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2002-04-24[n年前へ]

視線のベクトルは未来に向くの? 

マンガのストーリーの方向を顔向きで探る 前編


   一年くらい前から、コンビニで300円ほどの安いコミックをたまに買うようになった。休日の早朝、コンビニで発泡酒とおつまみを買って、ついでにそんな安いコミックを買って、そして、ビールを飲みながらそれを読むのがワタシの休日のささやかな(だけど至高の)幸せなのである。そんな至高の幸せをかみしめるとある休日、286円の西岸良平の「三丁目の夕日」を読みながら、ワタシはふと思ったのである。
 

 これまで、「できるかな?」では、様々な小説、例えば「星の王子さま」「明暗」「こころ」「草枕」「失楽園殺人事件」といった小説を色々と解析してきた。そして、その中の主人公達がどんな風に動いていくのかとか、作者が何を考えているかとか、あるいは、犯人は誰かであるのか、などを調べてきた。何でそんなことを考えるの、と人には聞かれそうだけれども、とにもかくにもワタシはそんなことを考えてきたのである。そして、さらにふと考えてみれば、ワタシの至高の幸せを支える素晴らしき286円のマンガ本に関して、ワタシはストーリー構造などを真剣に考えてみたり、調べてみたりしたことはなかったのである。イケナイ、イケナイ、こんなことでは「恩知らず」野郎としてワタシにはバチが当たってしまうに違いないのである。
 

 そこで、今回「コミックの中のストーリー構造」について調べてみたい、と思う。コミックの中で主人公達がどのような方向へ進もうとしているのか、あるいはその歩みの中で主人公達は一体何を考えているのか、などについて少し調べてみることにしたのである。
 

 これまで、小説中のストーリー構造や主人公達の動く方向を調べるときには、「特定の言葉や主人公達」が登場する位置を調べたり、あるいは他の言葉や登場人物との相関を調べたりしてきた。それでは、一体マンガのストーリー構造や主人公達の動く方向を調べるにはどうしたら良いだろうか?そんなものどうやって調べるの?と一瞬悩んでしまいそうではあるが、ちょっと考えてみればそれはとても簡単なのである。小説と違って、マンガでは登場人物達がちゃんと見えるカタチで描かれているのである。主人公達がどの方向を向いているかがちゃんと描かれているのである。そしてまた、主人公やその周りの人々や、ありとあらゆる人々がどんな方向を向いているかがもうありのままにちゃんと描かれているのである。

 だったら話は実に簡単、マンガの中の登場人物達の向きを刻々調べてみれば、そのマンガのストーリーの中で主人公達がどちらへ向かって何を見ながら動いているかが判る、というわけだ。実に即物的でシンプルなアプローチである。
 

  善は急げ、というわけで、早速今さっきまで読んでいた手元に掴んだままの西岸良平の「三丁目の夕日 ジングルベル」の中から、「霜ばしら」という短編を題材にして、その中の主人公の顔の向きを調べてみることにした。ある恋人同士の、とても楽しくて、そしてとても悲しい物語である。

 まずは、マンガのコマ中の登場人物達の向きと角度の対応表を下の表のように定めた。登場人物がコマ中で右方向を向いているときに0度とし、正面方向(すわなち読者方向)を向いている時が90度。コマの左方向を向いていれば180度である。そして、280度では真後ろを向いているという具合である。
 

コマ中の登場人物達の向きと角度の対応表
225
後ろ向き
270
315
左向き
180
右向き
0
135
正面向き
90
45

 このようにコマの中に登場する主人公達の向きを数値化することにして、話の冒頭から結末までの各コマ中での主人公(周平)とその恋人(アキちゃん)の向きを調べてみたのが下のグラフである。青色の四角が主人公で、赤色の三角がヒロインである。また、その二人が向かい合ってる場合には朱色の丸を方向=0の位置に書き入れてみた。グラフ中では水平軸がストーリーの時系列で、左端が話の冒頭であり、右端が話の結末、そして縦軸が「主人公達の向かう方向」である。また、ヒロインのアキちゃんが途中の2カ所にしか現れないのは少しばかり悲しいストーリーのせいだ。この「霜ばしら」は主人公とアキちゃんの涙を誘う悲しい物語なのである。
 

「霜ばしら」の主人公のベクトル
水平軸 = ストーリーの時系列
左端 = 話の冒頭
右端 = 話の結末

縦軸 = 主人公達の向かう方向

 このグラフを少し眺めていると大体の特徴が見えてくるだろう。すなわち、

  1. 主人公達はほとんど45、135、235度の3方向しか向いていない
  2. それ以外の向き(例えば315度)を向く場合などは、ほとんどが「向き合っている」場合である
  3. そして、135度の方向を向いていることが圧倒的に多い。
などの特徴である。

 しかし考えてみれば、これらの特徴はごく当たり前なのである。まずは、舞台やテレビと同じく、登場人物達は読者にお尻を向けるわけにはそうそういかない。読者に顔を見せずにお尻を向けていたら、誰が誰だかよく判らなくなってしまうに違いない。だから、登場人物達はあまり後ろを向くわけにはいかない。どうしても、主人公達は文字通り「前向き」にならざるをえない。もし、後ろを向くとしたら、それは文字通り登場人物達に「後ろを向かせる」何らかの強い意図に基づく場合以外ありえないに違いない。それが、例えば他の誰かと「向き合って」いる場合であったり、あるいは他の表現意図に基づくものであろう。

 また、日本におけるマンガが右から左に読まれていくのであるから、読者の視線の動きの中では「右のコマ= 過去」「左のコマ = 未来」と時間感覚が成立している。マンガを読む私たちの視線のベクトルは右から左、過去から未来へと進んでいるのである。すなわち、「マンガの中の話の流れ= マンガの中の時間・因果の流れ」をスムーズにするためには、主人公達が過去なり未来なりのコマの方向を向くことで、時間の流れ=因果の流れをスムーズに受け継ぐのが自然だと考えられる。過去に発生した「何か」に応えた反応をするならば、主人公達は当然右を向くし、そうでないならば通常は時間の流れる先の向き= 左側を向くことになるだろう。

 すると、マンガの中の登場人物達は読者に対して「前向き」であって、なおかつ時間の流れる方向に前向きの「左側」を向くのがごく自然である、ということになって、「コマの中の主人公達は135度の方向を向くことが圧倒的に多い」ということになるのだろう。まぁ、当たり前の話である。
 

 そしてさらには、こんな風にも考えられる。「右<->左」方向は時間の流れに対する主人公達の向きであって、「前向き<->後ろ向き」は登場人物達が文字通り「前向きであるか」あるいは、あるいは「後ろ向きであるか」という「主人公達の内たる気持ちの向き」ではないだろうか、とも考えられるのである。
 

 だから、例えばこの「霜ばしら」の結末の部分80コマ以降を見ると、45->135->225度という主人公のベクトルの変化がある。これは主人公が「過去に向かう向き(死んでしまったヒロインへを見る向き)→未来に向かう方向へ進む→未来に向かう(だけど、やはり亡くなってしまったヒロインをたまに振り返りながら)」というまさに主人公のベクトルを描き出しているのではないだろうか、と思うのである。そんな風に眺めてみれば、最後のコマの主人公の向きが「何かを振り返りながら、だけど未来へと歩いていく様子」をまさに映し出しているようにも見えるのである。ストーリーはここに書くわけにはいかないけれど、こんな想像も割と良い線をいってるのかもしれない、と思ってみたりするのだ。
 

西岸良平の「三丁目の夕日」 「霜ばしら」の結末部
冒頭のシーンからはるか後、時間が経過した後の主人公

 こんな風に、単にマンガの登場人物の向きだけで主人公達の向かうベクトルを探る、なんていうことが乱暴なのはさらさら承知の上である。こんな人物の配置解析によるストーリー解析が的を射ているのか、あるいは的を外しまくっているのかは、ぜひこのマンガを読んで実際に判断してみてもらいたい、と思うのである。
 

 さて、こんな風に舞台の右と左、上手と下手に対してどんな風に登場人物達が向かっていくのか、なんてことを考えるといろんな想像が広がってとても面白いのである。時間の進むベクトルであるLeftStage(舞台から見ると逆なんてことは言わずに)に消えていく登場人物達(例えば今回の話では恋人アキちゃんを亡くしてしまった主人公)は「残されたもの達」を連想させてみたり、あるいは、色んなものを眺める私たちの視線のベクトルは本当に未来に向いているのかな?などと色んな想像や空想を駆けめぐらせてみることも、それはそれでとても趣深いことだなぁと思うのである。
 

2004-04-25[n年前へ]

「辞書単語登録プログラミング」 面白一発芸 編 

「文字」も「画像」も自由自在だぁー

 Windows上で日本語を入力するためには、(Windowsに標準添付されているMS-IMEのような)IMEと呼ばれるソフトウェアを使わなければならない。前回、そんなIMEの一つであるジャストシステムのATOKから、さまざまなプログラムを呼び出すことのできるツール(AmetMulti)を作ってみた。ATOKから、(AMETと呼ばれる機能を使って)perlやawkといったコマンドライン上で動くプログラムを呼び出すことができるようにしてみたのである。
 しかし、そんなツールの使用例として前回紹介したのは数式処理だったり、日時処理だったり、文章整形だったり、と少しばかり一般受けしない内容だったように思う。便利ではあるのだが、何だか内容が少しばかり地味であったように思う。だから、実際「ホラホラ、このツール便利でしょう?」と周囲の人に自慢してみても、デモをして見せた相手の人達の反応がどうにも良くなかったのである。

 いや、面白がる人達もいるにはいるのだが、そんな人達は間違いなくATOKを使っていなかったり、そもそもWindowsを使っていないのである。マニアックなEmacs使いの変人であったりしたのである。
 だから、Windowsを使っていて、Windows上でATOKを使っている人は数式処理や文章整形にはこれぽっちも興味を示さないし、そんな内容に興味を示す人はWindowsもATOKも使っていないし、というなんともイマイチの状態だったのである。そのため、私の「他人に自慢したいココロ」はちっとも満たされず、欲求不満の毎日だったわけである。
 

AmetMultiの使用例
数式処理例時間処理例文章整形例
入力print sin(3)/5ねんがっぴ じこくぎょうばんごう
変換結果0.0282240016112004/4/12 0:18:16 0001: いろはにほへと 
0002: ちりぬるをわか 

 そこで、Windows上でATOKを使っているライト・ユーザー(偏見たっぷり)の興味を惹くために、そして私の「他人に自慢したいココロ」を満たすために、私はAmetMultiの機能を少しばかり(だけど見た目は大幅に)変えてみたのである。ATOK等の「IMEは文字入力をするためのもの」という先入観を捨てて、ATOKから画像を入出力することができるようにしたのである。つまり、文字を入力するとその文字に応じたプログラムが起動して、文字変換結果が画像となって出力されたりするようにしてみたのである。地味な数式処理や文章整形ではなくて、ド派手な画像でデモをすることにしたわけである。AmetMultiで画像入出力をしている様子 
 
 

 例えば、それはこんな感じだ。ワードパッド上で、私の辞書設定で「仲間由紀恵」と入力(AMET)変換すると仲間由紀恵の画像が出力されるのである。理由は簡単、私の「(ATOKではなく、AmetMultiの)辞書」には「仲間由紀恵」という単語に対して、「仲間由紀恵」の画像を出力するプログラムが登録されているからである。「仲間由紀恵」という文字が示す内容が、(機能アップされた)ATOKによってそのまま画像となって出現するわけである。


 そして、もちろんそれだけではなく、その後に「美人」なんて入力して(AMET)変換すると、アララビックリ美人化された仲間由紀恵の画像が出力されるのである。「仲間由紀恵」「美人化」という文字入力結果がこれまたそのまま、ワードパッドの文章上に「画像となって出現するのである。「辞書単語登録プログラミング」の思想の凄いところは、入力した文字を表すプログラムが呼ばれ、その結果単なる辞書変換では実現できない「単語を表す適切なもの」が出現するところにあるわけだ。今回の場合は、入力したユーザーの求めに応じて「美人化された仲間由紀恵」が何の苦労もなく出現するところなのである。
 もちろん、今回のモデルは仲間由紀恵なので、「美人化」するまでもなく十分美人であるわけだが、もしも「美人化」をしてもまだまだ「改良の余地有り」のお顔であるような場合は、すかさずさらに「美人化」「美人化」と連打・変換すれば良いだけなのである。画像処理プログラムを意識して使うこともなく、普通のワープロ上でそんな作業がデキルのである。(また、使う用途はほとんど無いとは思うが、「不細工」と入力し変換すれば画像の「不細工化」もできる)

 この右の例ではワードパッドを使ったが、もちろんATOKを使ってさえいれば良いのである。だから、それは別にMSWORDでもExcel上でも良いわけだ。単に画像を貼り付けることができるソフトウェアでありさえすれば、何でも良いのである。

 しかも、だ。もしも、画像を貼り付けることができないソフトウェア上であれば、ただこう入力すれば良いのである。「漢字アート」と。すると、アラアラ不思議、すると画像が漢字のアスキーアートとなって変換されるのだ。もちろん、アルファベットで画像を出力したければ、「アスキーアート」と入力変換すれば良いだけである。そうすれば、純粋なアルファベットからなるアスキーアートとして仲間由紀恵が出力されるわけだ。そう、文字で入力した結果が「ある時は画像」で、「またある時は文字」で、文字と画像を自由自在・縦横無尽に変換しまくることができるのである。こんな機能があれば、例えばメールに自分の顔を文字で描いた署名を付けるなんていうのも簡単に行うことができたりするのである。もちろん、その際にはその顔文字を出力するルーチンを「署名」という単語としてでも登録しておけば楽になるだろう。
 

 ところで、ここまではAmetMultiに標準添付されている機能(仲間由紀恵画像出力機能は標準添付ではないが)でできることを眺めてみた。しかし、便利に使うことができる色んなソフトを使えば、さらにAmetMultiの使い勝手はアップする。例えば、GnuPlotの機能を使えば、数式のグラフ出力がATOKを使って行うことができるようになったり、表をコピーしてその内容を自動でグラフに描画して変換出力することができたりする。

 あるいは、WinGraphVizでも使えば、これまた面白いことができる。例えば、マンガ・アニメの「名探偵コナン」の登場人物達の関係を説明する

コナンは蘭を好き
蘭は新一を好き
コナンは新一に戻れない
なんて文章を入力した上で、その内容をクリップ・ボードにコピーしてみよう。そして、例えば「関係」だなんて入力・変換すると、その三人(コナン・蘭・新一)の関係が図になって変換出力されるわけである。これは、マンガの登場人物の例だが、例えば入力する内容を職場の人間関係や恋の悩みに置き換えてみると、色んな面白いことができるわけである。曖昧模糊とした人間関係を豹変する言葉を入力・変換すると、その曖昧模糊とした関係が見事なまでに表現された図を手に入れたりすることができるわけである。
 
 
 
GnuPlotを使った例WinGraphVizを使った例
入力語句「sin(x)*sin(y/2)」のグラフコナンは蘭を好き
蘭は新一を好き
コナンは新一に戻れない
(上の文字を入力コピー後)関係
変換結果

 AmetMutiやその他のツールによりパワーアップされたATOKを使えば、適当に入力した文字(数式)の内容が表現された様々な形の結果を得ることができる。「辞書単語プログラミング」により、文章の内容を「それを表現する適切な文字」のみならず「それを表現する適切な画像」に変換したりすることもできるようになったのである。「辞書単語登録プログラミング」の新たな世界を勝手に作ってみたわけなのである。
 

 で、当然私は「他人に自慢したいココロ」を満たすために、周りの人に上のようなデモを色々としてみた。この面白一発芸風のデモを見せれば、必ずや「辞書単語登録プログラミングの面白さ」が伝わるに違いない、と信じてデモをしてみたわけである。前回の数式処理・時間処理・文章整形なんかのデモと違って、派手で面白さも伝わるに違いない、と考えて必死にデモをしてみたわけである。
 しかし、結果は散々なものだった。「へぇ~、面白いね~、その漢字アートってぇ」 とか、「そー、そー、こんな人間関係とか、恋の悩みってあるよねー」「これって使えるかもー」という風に今度はそのサンプル・アプリケーションにばかり聴衆の興味は集中して、誰も「辞書単語登録プログラミング」に興味はこれっぽっちも持ってはくれなかったのである。誰も「辞書単語登録プログラミング」なんて言葉を口にすることもなく、私の「他人に自慢したいココロ」はやはり満たされぬままに終わってしまったのである。「辞書単語登録プログラミング」の新たな世界を開くハズが、単なる面白一発芸で終わってしまったのである。Windows上でATOKを使っているライト・ユーザー(偏見たっぷり)のココロを掴むのは実に難しいのである。

 しかし、である。私はあきらめない。「辞書単語登録プログラミング」動画表示編(アスキーアートでパラパラ動画)や、「辞書単語登録プログラミング」エミュレータ編(ATOKからMS-IMEを使ってみよう編)など、できる限りの力を尽くし世間の役に立ちまくりのアプリケーションを作ることで、「辞書単語登録プログラミング」の可能性を広めていきたいと誓うのである(大ウソ)。一回作ったからには、放置プレイにしたりはしないと誓うのである(100%の確率で大ウソ)。

2004-08-02[n年前へ]

富士山自転車登頂記 

 自宅から富士山が見える。この季節には、五合目から山頂まで何本も「光の道」が見える。大勢の登山者達の灯りが連なって、「光の道」が見えるようになる。まるで、アリがえさを運んでいるようすを上から眺めている感じだ。
 きっと、あの道を造っている登山者の中にはこんな人もいるんだろう、と思わせる富士山自転車登頂記。自転車をかついで富士登山をする話である。

学生時代はずっと自転車をやっていた。
で始まり、
相棒の上島はその後外務省の外郭団体に就職し、南米のベネズエラあたりで嫁さんをもらい(すごい美人らしい)、その後はどうなったか分からないが、元気でやっているだろう。
で終わる若かった頃の登山エピソードを、写真のアディダスのウィンドブレイカーとともに懐かしい気分で読む人は多いかも。

2006-03-25[n年前へ]

「こんな人になりたい」 

平林 久 先生 (2004年7月9日)のオムニバスセミナーの記録教授紹介:平林 久 森山和道 氏の日記を読みに行き、そこでの名前に出会う。実に親不孝な息子を持ったわけだが、元気にしているのだろうか。ふと、父が書いた「こんな人になりたい」という一節を読んで、考え込んでしまう。


こんな人になりたい。
 1. 心が卑しくないこと
 2. 優しく広い心を持つこと
 3. 日本語がしっかり話せること
 4. 他人がいやだと思うことをしないこと
 5. 静かであること
 6. 自分で考えること

  そして楽しくあること



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