2004-04-20[n年前へ]
■ナンシー関に会いに行こう。
ナンシー関が今もテレビを見ていたならば、一体どんな一言を書くだろうか。どんな番組のことを書くだろうか。そして、誰を消しゴムに刻むだろうか。哀しいことに、どんなにそう思ってみても、そんなコラムを読むことができない。そして、もちろん消しゴムに刻まれた誰かの顔ももう眺めることができない。
もしも恐山に行ったなら、どこかのイタコが彼女になりかわって何か言葉をはいてくれるのだろうか。そして、消しゴムに彫刻刀で何かの姿を映し出してくれるのだろうか。そうだ、ゴールデンウィークには恐山に行こう。消しゴムと彫刻刀を持参して、誰かのもとに降りてくるかもしれない、ナンシー関を探してみよう。ゴールデンウィークにはただひたすらに北上し、恐山に行ってみよう。故郷の青森に戻っているかもしれないナンシー関に、会いに行こう。
■「ぷちナショナリズム症候群」
「ナンシー関に会いに行こう」と書いた後に、何故だか長いこと積ん読状態になっていた香山リカの「ぷちナショナリズム症候群」のページをめくった。終章は「あるコラムニストの予言から」と題し、ナンシー関について書かれていた。それは偶然かもしれないし、あるいは必然なのかもしれない。
その終章の続く「あとがき」は、
「自己決定」「自己責任」ということばが、どうしても好きになれません。という言葉で始まっていた。やはり、「自己決定」を謳う側も、そして「自己責任」を問う側も、どちらも鏡に映った姿のようによく似ている。どちらも、「自己」に重きを置いているようにも一瞬だけ見える。だけど、どちらもそんな「自己」の重きを置いていないようにも思えてしまったりもする。