2004-04-20[n年前へ]
■「ぷちナショナリズム症候群」
「ナンシー関に会いに行こう」と書いた後に、何故だか長いこと積ん読状態になっていた香山リカの「ぷちナショナリズム症候群」のページをめくった。終章は「あるコラムニストの予言から」と題し、ナンシー関について書かれていた。それは偶然かもしれないし、あるいは必然なのかもしれない。
その終章の続く「あとがき」は、
「自己決定」「自己責任」ということばが、どうしても好きになれません。という言葉で始まっていた。やはり、「自己決定」を謳う側も、そして「自己責任」を問う側も、どちらも鏡に映った姿のようによく似ている。どちらも、「自己」に重きを置いているようにも一瞬だけ見える。だけど、どちらもそんな「自己」の重きを置いていないようにも思えてしまったりもする。
2004-11-14[n年前へ]
■「ネット王子とケータイ姫」
先日、品川駅構内の書店で「ネット王子とケータイ姫」という新書を買った。同じく中公新書ラクレから出ている「ぷちナショナリズム症候群」を興味深く読んだこともあり、タイトルにはそれほど興味を感じなかったのだが、買ってみることにした。
読み終わっても、先日受けたインタビュー記事のインタビュアーが、実は著者の森 健氏であったことは気づかなかった。本の帯がずりあがりがちで、その帯により森 健氏の顔写真も経歴も隠れてしまっていたせいである。また、そういえば中公新書ラクレの「ラクレ」の名付け親とも以前お会いしたことがあった、世間というのは不思議なくらい狭いものだ。
本書の感想を(お世辞抜きに)書くと、第2章の「学者とメディアを疑え!」(例のゲーム脳記事などを例に挙げている)が個人的には面白かった。特に、第2章の中の「こどもを取り巻くネット環境を論じた部分」以外の部分を興味深く読んだ。この章に限らず「こどもを取り巻くネット環境を論じた部分」には特に答えが書かれているわけではない。ただ現状が書かれているだけである。だから、こどもを抱える親が何かの答えを求めて本書を読んでも救われることはないだろう。ただ、現状認識が少し進むだけかもしれない。とはいえ、著者達による少しの提案が書かれていて、それはとても参考になる。ちなみに香山リカによる大人へのアドバイス5つのうち、最後に挙げられている言葉
新しい技術を手にした人間を、後戻りさせることはできない。は至言に違いない。なぜなら、それこそが人間なのだから。道具を持って、火を使い、新しい世界へ進むのが人間なのだから。他のアドバイスをさらに知りたい人は、本書を買ってみると良いかも。
個人的にはこの種の本は横書きで読みたい気がする。また、文中で出てくる数字・データは言葉でなくグラフで眺めたい気もするかな。
2009-04-07[n年前へ]
■広告が映し出す「時代」や「世相」
JR東海・京都キャンペーンポスターの写真と文章(1993年秋からの)10年間分を収録した「そうだ 京都、 行こう。 」の「はじめに」から。
「そうだ 京都、行こう。」の(1993年秋からの)この10年間は、20世紀から21世紀への移行の時と重なっています。バブルその後、情報化社会、グローバル化、ナショナリズム、環境問題、癒し、構造改革などなど、時代という言葉のまわりがとてつもなく賑やかでした。大きな地震災害も体験した。嘆いたり、憤慨したり、笑いたかったり、力づけてもらいたかったり、といろいろな人の思いがありました。本書を年代にそって読み進んでいくと、そんな時代や世相も見え隠れします。
広告人たちは時代の気分に敏感すぎるのかもしれません。