2004-11-14[n年前へ]
■「ネット王子とケータイ姫」
先日、品川駅構内の書店で「ネット王子とケータイ姫」という新書を買った。同じく中公新書ラクレから出ている「ぷちナショナリズム症候群」を興味深く読んだこともあり、タイトルにはそれほど興味を感じなかったのだが、買ってみることにした。
読み終わっても、先日受けたインタビュー記事のインタビュアーが、実は著者の森 健氏であったことは気づかなかった。本の帯がずりあがりがちで、その帯により森 健氏の顔写真も経歴も隠れてしまっていたせいである。また、そういえば中公新書ラクレの「ラクレ」の名付け親とも以前お会いしたことがあった、世間というのは不思議なくらい狭いものだ。
本書の感想を(お世辞抜きに)書くと、第2章の「学者とメディアを疑え!」(例のゲーム脳記事などを例に挙げている)が個人的には面白かった。特に、第2章の中の「こどもを取り巻くネット環境を論じた部分」以外の部分を興味深く読んだ。この章に限らず「こどもを取り巻くネット環境を論じた部分」には特に答えが書かれているわけではない。ただ現状が書かれているだけである。だから、こどもを抱える親が何かの答えを求めて本書を読んでも救われることはないだろう。ただ、現状認識が少し進むだけかもしれない。とはいえ、著者達による少しの提案が書かれていて、それはとても参考になる。ちなみに香山リカによる大人へのアドバイス5つのうち、最後に挙げられている言葉
新しい技術を手にした人間を、後戻りさせることはできない。は至言に違いない。なぜなら、それこそが人間なのだから。道具を持って、火を使い、新しい世界へ進むのが人間なのだから。他のアドバイスをさらに知りたい人は、本書を買ってみると良いかも。
個人的にはこの種の本は横書きで読みたい気がする。また、文中で出てくる数字・データは言葉でなくグラフで眺めたい気もするかな。
2005-10-05[n年前へ]
■「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」
森山和道さんによる、「インターネットは「僕ら」を幸せにしたか?」を書いた森健さんへのインタビュー記事。この本は、本屋で手にとって買ってみたいと思っているのだけれど、なかなか本屋で見つけることができずに今に至っている。Amazonで買ってしまえばすぐに届くのだろうけれど、Amazon経由で買うのも少し変な感じがして、未だに買えずにいる。
いわゆる『アルファブロガー』がぶっきらぼうに『こう思う』と言ったことが、ものすごく力を持っていくことがあります。それは新しい文化のありかたかもしれませんが…
2010-03-10[n年前へ]
■『脳の本』はどんな人が読んでいるのか?
脳科学に関する本がたくさん出版されている。そんなたくさんの本のことを考えてみよう、という本が出た。それが、森 健「脳にいい本だけを読みなさい!― 「脳の本」数千冊の結論 (Kobunsha Business) 」だ。
「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」
「これら『脳の本』はどのような中身なのか」
「これら『脳の本』はどんな人が書いているのか」
以前、ある記事群を書いていたとき、担当編集者に何度も何度も同じことを、「読者はどういう人たちなのでしょうか?」ということを、繰り返し尋ねた。繰り返し私が同じ疑問を尋ねたその人から、森健さんが「脳科学に関する本」をまとめた本を書いている、という話を聞いた。
実際に会ったことがある人の本は、なぜか、ネット注文する気分になれない。だから、時間をかけて本屋に行って、その本を手にとって買うことにしている。
森健さんには、確か池袋の喫茶店で会ったことがある。だから、この本は何軒もの本屋を訪ね歩き、そして買って読んだ。気付いてみれば、普通に目立つところに平積みにされていたのだけれど、「脳」という言葉から連想する棚、「○×しなさい」という言葉から連想する本棚、茂木健一郎と勝間和代の本がズラリと並ぶ棚の中から一冊の本探しをするという作業は、何だかアマゾンの奥地を彷徨(さまよ)っているような感じがして、とても疲れる作業に感じられた。
私は、「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」にはとても興味がある。なぜかというと、平積みにされている『脳の本』には、私自身はまったくと言ってよいほど興味がないからだ。平積みにされていない『脳の本』には興味があるのだが、不思議なほどに、平積みにされている『脳の本』には興味を惹かれない。
そして、当然のごとく、「これら『脳の本』はどのような中身なのか」ということにも、「これら『脳の本』はどんな人が書いているのか」ということにも興味がない。つまり、私は「脳にいい本だけを読みなさい!」というタイトルの本に対しては100%の良い読者ではない。むしろ、100%悪い読者である。けれど、だからこそ、「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」にはとても興味があるのだ。なぜなら、それこそが私の知らない・わからない世界だからだ。
さらに、森健さんが、上記3つの疑問から導くさらなる2つの疑問のうちの片方は、私も心底知りたいものだった。
「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」一番目の、「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということには、とても興味がある。それは、まさに私が知りたいことだ。私が知りたいのは、本の作者でも内容でもなく、その本を読む読者の姿、だ。
「これら『脳の本』の中身は科学的な内容が担保されたものか」
ただし、2番目の「これら『脳の本』の中身は科学的な内容が担保されたものか」という疑問は、私の興味外のことである。平積みにされている『脳の本』自体に、興味がなく、その内容についても興味がないから、である。しかし、だからこそ、そうは思わないたくさんの読者のことは知りたいと思う。そういうわけで、「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということの手掛かりを得たい・知りたいと思いつつ、この本を読んだ。
…この本を読んだ限りでは、「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということについては私にはよくわからなかった。私には、その疑問への答えは読み取れなかった。しかし、他の人には読み取れるかもしれない。だから、その疑問の答えがわかる・感じる人がいたならば、ほんのカケラでもいいから、そのヒントを教えて欲しいと思う。
この本に書かれているのは、「これら『脳の本』はどのような中身なのか」「これら『脳の本』はどんな人が書いているのか」という2点に尽きる。つまり、全部で5つの質問のうちの2つである。5つの疑問のうちの最後の疑問、「これら『脳の本』の中身は科学的な内容が担保されたものか」という疑問の答えは書いてあるような、書いてないような、けれどそのとちらでも私にはどうでもよいことだ。これら『脳の本』に関する作者にも、内容にも、私の興味はないからだ。
森健さんが差し出した「残りの2つの疑問」、「そもそも、なぜこんなに多くの『脳の本』が出ているのか」「これら『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」という疑問に対する、森健さんなりの言葉を読みたいと思う。
2010-03-30[n年前へ]
■「脳の本」を買う人はどんな人ですか?
どうしても「これら(とても売れている)『脳の本』はどんな人が読んでいるのか」ということを、知りたかったので、「脳の本 」がどんな人に売れているのでしょうか?と、少しばかり内情を知る人に恐る恐る尋ねてみました。すると、「ライフハック本などを買う層と重なってます」という風に、教えて頂きました。…とすると、次の疑問が湧いてきます。それは、「ライフハック本」というものはどんな人が買うのだろう、ということです。
ところで、「脳の本」を書く苫米地英人さんは、デーモン小暮と同じように、確信的に「お笑い」キャラを自己演出しているのだと私はずっと思っていました。しかし、それは、お笑い好きな私の大いなる勘違いで、丸っきり間違っている「認識」なのでしょうか。…この謎を誰かに解いてほしい、今日この頃なのです。
あなたは、どう思われますか?どのように推理されますか?