2004-10-24[n年前へ]
■国が育てる「サイエンスライター」
「難解な研究の成果を国民に分かりやすく解説できるよう、国の音頭でサイエンスライターを育てるべきだ。納税者である一般の国民に対しても、各家庭レベルでその価値と研究の重要性を分かりやすく説明することが重要」という文科省部会の提言に関するasahi.comの国が育てる「サイエンスライター」の記事を読む。asahi.comお抱え社員でもある科学部記者達の意見を尋ねてみたくなる。
それはともかく、「納税者である一般の国民に対しても、各家庭レベルでその価値と研究の重要性を分かりやすく説明する」ことは予算を獲得する研究者の義務であり特権であるとも思う。「科学誌だけでなく、一般誌でも研究成果が取り上げられるように研究成果を分かりやすく解説し、予算を獲得する」ことを、その予算の使い道が正しいと一番信じていて、その予算を使う当事者である研究者達以外の誰がするというのだろうか。「専門家同士でも最先端の研究を理解するのは難しい」というのであれば、それを「サイエンスライター」に期待するのはお門違いであるようにも思う。そんなスーパーマンみたいなサイエンスライターがホイホイいる、わけがない。
研究者達が「俺たちは前から難解な研究の成果を国民に分かりやすく解説しようとしてるぞ」というのであれば(実際そういう研究者達はたくさんいると思うのだが)、その「国の研究費からライターへの経費支出」分を研究者に渡して(そしてもっとガンバレと叱咤激励する)というのも当然アリだとも思う。あるいは,文科省部会の視界にはそういった人や現状は見えていないのだろうか.
2005-10-05[n年前へ]
■「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」
森山和道さんによる、「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」を書いた森健さんへのインタビュー記事。この本は、本屋で手にとって買ってみたいと思っているのだけれど、なかなか本屋で見つけることができずに今に至っている。Amazonで買ってしまえばすぐに届くのだろうけれど、Amazon経由で買うのも少し変な感じがして、未だに買えずにいる。
いわゆる『アルファブロガー』がぶっきらぼうに『こう思う』と言ったことが、ものすごく力を持っていくことがあります。それは新しい文化のありかたかもしれませんが…
2006-03-25[n年前へ]
■「こんな人になりたい」
森山和道 氏の日記を読みに行き、そこで父の名前に出会う。実に親不孝な息子を持ったわけだが、元気にしているのだろうか。ふと、父が書いた「こんな人になりたい」という一節を読んで、考え込んでしまう。
こんな人になりたい。
1. 心が卑しくないこと
2. 優しく広い心を持つこと
3. 日本語がしっかり話せること
4. 他人がいやだと思うことをしないこと
5. 静かであること
6. 自分で考えること
そして楽しくあること
2010-04-06[n年前へ]
■僕にはそれしかできない。だから原稿を書く。
いまこの場で役に立ってないことでも役に立っている。そういう考え方や、世の中に対する見方ができる人が増えることを願って、僕は原稿を書く。ほとんどの人にとって「役に立たない」原稿を書く。最近は、その原稿を欲しいと言ってくれる人も少ない。だが悔しいが、僕にはそれしかできない。だから原稿を書く。