネゴン】。
というわけで、BGMは桑田佳祐の悲しい気持ち。
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